世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

写真家 沢田教一展――その視線の先に

2017年08月27日 21時20分17秒 | Weblog
日本橋高島屋へ。
「写真家 沢田教一展――その視線の先に」を見に行く。




戦下の人々、生き抜く姿 「写真家 沢田教一展――その視線の先に」


1965年からベトナム戦争で米軍に同行取材し、最前線での戦闘や兵士の表情などを数多く写真に収めた写真家、沢田教一。
妻・サタさんの協力のもと、傷つく市民や故郷・青森の風景、東南アジアの人々の笑顔などを撮影した沢田の眼差しにもスポットをあて、34歳で殉職した沢田の業績をたどる内容。


沢田さん、すごくハンサム。
俳優さんみたい。


沢田さんにピュリツァー賞をもたらした「安全への逃避」はあまりにも有名で、中学校時代、社会の教科書で見た。
また一昨年のホーチミン旅行で訪れた戦争証跡博物館で、沢田さんの功績を見た。
ベトナム一人旅 2



右端の赤ちゃんは沢田さんの助けにより生き延び、今もご健在とのこと。
先日、この展覧会にもお見えになったらしい。

11歳年上の奥様サタさんとの生活、青森で生きる人々、ベトナム戦争で傷つく兵士、住処を追われるベトナム人などの写真が展示されており、とても見ごたえがあった。
また、本展の写真はフエで撮られたものが多く、先月訪れたあのフエの景色と照らし合わせ、「あの悠々していたフエは40年前、こんなにも苦しみに満ちた場所だったのか」と思った。

なかでも、子供が恐怖で怯えている写真は、つい甥っ子と重ねてしまい、胸が苦しくなった。
反対に、幼くとも一生懸命に働いたり学んだりする子供、笑顔の子供の写真に救われた。


平和になったら、ベトナムの北から南へと、サタさんと撮影旅行に行きたいと言っていた沢田さん。
その願いは叶わなかった。
しかし本展の入場者が多いことは、沢田さんの写真が多くの人たちの心に根付いている証だと思う。
ファインダーを介して世界を多くの人に戦争の残酷さ、そこに息づく人々のまなざしを伝えてくださった。
この功績は大きい。


戦争の写真以外にも、恐山や弘前城から撮った岩木山の写真なども展示されていた。
大変見ごたえがあった。


この記事についてブログを書く
« ジャンキーな週末 | トップ | 都会のオアシス »
最新の画像もっと見る