世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「置かれた場所で咲きなさい…土壌にもよるけど」

2023年09月07日 23時29分38秒 | Weblog
「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子シスター)を久々に風呂場で読んだ。

辛いときに手に取って度々読み返していたけれども、心身共に不調になった今となっては「『置かれた場所』が腐っているのならば逃げてもいいんじゃね?」と思う。

腐っている場所とは無視されたり怒鳴られたりするという壮絶なパワハラを受けた以前の部署のことである。

円滑なコミュニケーションが図れない環境は齟齬が生じやすく、いつしか憎しみだけが募っていく。
その標的に、私はなったのだ。
何をしても否定される日々。


本著で「咲く」とは、「仕方ないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすること」とシスターは述べられているけれども、あの時の私の置かれた立場ではそういうことを心がける余裕は皆無であった。
枯れる寸前までいった。いや、心身共に不調になったので実際は一度枯れたのかもしれない。毎日がつらく生きていることが嫌になり、線路に吸い込まれそうになったのだし。


あと私の愛するクマ…「Bear」という単語はクマ以外にも「耐える」という意味があるんだし我慢しよう…と自分をごまかして日々、ストレスに晒されていた。

あの時、父の助言どおり異動願いを提出するというアクションを起こしていたら、体も心もこんなふうにはなっていなかったのではと今、少し後悔している。
不安や恐怖、怒りといったストレスが生じると、交感神経の活動が高まり、病気になりやすいとクマ医師が言っていた。
8月、手術室から病室に戻り、全身管だらけになった私は、クマ医師の言葉を反芻しながら「痛い、痛い」と天井を見つめていた。



しかしシスターはこうも言っている。

「雨の日、風の日、どうしても咲けないときは根を下へ下へと伸ばしましょう。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるように」


下へ下へと伸ばしていたかは定かではないが、「次に咲く花」は今の私そのものであると言えよう。

異動させてもらった今では同僚と円滑なコミュニケーションを築けている。
話がおもしろすぎてつい笑いすぎてしまい、術後3週間も過ぎたというのに傷口がぱっくりと開きそうになるぐらいには笑っている。
頼まれた仕事をして「ありがとう。助かった」という上司の一言に遣り甲斐を持ち、自分の存在意義を感じることができている。
あの辛い日々を我慢して乗り切って本当に良かったのだと今、心から安堵している。

一度は懐疑的に思ってしまった「置かれた場所で咲きなさい」。
盲信することの危うさを秘めた本ではあるが、でも今では違う捉え方で読むことができる。
「置かれた場所で咲きなさい…土壌にもよるけど」と付け加えたい。

今の部署では「笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすること」を目標にできそうだ。
日々精進である。

今日見た夕焼け。なんとなく秋めいてきた。


朝の風景もなんとなく秋らしさを感じる。
紫式部のグラデーション。


勢いを失いつつある百日紅。


秋はもうすぐ。(早く涼しくなってほしい)


夕食は丸亀製麺。
てりやきタル鶏ぶっかけ、美味しかった!!サイゼリヤの辛みチキンみたいなのが乗っかってた。
ふ~。まんぷくま








明日は心療内科。
私の人事異動を「よかったね」「もういじめられないね」と喜んでくれる人はたくさんいたけど、一番喜んでくれたのは精神科医のクマ医師だったりする…!
精神科医にとって患者の自殺が一番つらいのだそうだ。

彼に笑顔で一週間を報告できるよう、一週間の有終の美を飾りたい。