やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

あまりに、ヒドイ…

2012-06-08 | 雑記


お隣りの農家の方から、カブを頂いた。
いつも、色々と頂く。我が家が、貧乏だからでせうー。

有名な庄内の赤カブではないのですが、とても立派で、漬物にしたら、とても美味でした。


このブログで、あまり政治的なことは書きたくないのですが、昨今の政治状況は、あまりに、ヒドイー。

二年前、小生もふくめて、市井の人たちが政権を交代させたのは、自分達に増税を課してくれ、と思ってしたわけではないはずです。

先を読めない政権と、自分達の生活だけを死守する官僚たちに嫌気がさして、そして、この国の未来に戦慄して、とりあへず目先を変へてみた、託してみた。

けれど、まるで素人集団のやうな今の政権ー、何も変る気配がない。

最近とみに思ふのは、医療制度の改悪です。
長期入院は国の指示でとがめられ、病気がある程度落ち着いたら、体のよい”在宅看病”の名のもとに、病院を追放されるといふ。特に、瀕死の高齢者を中心にー。

医療予算費の抑制、だといふ。
高齢者が多くなってしまった、といふ。
そんなことは、少なくとも、数十年前に充分わかってゐたはずです。
その年月がありながら、今の体たらくな状況を生んでゐる。

郊外の田園風景をみると、同じ状況が見られます。
減反補助金を重ねて出して、農家の方を”シャブ漬け”にし、今や、だうにもならない虫食ひだらけの風景を広げてゐます。

そして、そんな風景をつくりあげながら、そのことに、誰ひとりとして責任をとらない。

先日、原発の再稼動の問題で、首相が”私が責任をとります”などと軽々しく云ってゐましたが、Fukushimaよりヒドイ事故が起きたときに、このひとが首相を辞めて、タダのデブ男になってもらっても、まう、日本は取り返しのつかない国になってしまひます。

スイスの科学者(スイスは、半分近くの電力が原発ださうです)が云ってゐましたが、日本といふ国は、世界で最先端の安全で経済的な車を創造した技術力を有しながら(彼らには、驚異的な技術力だといふ)、原発に関しては、まるで素人だ、とー。
それは、技術力が素人なのではなく、根本的な考へ方が素人なのだ、とー。




天へと、地へと…

2012-06-04 | 花や樹や




今の季節、里山付近では、その景色のなかに紫の色が点在します。

桐の花と、山藤の花です。


天まで届け桐の花、地まで届け藤の花。


どこかで目にした文章ですが(何かの詞だったかー)、この季節、自然と想ひ浮かびます。

ともに紫の色を頂きながら、かたや天に向かって決して下を向くことなく、かたや地に向かって上を仰ぎ見ることなく、ともにそれぞれの”生”を営んでゐます。


苺が…

2012-06-03 | 大岡山界隈


畑の苺が、採れだしました。

小生の責任で苗から作ったので、親戚や家人の強い(!)プレッシャーのなか、さすがに以前苺農家から頂いた親のDNAのせゐか、とても元気に実を赤く染め出して、ひと安心です。

大して手助けをしない小生のせゐで、寒風にさらされ、1mほどの積雪の下敷きに二ヶ月ほど虐待され、でも、しっかりと実をつけてゐます。
彼らの生命力に感謝です。

そして、初夏の風味、満喫です。
べらぼうには甘くなく、少し酸味もあって、美味です。


以前、クヰズ番組で、”苺の旬は?”に対して、冬が正解になってゐました!?

それは、ハウスは、さうかも知れませんが、自然界では、今、です。

自然のものは、間違ひのない”旬”の時期に食したいもの、です。





ジャーマン・アイリス

2012-06-02 | やまがた抄
我が家にも、いく種類かのジャーマン・アイリスがありますが、以前からこの季節になると必ず新聞やTVで取り上げられる山形市郊外のジャーマン・アイリス畑を見に行きました。

ジャーマン・アイリス好きの農家の方が一所懸命に育て、無料で見せてゐる、といふことでしたが、よくあるパターンですが写真などで見たものとは大違ひの小規模で、そして、苗の根元にはどれもしっかりと値札がついてゐて、なんだか結構商売上手で、半分ガッカリで、鮮やかな花の幾種類かを楽しんできました。

でも、なんとなく消化不良で、県民の森を抜け、白鷹の山中で季節的には最後の山菜取りに走ってしまひました。少し大きくなってしまったワラビとタラの芽ならぬタラの若葉をほどほど収穫し、まずは満足ー。

高台から見た、月山と朝日連峰が、ひと際美しかった!
























仕合せな時…

2012-06-01 | 書棚のジャズアルバムから
John Coltrane Coltrane's Sound (Full Album)


小生の棚に、コルトレーンのLPやCDやテープがどれくらゐあるのか、確認したこともありませんが、まあ、相当な数だらう、とは思ひます。

それでも、彼の膨大な(世に出始めて10年くらいゐの間の)ディスクからしたら、海辺の砂のごときものでせう。

そのなかで、『Coltrane's Sound (邦題/夜は千の眼を持つ)』といふアルバムが結構すきです。圧倒的な名盤『マイ・フェイヴァリット・シングス』と同じころの録音ですが、聴いてゐると、この頃の、コルトレーンの、とても仕合せな時を感じる。

すでに『ジャイアント・ステップス』を世に送り、マイルス・ディヴィスから学んだモード奏法を自らの手段として花咲かせ始めたころです。

数年前、せっかくマイルス・ディヴィスのグループに入ること叶ひながら、麻薬から足を抜け出せず、麻薬嫌ひの恩師マイルスに”バカヤロー! お前は何をやってゐるんだ! クビだ!”と殴打され、解雇された(らしい)コルトレーンが、練習につぐ練習で、マイルス・グループに在籍してゐた頃とは、まう、格段の演奏をみせてゐます。
(在籍のころの演奏は、マイルスの、微にいり細にわたるモザイク画のやうな演奏に較べれば、豪快ではあっても、恩師の前で緊張してゐるやうな演奏で、小生はさほど感動はしないー)

ジャズ史上最強ともいへる四重奏団になる前の、すでにマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズはメンバーで、ベースはまだスティーグ・ディヴィスですが、バックも素晴らしく、特にコルトレーンが発掘した若いマッコイ・タイナーのはじけるやうなピアノが素晴らしい。
(むか~し、マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズと、ベーシストは失念したけれど、トリオでの、コルトレーンへのトリビュート・コンサートをへ行ったことがあります。チケットは高かったけれど、とても、つまらないコンサートでした。ともに、コルトレーンの過激さについてゆけず、袂を分かったマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズが、”えにし”を売りつけてゐるやうな、厭らしさがステージにあふれてゐました…)

とまれ、このころのアルバムのあと、コルトレーンは、ジャズ世界を塗り替へながら、自らは黒人の人種問題に大きく関はりをもって、そのメッセージとしてのアルバム『至上の愛』を送り出し、フリー・ジャズに投身自殺のやうに入り込み、その失敗のあと、まるで高僧のつぶやきのやうな静寂なアルバムを少しだして、忽然と癌に倒れる。
(『ライブ・イン・ジャパン』の、内臓をさらけ出すやうな演奏は、余りに痛々しくて、一年に一度聴けたらよい方です)

そんな、7年後のことは勿論計り知る由もなく、この『Coltrane's Sound』では、本当に気持ちよく、豪快に、でも、バラッドではしみじみと 歌ってゐる。

寡黙だったといふコルトレーンの、すこしの微笑みが見へるやうな演奏です。