小説 「和 解」 (大正6年)
過日散策した 我孫子、手賀沼。彼の屋敷跡を訪ねて小説「和解」を知る。
物語の冒頭からこの地名が飛び込んだ。
長女を出生後 わずか56日で亡くし、その一周忌で青山墓地に行く際
麻布の実家に電話する、、、
「父が在宅しているため、私は屈辱から不愉快になる。祖母 留女 には
会いたいが父には会いたくなかった。不和の出来事は余りにも多かった。」
幼稚園時代 高等科時代(左) 実篤と
父との不和の原因がどこにあったのかに興味を持ち、一気に読んだが、
この[和解」の中に全てのそれを見出す事は出来ませんでしたが、
「大津順吉」又この「和解」の小説にもその理由が隠されているようにも思った。
和解の瞬間、「父は泣き、自分も、鎌倉の叔父も泣き、長い長い不愉快な旅の
あと、ようやく実家にたどりついた旅人の疲れに似ていた。」 と書いています。
父 祖父 次女と
小説の神様と言われた 志賀直哉 読みやすく、しかも心理状態のきめ細かい
描写に惹きつけられます。
先祖は近江国志賀城主の名門、はからずも2度の落第で親友 武者小路実篤と
同級生となり行動を共にする事が多かった。
後に、彼(実篤)の従姉妹、康子(さだこ) (公家、華族)と結婚している。
金婚の時 孫と
実家は麻布に広大な土地を持ったが、今は大手企業の社宅、マンション、
反対側に 東京ミッドタウンがある。(少年時代をここで暮らす)
今一度、跡地を訪ねると、我孫子の手賀沼を見下ろす弁天山の石段の上に立って、
若いハンサムな志賀直哉が出迎えてくれるような錯覚を覚えます。
そして益々明治の文豪のフアンになり、しばらくは志賀直哉の本を読み返します。
( 写真はある雑誌からお借りしました)