布谷~銀次という繋がりで、ココナツ・バンク初ステージを
収録したこの盤を引っ張り出してきた。
73年9月21日、この日ははっぴいえんどの解散コンサートであり、
レコーディングされた音はベルウッドからリリースされた。
はっぴいえんどの解散コンサートであったと同時に、その後の
日本の音楽シーンを引っ張ることになる多くの才能が初ステージを
披露した日でもあった。
ココナツバンク、南佳孝、吉田美奈子の初ステージがこの日である。
コーラス・グループと捉えられるのが山下達郎の本意でなかった
という話も伝え聞くが、はっぴいえんどとココナツバンクのバックで
コーラスを務めたシュガー・ベイブも初ステージ。
これらの才能を伝えるべく、録音された音はショーボートから
リリースされた。後から恥ずかしくなるタイトルもたまにあるが
「素晴しき船出」というタイトルに偽り無く、発表から30年以上
経った今でも、その通りとうなずくことしきり。
矢野誠のストリングス・アレンジが冴える中、南佳孝の歌唱は
瑞々しくも存在感を十分に感じさせる。くしくもこの日の
発売である名盤「摩天楼のヒロイン」からも2曲披露。
洗練されたボーカルと楽曲は、白黒の昔の映画で見たような
都会と、私なんかは当然見ることが無かった70年代の東京の夜が
入り混じって、想像力を刺激する。
同じくこの日、デビュー盤「扉の冬」を発表した吉田美奈子。
南と同じくピアノの弾き語り。個人的な狭い趣味の世界に収束して
しまって何なのだが、この時期の美奈子がやっぱり一番好きだ。
ファンクを通過し、現在も活動を続ける本人にしてみれば
迷惑な話だろうけど、ローラ・ニーロ好きにはたまらないのが
この時代なのだ。映像に残されたティン・パン・アレイのライブでは
小坂忠とステージで楽しげにステップを踏むシーンがあったが、
妙に色っぽくて驚いた記憶もある。
個人的に最大の聞き物はココナツバンク。
後にナイアガラ・トライアングルで発表される2曲を披露。歌詞が
微妙に違うが、曲の楽しさに変わりは無い。
「日射病」「無頼横丁」この2曲がナイアガラ・トライアングルという
企画物でなく、ココナツ・バンクとしてのアルバム、もしくは
シングルのA/B面に収録して、南や美奈子と同じく
73年9月21日にリリースされていれば・・・・。ココナツ・バンクと
伊藤銀次の評価というのは、今とは比べ物にならないくらい
高いものになったのではと思うのだが、どうだろう。
実際この2曲のスタジオ録音は76年まで待たねばならないし、
ココナツ・バンク名義のスタジオ録音が発表されるのは、30年も
待たなければならないのだから。
それにしても73年9月21日というのは日本のロック・フォーク史の中でも
太字で記録され記憶されるべき一日だったのだなあと思わずに
いられない。はっぴいえんどの赤地に白抜きデザインの盤の横にこの
青地に白抜きデザインの盤を是非・・・・。
収録したこの盤を引っ張り出してきた。
73年9月21日、この日ははっぴいえんどの解散コンサートであり、
レコーディングされた音はベルウッドからリリースされた。
はっぴいえんどの解散コンサートであったと同時に、その後の
日本の音楽シーンを引っ張ることになる多くの才能が初ステージを
披露した日でもあった。
ココナツバンク、南佳孝、吉田美奈子の初ステージがこの日である。
コーラス・グループと捉えられるのが山下達郎の本意でなかった
という話も伝え聞くが、はっぴいえんどとココナツバンクのバックで
コーラスを務めたシュガー・ベイブも初ステージ。
これらの才能を伝えるべく、録音された音はショーボートから
リリースされた。後から恥ずかしくなるタイトルもたまにあるが
「素晴しき船出」というタイトルに偽り無く、発表から30年以上
経った今でも、その通りとうなずくことしきり。
矢野誠のストリングス・アレンジが冴える中、南佳孝の歌唱は
瑞々しくも存在感を十分に感じさせる。くしくもこの日の
発売である名盤「摩天楼のヒロイン」からも2曲披露。
洗練されたボーカルと楽曲は、白黒の昔の映画で見たような
都会と、私なんかは当然見ることが無かった70年代の東京の夜が
入り混じって、想像力を刺激する。
同じくこの日、デビュー盤「扉の冬」を発表した吉田美奈子。
南と同じくピアノの弾き語り。個人的な狭い趣味の世界に収束して
しまって何なのだが、この時期の美奈子がやっぱり一番好きだ。
ファンクを通過し、現在も活動を続ける本人にしてみれば
迷惑な話だろうけど、ローラ・ニーロ好きにはたまらないのが
この時代なのだ。映像に残されたティン・パン・アレイのライブでは
小坂忠とステージで楽しげにステップを踏むシーンがあったが、
妙に色っぽくて驚いた記憶もある。
個人的に最大の聞き物はココナツバンク。
後にナイアガラ・トライアングルで発表される2曲を披露。歌詞が
微妙に違うが、曲の楽しさに変わりは無い。
「日射病」「無頼横丁」この2曲がナイアガラ・トライアングルという
企画物でなく、ココナツ・バンクとしてのアルバム、もしくは
シングルのA/B面に収録して、南や美奈子と同じく
73年9月21日にリリースされていれば・・・・。ココナツ・バンクと
伊藤銀次の評価というのは、今とは比べ物にならないくらい
高いものになったのではと思うのだが、どうだろう。
実際この2曲のスタジオ録音は76年まで待たねばならないし、
ココナツ・バンク名義のスタジオ録音が発表されるのは、30年も
待たなければならないのだから。
それにしても73年9月21日というのは日本のロック・フォーク史の中でも
太字で記録され記憶されるべき一日だったのだなあと思わずに
いられない。はっぴいえんどの赤地に白抜きデザインの盤の横にこの
青地に白抜きデザインの盤を是非・・・・。