米国の中間選挙は数の上では下院の民主党勝利、上院の共和党勝利で終了し、その力配分による議会と政治の運営が新たに始まったところです。下院では反トランプの民主党が勝利したので、ロシアゲートをきっかけに議会による大統領弾劾裁判にまで持ってゆく画策がなされてゆくものと思います。ロシアゲートというのは虚構であって中身がないものであることは既に明らかなので、モラー特別検察官はロシアゲートというのがあるように見せかけた上でトランプ大統領本人を召還して、関係ない質問に答えさせ、その内容の不備を付いて偽証罪で有罪にするという計画があることまで明らかにされています。私のような外国の一市民までがこの計画を知っているくらいですから結果的にはうまく行くはずはないでしょう。問題は昨年一時話題になったもう一つの民主党側ヒラリーとクリントン財団にかけられた第二のロシアゲートとされるものでしょう。
日本では話題にならないウラニウム・ワン事件についての海外の報道
これはカナダの大手ウラン製造会社であるUranium oneの株10%を2010年にロシア国策企業が購入する手助けを当時与党であった民主党のヒラリーが行い、謝礼としてクリントン財団に数百億ドルが支払われたというもので、核兵器の原料となるウラニウムの購入が株主であるロシアがやりやすくなるという国防上の大問題であると騒がれた内容です。これを大問題とする勢力とウラン産出国はカザフスタンやコンゴなど他にもあるので大きな問題ではないとする立場の人達もいるのですが、元々存在しないトランプのロシアゲートよりは中身がある分本物といえるでしょう。しかもこれをニュースとして扱ったNY timesなどの記事はよほど都合が悪いと判断されたのか昨年から今年にかけてリベラル系のメディアからは削除されて閲覧できなくなっています。問題ないものであれば削除の必要はないはずです。
カナダがウラン産出国であることは余り知られていませんが、広島・長崎に使用された原爆はカナダで産出されたウランを原料にしていますし、このマンハッタン計画を推進した科学者達の中にはカナダ人やカナダの大学で学んでいた者も沢山いました。またケベック協定といって原爆を世界で始めて製造するにあたって、原案を出した英国、原材料を出したカナダ、資金と製作を担当した米国の3国が作られた原爆の使用や管理についてこの3国の合意が必要であるという協定が結ばれていたことも知られていません。日本に対する原爆の使用も1945年7月4日に開かれた米英加の代表者による「合同方針決定委員会」で同年5月31日に米国内の暫定委員会で決議された内容が英国、カナダの代表(首相の同意も得ている)によって承認されて決まったことです。このあたりの事情は有馬哲夫著 「原爆 私たちは何も知らなかった」(新潮新書782 2018年9月刊)に詳しく述べられています。この本を読むと
・ 核エネルギーが当初ドイツにおいても石油などのエネルギーに代わるものとして研究され、兵器としての使用を前提にしていなかったこと。
・ 原爆はドイツが先に作ることを阻止するために鋭意米国を中心に研究作成されたこと。
・ 原爆を作る能力がない日本へ使用することはチャーチルが推奨し、人種偏見のあるルーズべルトも賛成であったこと。
・ 終戦間際にソ連への牽制のために敗北が明確であった日本に無理に使用したこと。
・ 無予告で市民に対して使用することは科学者や米軍人、英国も不賛成であったがやはり人種偏見と日本への復讐心のあるトルーマンが使用を決定したこと。
などが近年解除された公文書など豊富な資料をもとに説明され理解できます。
特に無予告で市民大量虐殺を目的に原爆使用が決定されたくだりは、近年まで原爆について良く理解していなかった急遽大統領になったトルーマンが既定方針に従って決定し、市民の犠牲の多さから3発目以降の使用を控えさせたといった定説がありましたが、ソ連への政治的配慮と劣等民族の真珠湾攻撃成功に対する復讐心から市民虐殺になることを敢えて知りながら周りが反対していたにも係わらず使用決定が下されたことが暴露されます。日本は原爆の激しさに恐怖して終戦を決定したなどと言われていますが、終戦の決定はかねてから(1945年春に閣議で決定)米英に終戦の仲介を頼んでいたソ連が8月9日に参戦(参戦自体は原爆の使用でスターリンが早めたとも)したことが決めてになったのであってラジオしかない時代に数日で原爆の大損害が正確につかめて急遽終戦の決定が下されたわけではない事も確かなのです。だから原爆使用が日米の次なる戦争犠牲者を沢山救ったなどというのは「原爆正当化のための嘘」でしかありません。Tシャツに原爆を染め付けるのも「日本人虐殺賛美」の意味しかないことは明らかなのです。
無予告で市民大量虐殺を行うという「戦争犯罪を犯す」ことを当時のまっとうな米国軍人や政治家達は真剣に恐れていたことが明らかにされた公文書から判ります。原爆の使用について「予告をした上で小さい島などに投下」してその威力を判らしめ、降伏を促すという案が強く推奨された時期があった事も明らかにされます。また科学者達は近々ソ連も原爆を作るであろうから米国のみが持っている段階でソ連にも作成法などの秘密を明らかにして国際的共同管理(IAEAのような)にする事をトルーマンにも強く推奨した経緯などが明らかにされます。そうなっていれば人類を数十回絶滅させるほどの核兵器を米ソが持つ必要はなかった可能性がありますし、インドパキスタン、イスラエルや北朝鮮が核を持つこともなかったかも知れません。
原爆製造には当時の米国自動車産業と同等、後のアポロ計画と同等の資金と人の投資が行われたと言います。そのうち、ウラニウムの生産と科学者として技術の提供をしただけのカナダの発言力はさほど大きくはなかったでしょう。独立国と言っても英国の属国であり米国に種々の面で首根っこをつかまれた状態のカナダには大きな責任はないかも知れません。しかしロシアゲートの件など目立たないなりに国際社会を動かすバイプレーヤーの一つとして今後の世界情勢の一角を占めるかも知れず目が離せない存在のようにも思いました。