Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

和歌山と京都散策

2010年06月06日 | 旅 ・ 散歩


5月27日、二年ぶりで高校クラス会に参加いたしました。
今回は神戸港を遊覧しながらの優雅な船上でのクラス会となり、
すでに定年退職、孫を持つ年ながら昔の腕白年齢にかえり
話もはずみました。物故者は2クラス合わせて13名、
いずれも病気が原因で残念な思いです。

(おしゃべりに夢中、船外は曇天とあって写真は撮らずに終わりました)


その後、大阪の妹の運転で姉妹3人で和歌山、白浜まで
足を伸ばし楽しい旅をいたしました。
5月末だと言うのに寒暖の激しい気候でしたが、
歴史好きの姉の案内で、京都街中散歩をゆっくり、のんびり、
ついつい日程が延びてしまいました。


和歌山城は 1585年に築城にかかり、初代城主は 桑山重晴、
その後時を経て、1619年徳川家康の第10子徳川頼宣が入城する。
その直後から大規模な整備工事、城下町の拡張整備が実施され
その後250年間続く和歌山の繁栄の基礎となりました。(資料からのまとめ)

和歌山城をあとに、白浜に向う途中、湯浅町を通りましたがこの地は
750年の歴史を持つ、醤油発祥の地だそうです。いわば醤油の源泉。
老舗に立ち寄り、「金山寺味噌」を いくつか求めました。これは夫へのおみやげに。

真っ青な空に和歌山城がくっきりでした。





南紀 白浜の 千畳敷海岸
広大な畳のような岩が続く。やわらかい砂岩のため、荒波に洗われ、
年月が経ち、階段のように岩が広がる
近くに見所として、3段岩もあります。






5/31、6/1 日程を延ばして、姉と共に、京都まちなか散歩に出かけました。
かねてより、ゆっくり散策したかった「哲学の道」を「南禅寺~銀閣寺」まで。
翌日は、坂本龍馬の墓をお参りいたしました。


(左)小さく石に ”道しるべ”  (右) 哲学者、「西田幾多郎(きたろう)」 
                    (1870~1945)石川県生まれ
                     京都大学、教授
「日本の道百選」にも選ばれているこの道は、哲学者 西田幾多郎が
この道をこよなく愛し思想にふけりながら、毎日の散歩を日課に
していたことから、いつしかこの名前が付いたらしいですね。
この日は涼やかな新緑でしたが、
春のサクラ、秋の紅葉、きっと嬉しい散歩道でしょう。










そうですね、約2km位と思いますが、左右にあるお店をのぞいたり、
出会う人たちに話しかけられたり、私は疎水べりの左にある”八橋”を焼いている
小さなお店で300円でそれを1袋買いました。
「う~ん懐かしいニッキの味、、」硬くしっかり焼けていました。
そんな、こんなしている内に、銀閣寺に到着しました。
修学旅行の生徒が沢山「えっ?これが 銀閣?」と言うほどの質素なものです。

(左) 観音殿 (銀閣 国宝)建立     (右)疎水の右側にある
1482年 室町幕府八代将軍 足利義政公       京焼き 「陶葊」
庭の美しさは有名です。
          珍しい字で「とうあん」





〈左) 南禅寺 〈臨済宗 大本山)亀山法皇 (1249~1305)によって開創された寺。       

(右) 琵琶湖疏水「水路閣」 
琵琶湖と加茂川を結ぶ疎水は南禅寺の境内を通過している。
この鉄橋のようなレンガの上を豊かな水が流れている。
明治18年着工され、水運、工業、飲料水の確保等、
東山に沢山の水の流れを作っています。






坂本龍馬 (1835~1867)
土佐藩を飛び出し、勝海舟の門弟となりその後、亀山社中、海援隊を組織。
薩長同盟の締結に尽力、大政奉還の実現への努力をし、
明治維新をおしすすめる大きな原動力となりました。
しかし、志半ばで隠れ家にしていた醤油商 「近江屋」で 
中岡慎太郎と共に32歳の若さで暗殺されます。

「清水寺」 「高台寺」 「八坂神社」 この辺りの一角にひっそり坂本龍馬の墓があります。
(左)東山 「霊山(りょうぜん)歴史館」 の二人の銅像。
(右)京都 「霊山護国神社」 の二人の墓





「霊山歴史館」 の 資料、龍馬の遺品



幕末維新で活躍した人たちは平均して30歳代、若い血に燃え、
理想に向って命をかけた情熱。政治にうとい私ですが、
心の中に、誰かに向って叫びたい!自分にも呼びかけたい!
日本を守るのは私たち自身なんだと、、。


(クリックで写真は少し大きくなりますよ)






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