rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

日米の反共(アンチコミュニズム)の違い

2014-02-05 00:21:33 | 社会

またしばやんさんのブログにコメントを書いていて成る程と納得したことに、「日米の反共産主義の違い」について思い当たることがありました。

戦前においては、共産主義は思想的に危険なものとされ、特攻警察などから取り締まりの対象にされましたが、それは「労働者に全ての権力が付与される」事が「天皇制の否定」につながるから日本国の社会秩序に反するものとされたからで、資本主義を否定し、計画経済を実行すること自体は問題視されていなかったと思われます。

 

一方で米国においては、国民主権で階級制が否定される事はむしろ建国の理念でもある訳で、自由に金を儲ける「資本主義の否定」こそが反共の主たる目的であったことは、現在のオバマケアと呼ばれる国民皆保険に対する執拗な抵抗を見ても明らかです。米ソは戦後世界を共に支配するために共闘して第二次大戦を戦った兄弟国家であり、遡ればロシア革命の成立も資金源にユダヤ財閥が付いていた経緯があり、経済体制を対立させた上で共に陰で支配するという戦略を取るためには米国にとって社会主義経済を敵視させる事は重要な戦略だったと思われます。

 

戦後の日本における反共は、天皇制否定や計画経済への嫌悪というよりは、ソ連や中共、北朝鮮といった社会主義国家に対する「国」への敵視とほぼ同一だったと思われます。私が大学生の頃は経済学といえば「マルクス主義経済学」花盛りの時代で、「近代経済学」などゴミのような扱いを受けていました。だからこの頃経済学部を出た人達は資本主義経済で実践的に役立つ知識がなく、銀行や企業における人材も、理系が世界に伍して行く優秀な人が多いのに反して今ひとつであり、日本発でノーベル経済学賞を取るような人材も育ちませんでした。しかし基本的な所からみっちりマルクス主義を学んだ人達はあまり拒否反応を示さないで納得した上で「けっこう良いのでは」と思っていた人は多かったように思います。

 

しかし、戦後の日本における反共は、マルクスを「価値観」などの基本的な考え方から勉強して必然的に原始共産制に移行する段階としての共産主義体制に納得できないから反共というよりは、ソ連や中共が気に入らないから反共という好き嫌いのレベルでの判断の方が大勢であったように思います。国際勝共連合という統一教会系安倍総理とも関係の深い怪しげな団体が私が大学の頃からありましたが、現在そのホームページなどを見てもしきりに反共はアピールしているのですが「国」が気に入らないのか、「経済」が気に入らないのかすっきりしません。もっとも、先頃亡くなった「教祖」の方は北朝鮮とも密接なつながりのあった韓国の方であり、普通の日本人がまじめに考える対象とはならないものだとは昔から感じていました。

 

Wikipediaの反共の項は様々な反共のあり方についてまとめられていて興味深いのですが、さきのしばやんさんのブログでも触れられていた戦前、戦中、軍の中枢にまでかなり共産主義のシンパが入り込んでいたのではないか、という指摘はWikipediaでも近衛文麿が共産主義から国家社会主義へ転向した多くの革新官僚らを評して「国体の衣を着けたる共産主義」と述べたことが紹介されていることからも真実だろうと思われ、貧富や身分の差がなく、国民全体が同じ方向を向くことに抵抗がない日本において、共産主義は受け入れやすい思想なのかもしれないとも思われます。

 

私的には「共産主義」の信奉者がやっていることは「権力闘争」ばかりで、一派に属さない者を迫害・総括し、日本人の美徳である和を重んじることがない点で「嫌い」であり、思想的に「原始的資本主義」よりは素晴らしいとは思いますが「資本主義と共産主義のいいとこ取り」をしつつ皆が幸せになる社会を築いて行くのがあるべき姿だろうと考えます。

コメント (3)
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