rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

NHKスペシャルドラマ「聖徳太子」2001年製作 感想

2021-11-26 10:59:31 | その他

NHKスペシャルドラマ「聖徳太子」2001年製作 感想

聖徳太子(2001年製作のドラマ)公開日:2001年11月10日製作 作・脚本 池端俊策

出演者

本木雅弘(聖徳太子)、中谷美紀(刀自古)、宝田明(物部守屋)、ソル・ギョング(伊真)、國村隼、柄本明(穴穂部皇子)、近藤正臣(用明天皇)天然痘で死去、松坂慶子(推古天皇592年即位)、緒形拳(蘇我馬子)

 

2001年にNHKが製作したドラマ(聖徳太子1400回忌にあたる2021年ということで再放送)。聖徳太子の少年期から、摂政となり17条の憲法と冠位十二階の制定を行うまでが描かれる。太子(本木雅弘)が、年長の蘇我馬子(緒形拳)と精神的に対峙していくのを脚本家の池端俊策は書きたかったと述べており、当時30代の本木も、未熟な自分(太子)でありながらも、対等の立場で緒形(馬子)にぶつかっていくように演技をしたと語っている。この二人の絡み合いは緊張感の高い名シーンとなった。前半では、物部守屋(宝田昭)と用命天皇(近藤正臣)、中盤では推古天皇(松坂慶子)、後半では本ドラマのオリジナルの架空の人物である伊真(ソル・ギョング)が重要な役どころ。

物語は、重要人物の死(守屋、穴穂部皇子=柄本明、泊瀬部皇子=加藤雅也)や事件は史実を辿り、その中で馬子らが果たした役割などは、史実を離れて自由に描かれている。史実では、その詳細が明らかではない馬子の娘で、太子の妻、刀自古(とじこ=中谷美紀、子供時代は戸田恵梨香)が本作では活躍するが、これは、聖徳太子を描いた二つの名作漫画「日出処の天子」(山岸凉子)、「聖徳太子」(池田理代子)で活躍する刀自古のファンには嬉しいところ。

(番組の説明から)

聖徳太子の生涯

574(敏達天皇3)年 誕生

593(推古天皇2)年 推古天皇の摂政となる

603年 冠位十二階の制定

604年 十七条の憲法の制定

607年 第2回遣隋使を派遣

622年 薨御

 

NHKは時々受信料に相当するなと感心する良い番組を放送し、その感想をブログに記してきましたが、このドラマもその一つです。聖徳太子は知っているようで余り知らない歴史上の人物ですが、日本国創世記において国家の基盤を固める上で重要な役割を担ったことは間違いありません。当時をドラマ化するのは、6-7世紀頃の暮らしや風俗の再現という難題をこなさねばならず、余り見たことがない(製作されない)のですが、このドラマはかなり頑張って再現されていて、製作側の気合と資金の入れようが解ります。作・脚本は昨年の大河「麒麟が来る」を手掛けた池端俊策氏で、「麒麟・・」も大変面白く、毎回わくわくしながら見ましたが、このドラマも俳優陣の名演もさることながら、作・脚本の素晴らしさが光る内容で3時間の長尺ながら大河の総集編を見ている様で時間の足りなさまで感ずる内容でした。

 

推古天皇の時代と明治期は類似

 

聖徳太子の時代は、複数あった大和の王朝(宋の歴史書では5つの王を決めたと)が一つになり、神話を現実化して「記紀」としてまとめ、天皇家として安定化させて行こうとした時代と思われます。中国をまとめた「隋」に使者を送り、倭国の王としての権威化を図るために「国家の体裁」を整えるため太子が「冠位十二階」や「十七条の憲法」の制定に関わった事は歴史で習った通りです。言わば国家として大陸に国際デビューを果たす時代だったともいえるでしょう。一方で明治も日本国が西洋文明社会の一員として国際デビューをするために「帝国議会設立」や「大日本帝国憲法」の制定を突貫工事で行った事は類似しています。奇しくも現在の大河は「渋沢栄一」であり、類似した時代を描いた作品としてどうしても比較してしまいます。申し訳ないけど「渋沢・」の方は幼稚、適当、単調、であり作りは朝ドラレベル(15分ぶつ切り番組という意味)で、昨年の「麒麟が来る」の「次はどうなるだろう」とわくわくして視る面白さとの対比が大きすぎてあまり評する気にもなりません。この「聖徳太子」は池端さんの脚本で大河ドラマ化して太子の半生でなく全生涯を描いても見ごたえのある作品になるだろうと思わせるものでした。

十七条の憲法と冠位十二階

 

歴史的事実と創作

 

当時の風俗や音曲などの再現は、創作としてもかなり工夫が凝らされていると思います。百済の使者や宮廷では百済言葉(韓国語)で会話するとか、戦争の場面では中国古代のフシュクと呼ばれる目を強調した娘たちを侍らせて相手を威嚇するといった風習も取り入れて再現していて、弓矢も矢じりはないものの本当に飛ばすなど手抜きがありません。物語も柄本明演ずる穴穂部皇子が松坂慶子演ずる額田部皇女(後の初の女帝推古天皇でとても魅力的)を犯そうとする話や、今田耕司演ずる小野妹子を隋に派遣して一回目はけんもほろろに追い返される話など歴史的事実に即しながら、現代的な脚色も行ってドラマに仕上げてゆく内容がとても面白いと思いました。

 

「和を以て貴となす」は平和主義の結果か

 

このドラマの主題でもあり、歴史上も2度に渡って加耶(任那)の権益を守るために百済と組んで新羅を相手とする出兵を試みたが、筑紫まで行って止めたという事実があり、憲法一条の「和を以て貴となす」と合わせて聖徳太子が「民を想う平和主義の現れ」である、という流れでドラマが進んでゆくのですが、これは多分創作だろうと思います。現実主義の蘇我馬子と仏法の理想を追求する聖徳太子との対立を上手に描いていて見ている方も手に汗握り、感情移入してしまう展開ですが、現実には物部や大友などの力のある豪族を抑えてまとめてゆく上での苦心の結果だったろうと思います。斑鳩に宮を作って仕事をしたのも他の豪族からの横やりを防ぐ、ある意味明治の東京遷都にも通じるものだったかもしれません。しかし戦後、聖徳太子を「札の絵柄」に使おうとして進駐軍に文句を言われた際に、当時の係官が「太子は平和主義だった」と説得して許してもらったという逸話もあり、日本の心を代表する人として伝えてゆく事も良いとも思います。聖徳太子の時代も中国の遠交近攻の策を日本が取っていて、遣隋使もその一環で戦わずして利を得る事を模索していたというのは歴史のダイナミズムを感じます。例の「日出づる所の天子・・」の挨拶文は「天子を同等に記した」として煬帝が激怒したと言われていますが、妹子らの使者を切らずに帰した事から「侮られぬ様はったりをかます」策としては大成功だったのではないか、弱小国ながら種々工夫をしていたのだなと思わせます。

聖徳太子と煬帝

世界が新しい時代に移行せんとする現在において、聖徳太子の時代を顧みるのも日本人としての生き方の原点を考える上で有用かもしれないと思いました。

コメント (5)
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