チェコの新興模型メーカー、ブレンガン製のヘンシェルHs126を作りました。ヘンシェルHs126は第一次大戦後にドイツの再軍備の機運が高まった1933年、ドイツ航空省から操縦性に優れ、全周性の視界が得られる偵察連絡用の航空機開発を指示された各メーカーから、鉄道車両などを主に手掛けていたHenshel社が提示した機体です。
箱絵は最近の潮流でデジタルながら洒落た体裁で機体の特徴を良く表しています。
当初Hs122という機番で開発が進みましたが、細い胴体に特徴的なパラソル翼で乗員からの良好な視界が得られるという物でした。エンジンをBMW132 880馬力にし、Hs126Aとしてスペイン内戦にも参加しました。その後850馬力のブラモエンジンとしてHs126Bが600機量産され、電撃戦における陸軍の直協機として各戦線で活躍しました。後に連絡機としてはより短距離離着陸が可能なフィゼラーFi156シュトルヒが決定打として導入され、偵察機としては双発双胴のフォッケウルフFw189が実用化されて、Hs126は大戦後半にはグライダー曳航や雑務に使用される事が多くなりました。最大速度358km 航続距離710km 爆弾搭載量100-150kgとやや中途半端な性能ですが使い勝手は良く、荒れ地での離着陸も可能であったため大戦初期には各方面で汎用されました。機体の胴体側面には謎の斜め線が実機にも描かれているのですが、急降下爆撃の際に僚機から降下角度を見る目安の様にも見えます。文献を当たっても説明がないのですが、ユンカース87の様な4000m近くの高高度からの本格的急降下爆撃には機体が耐えられないはずで、せいぜい1000m位からの軽い攻撃用(爆弾搭載量も100kgですし、本機は実際夜間眠らせないための嫌がらせ爆撃に使われた由)であったと思われます。ドイツは米海軍式の編隊一斉降下による爆撃方法(日本は一線に並ぶ各個爆撃)であったので自分では見えない胴体側面の記載でも役立ったのかも知れません。
模型は新しい金型で作りやすく設計されていて操縦席も細かく作られていて出来上がりも綺麗です。接合も比較的良好で細かいエッチングパーツをつける場所も小さい筋彫りが入っているなど取り付けに困らない配慮がされているところが良いと思いました。塗装は下面ライトブルー、上面ダークグリーンとブラックグリーンの典型的な折れ線明細で1940年のフランス戦線仕様として指示されている物にしました。デカールが多いので胴体と翼を組む前に貼ってから最後にパラソル翼を取り付けて完成にしました。ユンカース87と比べると同じ二人乗りながら割と大型の機体であることが判ります。尾輪の後ろにはグライダー曳航索の取り付け金具が付いています。