今日は東京某町で東京マンドリンクラブの合奏練習があった。
1週間後に大規模演奏会の練習も始まるため、こちらの練習もパラで開始しているが、なかなか十分に練習出来ない。
思い切って夜遅くにギター弾ける環境に変えるしかないかな(隣の床ドンばあさんとはさらばだ)。
練習後は反省会に参加。今日の反省会も楽しかった。
結構飲み食いしたが意外に料金は安かった(ものの値段は上がっているのに、居酒屋はわりに上がっていないのが不思議)。
居酒屋の近くでイチゴ大福が売っていたので思わず食べたくなったが、そこで買うのはやめて、家の近くのコンビニで見つけて買った。
ファミマ限定という紅白のイチゴ大福だった。寝る前にこんな甘いものをたくさん食べるのはよくないのだが欲望に負けて2つとも食べた。

さて、くつろいでから帰りの電車で思索していたことを記事にすることにした。
心の苦しみから解放されるための重要な気付きとして最近あらためて感じられたことをメモしておこうと思ったのである。それはこんなことだ。
他人から言われたことや他人の態度で心が反応するのは、自分のこれまでの人生で自らが下した自己認識、自己評価と、それらにリンクしている感情と密接な関連性があるということである。
これらの普段意識されずに、潜在的に内面化された自己認識、自己評価がマイナスの場合、例えば「自分は劣っている」、「自分は周りから嫌われている」、「自分は迷惑な人間だ」などといった否定的自己認識、否定的自己評価が内面化されている場合、他人から言われた何気ない一言や態度を契機として、その否定的自己認識、否定的自己評価が表面意識に浮上するとともに、それらとリンクしている悪感情(怒り、恐怖、悲しみ)が発生するということである。プラスの場合は逆の反応であろう。
他人の言動 ⇒ 反応 ⇒否定的自己認識、否定的自己評価との関連付け、認識、解釈 ⇒ マイナス感情(怒り、恐怖、悲しみなど)の発生
このマイナス感情は自分の人生プロセスでの様々な体験で味わった感情であり、否定的自己認識、否定的自己評価との関連付けが強固になっていると思われる。
よく逆切れとか、かっとなる、ということを聞くが、この心理状態はこのような心理メカニズムで起きていると思われる。
もし否定的自己認識、否定的自己評価が無いとしたら、他人の言動を「他人のもの」として受け止めるであろう。要は自分の価値や評価とは何ら関係ないと認識出来るわけだ。
他人の言動は自分とは関係無い他人のものとして客観視出来るわけである。
傷つきやすさはどれだけ否定的自己認識、否定的自己評価を持っているかに比例していると思う。
傷つきやすさから解放されるためには、傷ついた時に、自分の心の中のどんな否定的自己認識、否定的自己評価が反応したのかを自己観察する必要がある。
そしてその特定された否定的自己認識、否定的自己評価を持つに至った過去の体験を思い出してみる。
そして最も重要なことは、否定的自己認識、否定的自己評価を持つに至った自分を決して責めずに、そのまままるごと受け入れてあげることだ。
その作業を積み重ねることで否定的自己認識、否定的自己評価から徐々に徐々に解放されていくと感じている。
1週間後に大規模演奏会の練習も始まるため、こちらの練習もパラで開始しているが、なかなか十分に練習出来ない。
思い切って夜遅くにギター弾ける環境に変えるしかないかな(隣の床ドンばあさんとはさらばだ)。
練習後は反省会に参加。今日の反省会も楽しかった。
結構飲み食いしたが意外に料金は安かった(ものの値段は上がっているのに、居酒屋はわりに上がっていないのが不思議)。
居酒屋の近くでイチゴ大福が売っていたので思わず食べたくなったが、そこで買うのはやめて、家の近くのコンビニで見つけて買った。
ファミマ限定という紅白のイチゴ大福だった。寝る前にこんな甘いものをたくさん食べるのはよくないのだが欲望に負けて2つとも食べた。

さて、くつろいでから帰りの電車で思索していたことを記事にすることにした。
心の苦しみから解放されるための重要な気付きとして最近あらためて感じられたことをメモしておこうと思ったのである。それはこんなことだ。
他人から言われたことや他人の態度で心が反応するのは、自分のこれまでの人生で自らが下した自己認識、自己評価と、それらにリンクしている感情と密接な関連性があるということである。
これらの普段意識されずに、潜在的に内面化された自己認識、自己評価がマイナスの場合、例えば「自分は劣っている」、「自分は周りから嫌われている」、「自分は迷惑な人間だ」などといった否定的自己認識、否定的自己評価が内面化されている場合、他人から言われた何気ない一言や態度を契機として、その否定的自己認識、否定的自己評価が表面意識に浮上するとともに、それらとリンクしている悪感情(怒り、恐怖、悲しみ)が発生するということである。プラスの場合は逆の反応であろう。
他人の言動 ⇒ 反応 ⇒否定的自己認識、否定的自己評価との関連付け、認識、解釈 ⇒ マイナス感情(怒り、恐怖、悲しみなど)の発生
このマイナス感情は自分の人生プロセスでの様々な体験で味わった感情であり、否定的自己認識、否定的自己評価との関連付けが強固になっていると思われる。
よく逆切れとか、かっとなる、ということを聞くが、この心理状態はこのような心理メカニズムで起きていると思われる。
もし否定的自己認識、否定的自己評価が無いとしたら、他人の言動を「他人のもの」として受け止めるであろう。要は自分の価値や評価とは何ら関係ないと認識出来るわけだ。
他人の言動は自分とは関係無い他人のものとして客観視出来るわけである。
傷つきやすさはどれだけ否定的自己認識、否定的自己評価を持っているかに比例していると思う。
傷つきやすさから解放されるためには、傷ついた時に、自分の心の中のどんな否定的自己認識、否定的自己評価が反応したのかを自己観察する必要がある。
そしてその特定された否定的自己認識、否定的自己評価を持つに至った過去の体験を思い出してみる。
そして最も重要なことは、否定的自己認識、否定的自己評価を持つに至った自分を決して責めずに、そのまままるごと受け入れてあげることだ。
その作業を積み重ねることで否定的自己認識、否定的自己評価から徐々に徐々に解放されていくと感じている。