rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 ひとりでは生きられないのも芸のうち

2012-05-10 00:27:51 | 書評

書評 ひとりでは生きられないのも芸のうち 内田 樹 2011年 文春文庫

 

変った題名の本ですが、内田樹 氏のいつもの「判りやすさ」と「ウイット」に富んだ内容を表わしたものと思います。著者が前書きで述べているように、この本の主旨は「当たり前すぎて敢えて口に出して表現しなかったことを敢えて評術することで現代における問題を浮き彫りにしよう」とするもので、氏の書き連ねているブログから若い人に身近な「結婚」「家族」「仕事」といったトピックを特に選んで編集したもの、と言えます。

 

当たり前すぎて云々・・というのもやや抽象的な物言いですが、より具体的に言うと「江戸時代以来無意識の内に日本人に連綿と続く社会や家族の慣習や考え方、エトス」といったものを改めて表出してみることで、現代の問題とされることが意外とその常識を否定したり無視したりすることで起きているのではないか、ということを提起した本と言えます。

 

人間は一人では生きられない、社会を形成して、役割分担をし、自分でできないことを他人にやってもらうことで初めて生きてゆけるし、社会を形成する個々人が自分のできることをより沢山することで社会全体が豊かになってゆく、ということが全体を貫くテーマであり、「ひとりでは生きられない・・」という題名が表わす内容と言えます。

 

市場経済的考え方では「より少ない負担でより多くの物を得る」ことが市場的には正しい行いとされています。これに従って、個々人が仕事として社会に対して行なうパフォーマンスがより少なくなり、得るものをより多くしようとすれば社会全体におけるパフォーマンスが少なくなり、社会が貧しいものになります。だから得る物以上に奉仕をするオーバーアチーブメントの部分を誰もがもつことによって社会全体としてはより豊かなものになる、というのです。

 

病院におけるモンスターペイシャント、学校におけるモンスターペアレントに代表されるように、現代社会は「とにかくクレームを付けさえすれば誰かが責任を持って状態を改善してくれるもの」という前提で動いています。そのお先棒を担いでいるのがマスコミですが、クレームを付けられた側で「かしこまりました、改善いたします。」と夜を日に継いで社会システムの改善に取り組む人間、言うなれば社会の維持にとって欠くべからざる「大人」の人達がどれくらいいるかについては確認されていません。実はクレームを付けさえすればどこかの誰かが責任を持って社会システムを一生懸命改善してくれるという世の中は損得で物を考える市場原理主義的思考が中心になった日本にはもうないのではないか、というのが内田氏の主張です。内田氏は5人に一人位、オーバーアチーブメントをして社会に奉仕してくれる大人がいれば社会は崩壊しないですむ、と言います。5人に一人は少ないようにも見えますが、常に同じ人がオーバーアチーブをする必要はなく、時と場合によって適宜奉仕する人が入れ替わる事で社会はうまく回ってゆくということです。

 

確かにわが家では5人家族で現在私がオーバーアチーブメントをして家計を支えていますが、いずれ子供たちが支えてくれることになるでしょうし、今でも休みの日は明らかに家内の方が仕事量が多いです。職場においても現在は小生が病院内では給料が同じなのに他の医師よりも仕事も売り上げも多いと思いますが、かつて研究医をしていた時は誰かが私の分医療を沢山行なっていてくれたから研究に専念することができた訳です。

 

「何でも一人でできる」というのは必ずしも理想的な生き方ではない、「他人に頼って生きることができる」方が実は強いのだ、つまり曹操よりも劉備のような生き方の方が強いというのも氏の主張の中に出てきます。身近な話題ですが、つい先日7時間にわたる膀胱全摘の手術を行ないました。数年前ならば8−9時間の手術でも平気で休みなく術者として完遂できていたのですが、先日は4時間を過ぎたあたりでへばってしまい、若手が外来を終わって手伝いに来てくれるのを見越して、手術着を着たまま座って休憩してしまいました。途中尿管に癌が浸潤していたので数回病理に迅速の検体を提出して尿管がどんどん短くなる試練とか、思わぬ所で出血をする試練とか疲れる要素は沢山あったのですが、「改めて年齢を感じる」結果に我ながら唖然としてしまいました。そんな時にこの本の題名を思い出して、無理せず「疲れたからしばらく術者を代わってくれ」と正直に弱みを見せるのも実は人間としての強みかも知れないと思い直した次第。勿論手術は無事終了して結果は良好、チームとして良い成績を出せれば個人として弱い所があってもそれでよいのではないかとこの本から学んだように思いました。

 

この本には「手術で疲れたら休んで良い」などとは一言も書いてないのですが、次にブログに取り上げようと思うEUとグローバリズム市場の問題については単行本が出されたのが2008年であるにもかかわらず間接的に触れられています。つまり社会の歴史に基づく考え方と市場の利益中心の考え方が会わない場合が多々あり、個の利益や独自性の追及が市場のや利益の拡大には有用だが豊かな成熟した社会の維持を困難にさせている例を種々紹介しています。

 

社会を維持するために損得を考えずオーバーアチーブメントする(滅私奉公するとも言える)ことは個人の引きだしを多くすることでもあり、個の拡大にもつながります。クレーマーが拳を振り上げて「責任者出てこい!」と言ったときに「私が責任を持って社会を維持している者ですが何か?」と堂々と言えることがいかに素晴らしいか。当たり前すぎて普段活字にはならない内容かもしれませんが、実に大事な事だと思いました。

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