1963.12.19 英国・ロイヤルフェスティバルホール
指揮:オットー・クレンペラー/フィルハモニア管弦楽団、同合唱団
ソプラノ:ヘザー・ハーバー アルト:ジャネット・ベーカー
プログラム:①モーツァルト/交響曲第29番
②マーラー/交響曲第2番「復活」
BBCのライブラリーを放送したものです。
クレンペラーの「復活」は、スタジオ録音やライブのものを含めて、幾枚かの
CDが棚にありますが、この演奏もクレンペラーらしい、ゴツゴツとした演奏です。
第2楽章の、”過去の回想”のテーマが、行きつ戻りつしながら進んでゆく。
軽やかなワルツのやうに演奏する人もゐるけれど、成る程、それは陽射しあふれる
人の過去のやうでもあるけれど、このコレンペラーの演奏は、まるで挫折に次ぐ挫折の人のやうな、あるひはクレンペラー自身の人生のやうな演奏です。
(でも、だからと云って、営みを止める訳にもゆかない)
終楽章も、ゆったりとしたテンポをとりながら、この混乱した音と旋律の世界から光りを求めるために突き進んでゆく。
いつもながら、凄愴な世界です。
「マーラー先生、無茶苦茶ですがなー」といふ、混濁の世界から、クレンペラーはテンポを落すことで見へてくるかもしれない間の世界を創りださうとしてゐる。
(あの、凄まじく遅いマタイ受難曲もしかり)
終楽章の後半、声楽の出だしの合唱の響きが素晴しい。
コンサートでもこの部分に満足することが少ないのですが、特に日本の合唱団だと
上手く歌ってしまふ。さうではなくて、濁りの人の声から、やがてアルトとソプラノが飛び立つやうに
”かたく信じなさい わが心よ!
お前が何も失ってゐないことを!”
と、歌って欲しいと常々勝手に思ってゐます、ので。
一曲めのモーツァルトも素晴しい。
おそらく、今では29番の交響曲を(モーツァルトが18歳!)こんな風に大人びて演奏する人はゐないでせう。
以前から、クレンペラーのモーツァルトは25番と29番が好きでしたが、(いはゆる、後期のものはかなりあっさりとし過ぎてゐてー)、この演奏は、78歳のクレンペラーが、まう一度、違ふかたちのモーツァルトを創ってみやうと思ってゐたかもしれない、追従を許さない演奏です。
指揮:オットー・クレンペラー/フィルハモニア管弦楽団、同合唱団
ソプラノ:ヘザー・ハーバー アルト:ジャネット・ベーカー
プログラム:①モーツァルト/交響曲第29番
②マーラー/交響曲第2番「復活」
BBCのライブラリーを放送したものです。
クレンペラーの「復活」は、スタジオ録音やライブのものを含めて、幾枚かの
CDが棚にありますが、この演奏もクレンペラーらしい、ゴツゴツとした演奏です。
第2楽章の、”過去の回想”のテーマが、行きつ戻りつしながら進んでゆく。
軽やかなワルツのやうに演奏する人もゐるけれど、成る程、それは陽射しあふれる
人の過去のやうでもあるけれど、このコレンペラーの演奏は、まるで挫折に次ぐ挫折の人のやうな、あるひはクレンペラー自身の人生のやうな演奏です。
(でも、だからと云って、営みを止める訳にもゆかない)
終楽章も、ゆったりとしたテンポをとりながら、この混乱した音と旋律の世界から光りを求めるために突き進んでゆく。
いつもながら、凄愴な世界です。
「マーラー先生、無茶苦茶ですがなー」といふ、混濁の世界から、クレンペラーはテンポを落すことで見へてくるかもしれない間の世界を創りださうとしてゐる。
(あの、凄まじく遅いマタイ受難曲もしかり)
終楽章の後半、声楽の出だしの合唱の響きが素晴しい。
コンサートでもこの部分に満足することが少ないのですが、特に日本の合唱団だと
上手く歌ってしまふ。さうではなくて、濁りの人の声から、やがてアルトとソプラノが飛び立つやうに
”かたく信じなさい わが心よ!
お前が何も失ってゐないことを!”
と、歌って欲しいと常々勝手に思ってゐます、ので。
一曲めのモーツァルトも素晴しい。
おそらく、今では29番の交響曲を(モーツァルトが18歳!)こんな風に大人びて演奏する人はゐないでせう。
以前から、クレンペラーのモーツァルトは25番と29番が好きでしたが、(いはゆる、後期のものはかなりあっさりとし過ぎてゐてー)、この演奏は、78歳のクレンペラーが、まう一度、違ふかたちのモーツァルトを創ってみやうと思ってゐたかもしれない、追従を許さない演奏です。
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