世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

不惑の乙女

2018年02月05日 23時12分41秒 | Weblog
昨日から両親が我が家に宿泊している。
母は早めに風呂に入り、就寝。
父は夜の街を徘徊。でもすぐに戻ってきて、家でスマホで孫の動画を舐めるように鑑賞していた。23時は三人で川の字になっていた。

今朝は、母が味噌汁をこしらえてくれた。

私は基本的に火と包丁が使えないので、コンロを使うのは母が来た時だけ。(点け方も知らない)
ウドの味噌汁。朝からあったまる。

「行ってらっしゃい」
と母に見送られる。
こんなの、小学生以来である。
40歳になったのに、生活が一気に幼くなった!!

そう。40歳になった。
20歳になったときは、なぜか喪失感で泣いていた。
30歳になったときは、「リアル負け犬じゃん!」と自らを笑っていた。
40歳になった今、なんだか世の中が愛おしく思える。
よく分からないけれども、人生80年の半分を過ぎてしまったと実感し、「あと半分ぐらいしか観たり聞いたり感じたりができないんだな」と思ったら、急に世の中の事象を大切なもののように感じている自分に気付いた。まだ1日しか経過していないし、嫌なこともいっぱい起きるんだろうけれども。今だけは、このぬくもりを感じていたい。

友人わた(31年来の親友)からのメッセージに胸熱。
「年度末が近付くと何かとバタバタするね
お互いに死なない程度に乗り切ろうぜ
間違って死んじゃったら、先に竹林の場所とり4649!w
あたしが先でも鬼をあの手この手でこませるようにがんがるwww」

説明しよう。
以前、わたと「栄西と建仁寺」展@東京国立博物館に行った。
そこで観た「不産女」の様子が描かれている地獄絵図が二人のツボであった。

トラのパンツを履いた赤鬼に怒られながら、上半身裸体の女子3人が座って(ヤンキー座り)竹に手をやりつつ、悲壮感を浮かべている顔をしている絵。

鑑賞しながら、
「不産女・・・これってうちらじゃん」
「だよな。てか、どんな罰ゲームを与えられてるんだろ」
「竹にすがっているだけじゃんね」
「楽勝じゃん」
「てかうちら、生きてるだけで罪人みたいよ」
「やべー。まじか」
「オワタ\(^o^)/ 」
という会話を展開。

結婚や出産を避けたく、また極度の子供嫌いな我々は、この絵に見事にハマったのであった。
鑑賞後に入ったヲサレなイタリアン居酒屋で「あれ、すごかったよねー」「不産女地獄、マジウケルー」「まさかの竹の根!!」って鼻から煙を出して爆笑しあった。


調べてみると、この絵の彼女たちは灯心で固い竹の根を掘る罰ゲームを与えられているっぽい。産まなかったというだけで。柔らかい灯心で来る日も来る日も、竹の根掘りを続けなければならないって・・・どんだけ地味な罰ゲームだよ。産まないってだけでどうしてこんな屈辱的な罰を与えられなければならないのだろうか。

でも、わたとだったら・・・

もし、あの地獄絵図が本当のことで、将来わたと一緒にあの竹やぶに行くとしたら、私は嬉々としてわたに付いていくと思う。わたと一緒だったら、竹やぶで鬼に監視されながらの地味な労働にも耐えられそうな気がする。


ジャージの質感が厭だと、吹雪の日でも半袖・ブルマで体育の授業を受けていた小学校時代の私とわた。
不惑の歳であろうとなかろうと、たぶんこれからも、私たちはこのままなんだろう。

厭なものは厭。

…これぞ乙女の真骨頂である。
小3で知り合ってから、もう31年。これからも4649!



帰宅したら両親がいて、なんだか不思議な気分。
母がカレーをこしらえてくれた。


いただきます!





妹が王将の餃子と大福・桜餅をくれた。
ありがとう。

父は八海山を飲んでいた。
娘の家でまったりすることは、彼らの幸せらしい。
こちらこそ、来てくれて嬉しい。

彼らは、明日は妹の家に宿泊するとのこと。
ちょっとしたジプシーである。


今、もう両親は寝ている。
早い!早すぎる!!

私も寝ようかな。