rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

国家と宗教

2017-12-16 20:39:00 | 社会

前のテーマについての山童さんのご指摘に触発されて、国家と宗教をテーマとして取り上げてみました。一神教の苛烈さ、寛容性のなさというのはご指摘の通りで我々宗教に鈍感な多神教的な日本人には理解できない部分があると思います。今はクリスマスシーズンですが、私も米国留学中にユダヤ教の人に(ハッピー・ハヌカと言わず)「メリー・クリスマス」と言ってしまったり、トルコの留学生にカードを送ったりと「喧嘩売ってるの?」と言われかねない失態をしてました。西欧リベラリズムの寛容性のなさも一神教に原因があるのではという指摘もありました。今回のトランプ大統領の決定がどのような結果を生むのか、確かにパンドラの箱的でもあり、私も判らないというのが正直なところですが、私なりに西欧で理解されている国家と宗教の概念から推考してみたいと思います。

 

ご存知のように現在の国民国家の概念は1648年に30年戦争の結果成立したウエストファリア条約に基づいています。カソリックとプロテスタントという宗派の違いで「異端、異教徒は人間として扱わず皆殺しでよい」という常識があったものの、さすがに際限なく30年間も人殺しを続けることがいやになった人達が「戦争と非戦争の状態を分けよう」「国家と宗教は分けて考えよう」「異教徒であってもそれを理由に殺すことまでは止めよう」という合意(強制力のない合意法制)を国単位で作ったものがウエストファリア条約で、現在の国民国家のありかたの基になっていると考えられます。だからAという国の国民は特定の宗教、宗派でないといけないという憲法は近代国家においては存在しないことになっています。従ってイスラエルにもイスラム教徒はいますし、エジプトにもコプト教を信ずるキリスト教徒が多数暮らしています。

 

「国家における首都」をどこに置くかは、宗教とは一応関係なく国家主権の下に決められるべき事項ということになっています。米国はイスラエルを独立宣言と同時に国家と認めた第一号の国で、米国は未だパレスチナを国家として認めていません。「2国あっても良い国であれば良いのでは?」とトランプ氏は言及してパレスチナとの2国体制を認める発言をしましたが、まだ米国議会を含めて正式にはパレスチナを国家と認めてはいません。ところが国連はパレスチナを国家として認めている。日本も認めている。だから両国がエルサレムを首都に置きたいと言い合っている状態に対しては「両国が相談して決めてください。」という国連事務総長の発言は、国際法の上でも正しい反応と言えます。米国は国としてパレスチナを認めていないのでイスラエルが首都をエルサレムに置きたいと言えば「別に良いのでは」と反応することは国際法上何ら違法ではない。問題にするのならば、むしろ今までの民主党政権時代にエルサレムを首都と認めた議会の議決を否定し、しかもパレスチナを国家として認めるよう発議してこなかった怠慢(或いはイスラエルロビーの言いなりであったこと)こそ最大限批難されるべき事柄であるように思います。現在の日本のマスコミを含めて「トランプ批判キャンペーン」の一環でトランプのやることは全て「失態」とあげつらって批判していますが、殆どはオバマがやってきた事、失敗・遣り残してきたことの後始末をしているように思います。

 

「エルサレムをイスラムの聖地としては認めない」と「エルサレムをイスラエルの首都と認める」は別の話、エルサレムはキリスト教の聖地(聖墳墓教会があるし)でもありますが、今回の件でローマ法王は宗教の意味からは批判してないと思われます。私は20年ほど前にエルサレムを訪れて、嘆きの壁、岩のドームほか全て見て回りましたが、勿論宗教者として真剣に祈りを捧げている多くの人もいる中で、観光地として異教徒である私のような沢山の傍観者が出入りすることについて「礼を失する」ことさえなければ寛容であったように思います。当時でもイスラム統治地域でイスラエル側からの観光バスに投石があってガラスが割れたといった事件も起こっていましたが、単独で行動している分にはあまり問題なかったように記憶しています。

 

イスラム教と国家

 

そうは言っても、ウエストファリア体制はキリスト教同士の勝手な話し合い・取り決めであって、イスラム教には関係ないというのも正論。キリスト教はルネッサンスによって日々の生活が宗教(教皇)から開放されて、プロテスタントの倫理観によってなおさら科学や商売について「一生懸命励む事」は宗教上矛盾しない行為とみなされてほぼ日常生活の世俗化、非宗教化が完成していると思います。一方でイスラム教は日常生活全てに宗教がかかわっていて「世俗化」についてはいつも喧々諤々の問題になっています。ウエストファリア的な国家にとっては「世俗化」「政教分離による国民国家化」は都合が良く、現実的には中東諸国は世俗化した少数派による高圧的な政治によって多数を抑えることで「国家としての安定」が計られて来たのが最近の歴史だと思います。「民主化」をして国民の多数派が政権をとると途端にイスラムの本性が出て政教分離していない非ウエストファリア型国家ができてしまい、ウエストファリア型の国家からなる国際社会が困ることになります。その最たるものがほぼ絶滅しましたが「イスラム国」だったのだろうと思います。

 

前回の話題とも重なりますが、共通の経済的価値観で国家の壁を取り払おうというのがグローバリズムならば、共通の宗教的価値観でウエストファリア型の国家観を打ち破ろうというのがイスラム原理主義であり、拝金主義に基づく生活の強制をテロリズムによって強く否定する形で経済グローバリズムの完成に立ちはだかったのがイスラム教であったことも確かです。そして反グローバリズムも反テロリズムも結局ウエストファリア型の国家が再度世界規模で協調することで機能し始めているというのが現在の世界ではないのかなあと思います。

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2 コメント

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ありがとうございます (山童)
2017-12-16 22:26:24
私の拙いコメントを記事にまで取り上げて頂き恐縮しております。rakitarou先生の留学時代の失敗談は、実は私が鍼灸マッサージ師としての修行をさせて頂いた外科医院の院長先生もなさっているのですね。
これはかなり博識な知識人の方でも「ある」ようです。

さてウエストファリア条約は世界史で高校時代にならったのですが、そのような背景があるとは露知らずでした。
国境線を確定して、自国と仮想敵国との間に緩衝地帯を設けるのは、この条約を起源とする……と習った気がするのですが。
であれば独仏のアルザス・ロレーヌ地方のように言語や宗教が入り乱れる地域が、その緩衝地帯になるので、宗教による対立を宥める方向に進むのも間違いないような気がいたします。

そして、一番に勉強になったのは、先生の記事が何故に「アラブの春」が破綻したかを解読されている事です。
確かにイスラム圏は国境で仕切り、近代国家にした地域ではなく、シーア派、スンニ派はおれども、宗教でまとまってる広域圏ですね。オスマントルコ帝国までは。トルコ帝国の分割がそのまま中東の国境線になってますね。
するとジャスミン革命で民主化が進むと、漬物石となっていた王家やらの権威が相対的に低下しますから、それまで国政で非主流であった部族や宗派が台頭してきて主導権争いになると。
シリアのアサドのアラゥィー派は新聞にはシーア派と書いてあるけれども、一種の山岳宗派で
異端派だと聞きます。
サウジの王家の信じる宗派も、スンニ派でも主流ではないとか。
これらを押さえてきた強権が揺らぐと、非主流派が台頭して争いになると。
頭の痛いお話であります。
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追記 (山童)
2017-12-16 22:45:46
クリスチャンとして日本のコンテンツで不満な事が一つありまして。十字軍遠征について、キリスト教側の悪行ばかり日本の知識人はあげつらう気配がある事ですが。
人気アニメの「アルスラーン戦記」など、ササン朝ペルシャをモデルにした国と、キリスト教軍の戦記になってますが。
フランクの旗が横棒二本の十字になってる。
製作者の意図は?ですが、十字は一つではなく多数の種類があり、横二本十字は実は第1回十字軍の主力となったフランス諸侯の紋章です。
解ってやってるのかな?
十字軍が虐殺、略奪したのは事実ですけど、それには背景があります。
レパント会戦を見れば解りますが、実は西欧と
ムスリムの覇権は地中海を巡る海軍が主体で、
オスマン朝はアフリカ北岸を根城にするババリア海賊が主体なんですね。
イスラムは遊牧民ベドウィンを兵士としてますが、実はマホメットがそうであるように、都市の商人の宗教です。
であるので、伝統的に農業、手工業をやろうとしない風潮がある。これらに従事する者を奴隷狩りで調達していたのですね。
ギリシャに行くと、不便な崖の上に修道院や町があります。実はイスラム海賊による奴隷狩りからの防御手段なのです。
黒人奴隷貿易も西欧ばかり悪者にされますが、
奴隷狩りで莫大な収益を上げていたのは、ダホメ王国などの黒人国家と結んだアラブ商人なのですよ。クリスチャンがムスリムを嫌うのは、
彼らが大々的に地中海諸国を襲って奴隷狩りしていた歴史的背景があります。
十字軍の暴虐ばかり訴えるなら、アラブやトルコ、ムスリムの奴隷狩りは、どうなんだ?!
クリスチャンとしては思いますね。
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