
母方の祖父は私が大学4年生の秋に亡くなった。秋の日溜まりのような穏やかな人だった。通信簿を見せに訪ねると必ず本を買ってくれた。
彼が亡くなったとき、父っ子だった母の悲しみはそのまま私の悲しみとなった。
足尾銅山観光で暗い銅山内を一緒に歩いた7歳の夏。握ったお祖父ちゃんの手のぬくもりやポマードの匂いを私は忘れないだろう。
就職した初夏。
私はある事件に巻き込まれる寸前という状況に陥った。
でも助かった。
お祖父ちゃんが私を守ってくれた…根拠はないのだが、なぜだかそう強く思う。
母の姉はとても美人な人だった。笑うと品のある目鼻が桜のように舞うようであった。たぶん親族では一番容姿に恵まれた人だったのではないだろうか。
でも15年前、癌で亡くなってしまった。
祖父が末期癌の叔母を見舞いに行ったとき。
叔母は
「(遠くまでこさせてしまって)(こんな風になってしまって)…ごめんね」
と謝った。
祖父はただ静かに
「いいんだよ…」
と言ったらしい。
弱った娘を前にして、どれほど苦しかったのだろうか。お祖父ちゃん。
叔母、祖父母も亡くなってしまった。
母と母の兄は疎遠な関係にある。
一つの団欒が、時とともに無くなっていく切なさが、なぜか今日、強く強く私に押し寄せてきた。
私の実家の団欒も、いつか自然の摂理で崩壊していくのだと思うと、怖くて切なくて、死んでしまいそうになる。
彼が亡くなったとき、父っ子だった母の悲しみはそのまま私の悲しみとなった。
足尾銅山観光で暗い銅山内を一緒に歩いた7歳の夏。握ったお祖父ちゃんの手のぬくもりやポマードの匂いを私は忘れないだろう。
就職した初夏。
私はある事件に巻き込まれる寸前という状況に陥った。
でも助かった。
お祖父ちゃんが私を守ってくれた…根拠はないのだが、なぜだかそう強く思う。
母の姉はとても美人な人だった。笑うと品のある目鼻が桜のように舞うようであった。たぶん親族では一番容姿に恵まれた人だったのではないだろうか。
でも15年前、癌で亡くなってしまった。
祖父が末期癌の叔母を見舞いに行ったとき。
叔母は
「(遠くまでこさせてしまって)(こんな風になってしまって)…ごめんね」
と謝った。
祖父はただ静かに
「いいんだよ…」
と言ったらしい。
弱った娘を前にして、どれほど苦しかったのだろうか。お祖父ちゃん。
叔母、祖父母も亡くなってしまった。
母と母の兄は疎遠な関係にある。
一つの団欒が、時とともに無くなっていく切なさが、なぜか今日、強く強く私に押し寄せてきた。
私の実家の団欒も、いつか自然の摂理で崩壊していくのだと思うと、怖くて切なくて、死んでしまいそうになる。
血ってそんなにカンタンに切れるものじゃないよ。
ミナも常々、じい様が近くにいるなと感じております。
先祖ってありがたい☆
形あるものは壊れゆき、命あるものは死んでゆく‥‥
誰一人として、避けることの出来ない大宇宙の摂理ですね
それが解ってるから、自分より先に逝ってしまう娘を、ただ見守る事しか出来ない父親の気持ちが痛く伝わります
俗世にドップリ浸かってるので、醜く執着してるオレだが
願わくば、これより先の人生で、すこしでも精進できたらな~と思いました
お彼岸だからでしょうか。亡くなった先祖のことを考えてしまうのは。
昨日は無性に祖父に会いたくなっちゃいました。
GASOLINE★SODA殿
やはり親より1秒でも長く生きるのが子供の任務だと思いました。
叔母も死にたくて死んだわけではないのですが。
弱りゆく娘をただ見るしかできなかった祖父の無念は、こうして文章にすることで多くの人に伝わるんですね。