アラブの春が始まって2年が経ち、チュニジア、リビア、エジプトの専制国家体制が崩壊しましたが、シリアでその流れは行き詰まり、シリア内戦は死者10万人を超えてアサド派、反政府武装勢力にクルド人勢力が第三勢力として反政府軍と対立を初めたと言われており、状況は混乱を極めています。
民主的な選挙によって昨年新体制が確立したエジプトでは7月3日に軍部によるクーデターが勃発して事実上民主的に選ばれた政権は崩壊。欧米諸国や他の中東産油国などはクーデターをおこした軍部を早速支持する声明を出すなど「民主的な選挙で選ばれたアラブ諸国の政府は他の資本主義国家群には不都合」という決断が下される事態が起こっています。
少なくとも米欧の民主主義国家群にとって、民主的な選挙によって為政者が選ばれる事は「民主化」として歓迎されるべき「国是」であるはずです。そもそも第二次大戦は「自由と民主主義を守る」という大義の下に多くの犠牲を払って戦われたのであり、我々敗戦国も「世界に自由と民主主義が確立された」ことを持って自分達の犠牲も無駄ではなかったと納得したはずでした。戦後の東西冷戦は「民主主義と社会主義の対立」「資本主義と社会主義経済の対立」という二つの対立軸で争われて「民主主義と資本主義が勝利」したことになっています。では何故今回エジプトにおいて、欧米諸国はモルシ政権側を徹底的に援護しないでクーデターをおこした軍部をさっさと支持してしまうのか疑問に思うのが当然です。
アメリカの民主主義を研究したアレクシス・トクヴィルは、「民主化」という概念を、国民主権の確立、普通選挙の実施、市民社会の成立、立憲主義などさまざまな民主主義的政体の形成過程が進む事を「民主化」と定義しましたが、近代民主主義の特徴である選挙による為政者の選出(と政権交代があること)は、「民主化」の過程で必須事項であるはずです。これらの定義を満たしているにも関わらず、アラブの民主化に不都合を感ずる理由として考えられるのは、民主化によって選ばれた政体が「イスラム教的だから」というほかないでしょう。
西欧社会の民主化においては、歴史的に日常生活を教会法で束縛されていた状態からルネッサンスによって政教分離がなされ(ギリシャ・ローマは別ですが)、日常生活的な「王の法」関連の事象については各人が神から与えられた「自然権」が確認され、「本来完全に自由に振る舞える」権利の一部を国家に提供する形で、社会を律する国家が形成されました。そして国家の為政者は代議制の名の下に「普通選挙」によって選ばれることが近代民主主義の原則とされます。為政者の政策が国民のためにならなければ「次の選挙によって為政者が交代することで国民主権が保持される」というのが原則です。
このように西欧では歴史的な経緯から政教分離がなされていた訳ですが、イスラム諸国においては政教分離がなされていなくても「普通選挙」で選ばれて、「政権交代が可能」であるなら本当は民主主義といっても良いはずです。為政者が宗教的であろうが、専制的独裁的であろうが、国民から駄目だしがなされて次の選挙で政権交代がおこるならばそれは民主主義国家であり、諸外国が好き嫌いを言う事は内政干渉以外の何者でもありません。
いままでのアラブ諸国は非宗教的(世俗的)な為政者が西欧自由主義社会と良好な関係を維持していて、イスラム諸派や国内のキリスト教徒らの対立は専制的な手法で押さえ込んできたのが実情でした。「民主主義とは多数派による独裁政治である」という評価もあるように、政治体制が特定の宗教の教義に従うものになった場合、多数派に属さない教義を持った宗教の信者達にとって、その政体は多数決で決められたものであっても苦痛以外の何者でもないわけで、その意味では政教分離がなされていない民主主義は最善のものとは言えない、「民主主義なら何でも善」ではない、ということになるのでしょう。
我々日本人は幸いにして一神教の厳格な信者は少なく、宗教的なものは適当に全て受け入れる寛容性があります。戦前においても天皇は神の一人であって、天皇自身が様々な神事を行って日本を作った神に仕えていたのですから、「主権者は天皇から国民に変わったよ」と戦後言われれば「ああそうですか」と比較的柔軟に受け入れる事もできたのでしょう。その意味では日本はもともと政教分離がなされていたからすんなり民主制に移行できたといえるかも知れません。
トルコにおける内乱も政治における宗教性と世俗性のせめぎ合いが元ですし、イスラム社会においてはこれから政治と宗教をいかに住み分けて行くか、が大きな課題と言えるでしょう。西欧諸国が行っている「テロとの戦い」の解決も実は武力による戦争ではなく、「イスラム社会の政教分離」が本当の解決につながるのではないかと私は思います。