リマスターCDを聴くと、いつも思う事がある。
CD創世記に作られた物の多くは単純にCDというフォーマットで
聴けるようにしただけの物だったが、今では機材や再生装置、更にCDの
素材の進歩や変遷に対応するために、その時点で尤も再生に相応しいように
再発されるCDの多くはリマスターが施されている。
しかし、いくら最善策が取られても「オリジナル」でないというのも事実だ。
元々、その音源が発表された時点でアーティストが満足のいくものであった
のなら結局のところ、リスナーとしてはオリジナル盤を聴くのが
正しいのかもしれない。私はオリジナル盤に1万出すのなら別のCDを
5枚聴きたいというタイプなので、オリジナルより安価で今のフォーマットで
良い音を聴くことができるなら、それで良いと思っている。
つまり、オリジナル盤崇拝者では無いということだ。
もちろん、リマスター時点で最良のマスターを使っていることが前提だが。
発売された際のカッティングが悪くてオリジナル盤の価値は
ヴィンテージであるという唯それだけであったり、制作上の時間や予算の
都合で、アーティストの意思に反して世に出た物もあるわけで、
それでもオリジナル盤が有り難いか、という皮肉もあることはある。(笑)
映画の世界にも同じような事は多々ある。
現在、DVD以降のフォーマットで見ることができるサム・ペキンパー
監督の「ビリー・ザ・キッド 21才の生涯」もその一つ。
73年の公開時、MGMとの折り合いが悪かったサムが完成版とした映画は
サム自身が思う決定版では無かった。で、話が戻るが今私たちが見ることが
出来る「ビリー・ザ・キッド」は監督の意図を反映した「1988 TURNER
PREVIEW VERSION」で、サムが言うところの「決定版」である。
サムは84年に亡くなっているが、MGMから「あれを削れ、これを変えろ」と
言われる前の段階の映画として、このバージョンをベストとしていたわけで
つまりは、最初に世に出た映画とは全く違うわけだ。
「それでも、オリジナルがいいかね。」と言われたら、「オリジナルが一番」と
言う勇気は私には無い。えっ、音楽と映画は違うって?。
「俺のとは違うな。」(笑)
更に、再編集を加えた「2005 SPECIAL VERSION」というのもあるが、
これはリミックスというもので、好き嫌いは見る人に任せる。
おっと、まだリタ・クーリッジに触れていなかった。
リタがミュージシャンであるのは早くから知っていたが、音楽を聴くより
早く映画「ビリー・ザ・キッド」を見たので、未だにその印象が強い。
もちろん目的はボブ・ディランだったのだけど。
約20年前の初見時はビリー役のクリス・クリストファースンと夫婦だとは
知らず、尚且つ「映画出演でいきなり、バスト・トップを出すの?」なんて
驚いたことを今でも覚えている。
経験値が上がると、ドニー・フリッツなんて名前も覚えるわけで彼が
端役で出演しているのをエンド・クレジットで見つけ、また見直したり。
ディランに銃床で殴り倒されるのは複雑な気分だったろうに。
それにしても凄い映画だ。
冒頭でジェームズ・コバーン演じる保安官パット・ギャレットは暗殺される。
老後の保身を考えそれまでの自分を殺し保安官に転身し、仕事故にかつての
仲間ビリーを文字通り殺し、その30年後に自身も暗殺される。
冒頭に既に暗殺された事実を提示されると、パットのやることなすことの
虚しさが映画を見ている間中、増幅されてしかたない。
これも複数回見て気がついたが、「さらば青春の光」の最後でジミーの
スクーターが断崖から落ちたシーンでも、映画の冒頭で過去に決別した
ジミーが海岸を去るシーンを配置したために安心して見られるのとは違って
最後まで暗い感覚を残す映画だ。
あれ、リタ・クーリッジに触れなきゃ。
掲載写真は3枚目で、本当は1枚目や2枚目の方が好きであるが
ここでこのジャケットを掲載しないと、リンダとカーリーの
前振りの意味が無くなってしまうじゃないか。(笑)
本当は裏ジャケの写真の方が好きなのだけど。
内容は最近紙ジャケ化されたので、そこらじゅうで記事が見られるだろうから
いいだろう。
LOVELY RITA !
CD創世記に作られた物の多くは単純にCDというフォーマットで
聴けるようにしただけの物だったが、今では機材や再生装置、更にCDの
素材の進歩や変遷に対応するために、その時点で尤も再生に相応しいように
再発されるCDの多くはリマスターが施されている。
しかし、いくら最善策が取られても「オリジナル」でないというのも事実だ。
元々、その音源が発表された時点でアーティストが満足のいくものであった
のなら結局のところ、リスナーとしてはオリジナル盤を聴くのが
正しいのかもしれない。私はオリジナル盤に1万出すのなら別のCDを
5枚聴きたいというタイプなので、オリジナルより安価で今のフォーマットで
良い音を聴くことができるなら、それで良いと思っている。
つまり、オリジナル盤崇拝者では無いということだ。
もちろん、リマスター時点で最良のマスターを使っていることが前提だが。
発売された際のカッティングが悪くてオリジナル盤の価値は
ヴィンテージであるという唯それだけであったり、制作上の時間や予算の
都合で、アーティストの意思に反して世に出た物もあるわけで、
それでもオリジナル盤が有り難いか、という皮肉もあることはある。(笑)
映画の世界にも同じような事は多々ある。
現在、DVD以降のフォーマットで見ることができるサム・ペキンパー
監督の「ビリー・ザ・キッド 21才の生涯」もその一つ。
73年の公開時、MGMとの折り合いが悪かったサムが完成版とした映画は
サム自身が思う決定版では無かった。で、話が戻るが今私たちが見ることが
出来る「ビリー・ザ・キッド」は監督の意図を反映した「1988 TURNER
PREVIEW VERSION」で、サムが言うところの「決定版」である。
サムは84年に亡くなっているが、MGMから「あれを削れ、これを変えろ」と
言われる前の段階の映画として、このバージョンをベストとしていたわけで
つまりは、最初に世に出た映画とは全く違うわけだ。
「それでも、オリジナルがいいかね。」と言われたら、「オリジナルが一番」と
言う勇気は私には無い。えっ、音楽と映画は違うって?。
「俺のとは違うな。」(笑)
更に、再編集を加えた「2005 SPECIAL VERSION」というのもあるが、
これはリミックスというもので、好き嫌いは見る人に任せる。
おっと、まだリタ・クーリッジに触れていなかった。
リタがミュージシャンであるのは早くから知っていたが、音楽を聴くより
早く映画「ビリー・ザ・キッド」を見たので、未だにその印象が強い。
もちろん目的はボブ・ディランだったのだけど。
約20年前の初見時はビリー役のクリス・クリストファースンと夫婦だとは
知らず、尚且つ「映画出演でいきなり、バスト・トップを出すの?」なんて
驚いたことを今でも覚えている。
経験値が上がると、ドニー・フリッツなんて名前も覚えるわけで彼が
端役で出演しているのをエンド・クレジットで見つけ、また見直したり。
ディランに銃床で殴り倒されるのは複雑な気分だったろうに。
それにしても凄い映画だ。
冒頭でジェームズ・コバーン演じる保安官パット・ギャレットは暗殺される。
老後の保身を考えそれまでの自分を殺し保安官に転身し、仕事故にかつての
仲間ビリーを文字通り殺し、その30年後に自身も暗殺される。
冒頭に既に暗殺された事実を提示されると、パットのやることなすことの
虚しさが映画を見ている間中、増幅されてしかたない。
これも複数回見て気がついたが、「さらば青春の光」の最後でジミーの
スクーターが断崖から落ちたシーンでも、映画の冒頭で過去に決別した
ジミーが海岸を去るシーンを配置したために安心して見られるのとは違って
最後まで暗い感覚を残す映画だ。
あれ、リタ・クーリッジに触れなきゃ。
掲載写真は3枚目で、本当は1枚目や2枚目の方が好きであるが
ここでこのジャケットを掲載しないと、リンダとカーリーの
前振りの意味が無くなってしまうじゃないか。(笑)
本当は裏ジャケの写真の方が好きなのだけど。
内容は最近紙ジャケ化されたので、そこらじゅうで記事が見られるだろうから
いいだろう。
LOVELY RITA !