十日ほど前でしたか、新聞の山形版が一本の櫻の死を報じてゐました。
昨年はまったく花が咲かず、すでに枯死してゐる、との記事でした。
中山町にある、お達磨の櫻、です。
以来、気になってゐて、やっと見に行く時間がとれました。
その姿に、悄然としました。
そぼ降る冷たい雨のなかで、立ちつくすその姿に、声もでませんでした。
樹齢500年とも、600年とも云はれた名櫻でしたが、今、この春に、人は(小生も含めて)一本の櫻を死に追ひやってしまったことの罪を感じます。
近くに高速道路が出来たので、水みちを切ってしまったのかもしれません。
周りの若木の櫻は根を延ばせたのかもしれませんが、老いた彼には、すでにその力もなく、もはやこれまで、と生きる力を断ってしまったやうです。
3年前に行った時も、その痛々しいほどの姿に涙し、見に来てゐた老婆が涙を流さんばかりに「痛ましい…」と声を上げてゐました。
3年前の写真が↓です。
6年前には、けれどしかし、老いてなほ、江戸彼岸らしい、ちいさく強靭な花を付けてゐたのですがー。
昨年はまったく花が咲かず、すでに枯死してゐる、との記事でした。
中山町にある、お達磨の櫻、です。
以来、気になってゐて、やっと見に行く時間がとれました。
その姿に、悄然としました。
そぼ降る冷たい雨のなかで、立ちつくすその姿に、声もでませんでした。
樹齢500年とも、600年とも云はれた名櫻でしたが、今、この春に、人は(小生も含めて)一本の櫻を死に追ひやってしまったことの罪を感じます。
近くに高速道路が出来たので、水みちを切ってしまったのかもしれません。
周りの若木の櫻は根を延ばせたのかもしれませんが、老いた彼には、すでにその力もなく、もはやこれまで、と生きる力を断ってしまったやうです。
3年前に行った時も、その痛々しいほどの姿に涙し、見に来てゐた老婆が涙を流さんばかりに「痛ましい…」と声を上げてゐました。
3年前の写真が↓です。
6年前には、けれどしかし、老いてなほ、江戸彼岸らしい、ちいさく強靭な花を付けてゐたのですがー。
原生林の老ブナの倒木は、痛ましさと同時に、命を次代に受け継ぐ覚悟や希望のようなものを受け取るのですが、「独居の死」のいたたまれなさを感じます。
本日同じ江戸彼岸桜”わに塚の桜”を見に行ってきましたが、
去年とはやはり佇まいが変わってたのが寂しかったなぁ…
ご覧頂き、有難うござゐます。
云はれたやうに、まさに、独居の死、の感でした。
久保の櫻のやうに、壱千萬もかければ延命もできたのでせうがー。
それにしても、櫻を殺す人間の存在を感じて、辛いです。
そなたは、見たことがなっかた! とな?
染井吉野は、ほぼ人間の寿命と同じといはれ、
生まれた時に植ゑた樹も、その人間が死ぬる時には朽ち果てる。
けれど、江戸彼岸は、参百年も、伍百年も、千年も生きる。
そのことを思ふと、辛い話よー。
新しい居酒屋を見つけ申した。
黄金週間には、時あらば、一献!