やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

会津…

2013-01-07 | やまがた抄


会津を舞台にしたNHKの大河ドラマも始まって、今年は会津がブレイクしさうです。

そのドラマ、初回を見ましたが、福島の原発事故があったせゐか(あるいは、事故がなければ、テーマにならなかったかもしれませんー)、”会津魂”の力こぶが前面に出すぎてゐてとても重いスタートでしたが、会津を愛する小生には楽しみなドラマです。
主人公の少女時代役の女の子の”眼力”に感動しました。半端な役者の足元にも及ばないものでした。

山形に移住してすぐ、会津若松の鶴ヶ城の敷地内にある茶室・麟閣を見にゆきました。
自宅の茶室を勘案してゐるとき、東京の尊敬する先輩に”こんな茶室があるー”と教へて頂いたものです。

見事な茶室でした。
父・千利休の切腹の累が及ぶのを逃れて、雅な京都から雪深い会津の地に匿はれた子・小庵が建てたといはれるものです。
きっと、希望のない日々を生き抜くよすがとなった茶室です。
いかにも京風に作られたその姿は、けれど分厚い茅葺の屋根を支へる柱は余りにも細く、か細い思ひで日々を過ごしたかもしれない小庵の心情そのものです。

目の前に聳え立つ美しい鶴ヶ城が、かつて、薩長の無頼たちに(当時は新政府でもなんでもなく、テロ戦争を勝ち進んだだけの集団です)政治的な理由ではなく、私怨ともいへる理由でなぶりものにされ、けれど落城せず、満身創痍の姿をさらけ見せてゐた写真と重なるものです。

数度見に行ってはゐますが、すべて雪のない季節でした。
近々、雪景色の姿を見にゆく予定です。


そして、昨年末に知ったことですが、家人には会津の血が流れてゐました。

ふとした話題から義父が、”これをパソコンで清書してくれ”と持ってきたのは、鉛筆書きの家系図でした。
ずっと宮城出身とばかり思ってゐた義父は、そのルーツは会津でした。
紆余曲折を初めて聞いて、しっかりとした家系図を作成する約束をするとともに、小生の子や孫には会津の血が流れてゐることの驚きと誇りを再認識しました。