2000年5月10日水曜日、いつものようにコーヒーを飲みながら朝刊をめくっていた私は
目を疑った。一面を使った広告としてブランキー・ジェット・シティー解散の文字がでかでかと
載っているではないか。それは同時にニュー・アルバム「HARLEM JETS」の発売広告でも
あったのだが、そこには紛れもなくBRAND NEW & LAST ALBUMとあった。ご丁寧にも
ラスト・ツアーの日程まで記されていて冗談でも何でもなく、私はそれが真実であることを
受け入れざるを得なかったのである。
もうとっくにどこかで解散の真実なんてのが語られているのかもしれないが、日本の
ミュージシャンのインタビューが載るような雑誌を一切読まないので、私は未だに解散の
本当の理由を知らない。ブランキーのようなバンドは、ギャングの鉄の掟ではないが、
仲間同士の結束で何処までも突き進むものだと勝手に思っていたのだから、解散は
なかなか信じられなかったものだ。受け入れ難かったと言うのが正確かもしれない。
あれから13年。最後のツアーを徹底的に追いかけたドキュメンタリーが遂に登場した。
ライブ映像の商品化には積極的だったバンドであるが、ステージ裏の緊迫したやり取りを
ここまで見せる映像は無かったので、今までのどの映像作品より興味深いシーンが多い。
解散が決まっているのに、更なる高みを目指すためのやりとりは、見ていて「凄い」という感覚と
「やりきれない」という感覚が混ざり合って私に伸し掛ってくる。ライブのアンコールでセッションを
敢行し、それが凄まじいテンションで1曲、或いは2曲3曲と結実していく様は壮絶である。
セッションとかジャムなんていうと、キーを決めておきまりの小節数のブルーズを演ったり
順番に長々としたソロを回していくパターンを思い浮かべる方もいるだろうが、そんなものではない。
そこにあるのは張り詰めた緊迫感であり、真剣勝負であり、信頼の確認である。
ツアーの途中でメンバー間のわだかまりが生まれた時、セッションが回避されたというのも
生き物として進化し続けたバンドの在り方をストレートに表している。
最強のトライアングルであるが、正三角形であるべきその姿が常にそうだったというわけではない。
バンドの中で自分のポジションに疑問がわく瞬間というのもあるだろう。自分自身に問い、
メンバーに確認することで状況を打破する作業というのは、どんなバンドにも起こりうることだが
ブランキーのようなバンドであれば個々人に求められるレベルは恐ろしく高くてハードなものだから
三人の沸点がそのまま消失点に繋がったのだろうなと、私は解釈して今に至る。
昔は良かったとか凄かったとか言いたくはない。それだとまるで単に先に生まれて体験したという
ただそれだけで、「60年代や70年代のバンドの○○や××は凄かった。それに比べて・・・。」と
いう物言いと何ら変わらない。ただ、リアル・タイムで聴いたという点を差し引いても、私にとっては
後追いでレコードやCDで聴いた60年代から80年代のほとんど全てのバンド以上の衝撃が
ブランキー・ジェット・シティーにはあった。私にとっては、の話だけど。
10代はとっくに終わっていたけれど。
以前も書いたが、夜の富士急ハイランドで家族連れのブランキー・ジェット・シティーご一行様に
出くわしたことがある。家族連れだったので遠巻きに見ていたが、ベンジーが一人になった瞬間に
一言だけ声をかけた。ベンジーにしてみれば、よくある日常の煩わしいワン・シーンだったろうが、
それでも適当にあしらってくれて嬉しかったものだ。
解散を発表した時の新聞は今も残してある。アナログ盤の「HARLEM JETS」の中に入れてあるのだが
久しぶりに取り出すと、いきなり時間が13年前に巻き戻されてしまった。そして、今回の映像を見て
彼らの別格を確認し、前進することの意味を考えるのであった。