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HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

THE YELLOW MONKEY / LOVE LOVE SHOW

2005-07-17 18:45:20 | THIS SONG
なんで、これ?という方もいらっしゃるでしょうが、
とにかく今日は暑かったので・・。
ああ、文章が意味不明ですね。いや、暑くて頭が
回らないのです。

ジェファースン・エアプレインのパロディジャケを
スキャンしていたら、こんなCDシングルが出てきました。
アーティスト名も最初は嫌いでしたが、売れてきて何度も
目や耳にするとなじんでくるから不思議です。
バンド自体にそれほど興味が無く、アルバムもこれ以外の
シングルも何一つ所持していないのですが、この曲だけは
何故かハマってしまいました。皆さんの中にも
そういった経験はあると思いますが、如何ですか?。

プロモ・ビデオを見て気に入ったというのがまずあります。
私の好きなパターンにプロモの中に少しだけアニメが
挿入される・・といいうのがあります。これはもうピストルズの
「ザ・グレイト・ロックンロール・スゥインドル」の影響以外の
何者でもありません。そして、曲中に効果音が使われること。
ああ、これはピンク・フロイドの影響です。(笑)
馬の嘶き、雷の音という効果音が見事に使われたことも、
私の琴線に触れる一因。

イントロ始まっていきなり「お姉さん」と呟くところで
まずビビリました。お姉さんって、一体・・・。
タイトルもふざけていて「おっ」と思ったし。
30代半ば以上の人なら往年のテレビ番組のタイトルが頭に
浮かぶでしょう。それに「LOVE LOVE しよう」という
とんでもないダサいダブル・ミーニング。
日本で一番CDを売る某バンド(誰だっけ)はハード・ロック
の音に、四畳半フォークも顔負けの歌詞が乗っているので、不意に
街角やテレビで聴いてしまうとひっくりかえることがあるのですが
この曲のように徹底してくれると、笑い飛ばせるのです。

日本のロックでそれなりに売れるには、歌謡曲的なメロディや
歌い方のものでないと、まだまだ一般的に浸透しないものなのかなあ
ということを思わせた曲でもあります。覚えやすいメロディと歌詞、
曲の最後にはビートルズ好きの親父が反応する仕掛けもあり、
シングルとして不足の無い出来栄えであります。
バンドにもフロントマンにも無理解な私ですがミック・ロンスンの
RCA時代のアルバムが初CD化されたとき(単体でのCD化は世界初
だったと思う)の吉井和哉のコメントには、少し感動したりして。(笑)
裏ジャケで吉井が着ている「ゲンスブール&バルドー」のアルバム・
ジャケットをデザインしたTシャツが欲しかったことを思い出しました。
もう8年も前になるのだなあ。
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鷹魚 剛 / おぼろ街叙景

2005-07-16 10:16:40 | THIS SONG
02年にCD化されるまで、簡単に聞くことができなかった
鷹魚剛の1STアルバム「蛇行都市」。私もCD化されるまで
未聴であったのだが、何故かシングル盤を
持っていた。しかも100円で買ったことまで記憶している。
「ユピテルなんて会社の権利は誰が持っているのだろう、
こんなのCDにならないよなぁ。」なんて思っていたので
たまたま見つけたシングルは珍しく何度も聴いた。

先に書いたようにCD化されたことで私もアルバムを
聞くことができた。アルバムを通して何度も聞くと、
不思議とこのシングル盤のカップリング、というより
A面、B面のふりわけに疑問を持つようになった。

シングル購入時からA面曲、「おぼろ街叙景」がダメであった。
日本のフォークの、個人的に一番相容れない曲調、歌詞、音なので
最初は、「ああ、フォーク歌手なんだなあ。」と思ったものだ。
B面が水谷公生のギターと武川雅寛のヴァイオリンが快調な
ロック・アレンジだっただけに、フォークのシンガー・ソング・ライター
という面を強調しての売り出し方だったのが何となくわかる。

この2曲、アルバムではB面の「日暮しの啼く朝」がオープニングで、
最後の曲がA面の「おぼろ街叙景」という配置である。
アルバムの流れに沿って聴くと、あまり好きでなかった「おぼろ街叙景」が
絶妙の配置でうまく収まっていることに気がつく。単体で抜き出すより
アルバムの流れで聴けばいい曲と思えるなんていうのは初めての体験だ。

しかし。たいてい、シングルを買ったリスナーはA面を繰り返し聞くし、
ラジオが放送するのもA面だろう。これでは、当時そこいらに溢れていた
フォーク、いや後に「ニュー・ミュージック」と呼ばれるジャンルの
狭い世界に収束し、その筋の聴き手にしか届かなかったのでは?。
「ジャックス」や「裸のラリーズ」を引き合いに出した紹介文も
効をなさない。最もそれを頼りに聴いたとしても、轟音ギターしか
聴き所を見つけられないタイプのラリーズのファンは
すぐに放り出してしまうのは間違いない。
この2曲にはさまれたアルバムの残り8曲に聴き所が多いだけに、
シングルのA面の選択として「おぼろ街叙景」に不満がある。
つかみとしては、解りやすいロックの「日暮しの啼く朝」のほうが、
アピールした可能性があるだけに。

長々書いたが、アルバムは日本ロック・フォーク史に残る傑作である。
不思議な詩世界、フォークやらサイケやらロックが混じった音、
バラエティに富んだ曲調・・・。ピンク・フロイドのファンは4曲目の
「NOBODY」にニンマリ。情報の多くないことが、アルバムや曲の神秘性に
拍車をかけるが、2枚目が全くつまらなかったというのも不思議な
アーティストである。

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四人囃子 / 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ 

2005-07-11 23:35:11 | THIS SONG
1975年にリリースされた四人囃子の1stシングル。
私が学生の頃は、四人囃子の初期のLPは高価で
高値の花だった。シングル盤なんて見たこともなかった。
初めて「一触即発」がCDになった時、このシングルが
シングルCDとして添付された変則2枚組であった。
嬉しかったのはいうまでもない。

本来は次のアルバムに収録予定であったが、レコード会社を
移籍する話が進行中であったため、シングルとして
リリースされたというのが、発表のいきさつ。
73年録音のライブ盤に収録されているところからわかるように
レパートリーとしてはバンド黎明期からの楽曲である。

完全な後付けなのだが、シングル・オンリーということを
前提に考えると、確かに「一触即発」「ゴールデン・ピクニックス」
のどちらに収録されても浮いてしまうだろう。
「ピクニックス」はともかく「一触即発」の流れは、私の中では
もう完璧なもので、あれ以上の流れはちょっと考えられない。
それでもお蔵入りするには、余りにポップでよく出来た曲であり
「シングル」の必然性が十分に感じられる。

2001年にリリースされた「FROM THE VAULTS」には過去の
ライブ音源が大量に収録されていたが、74年のそれを聴くとライブでは
長尺で展開されていたことがわかる。間奏にドラム・ソロが
入るなんて。そういえば、ディープ・パープルもストーンズの
「黒くぬれ」をライブで演奏していたが、実質はドラム・ソロだったなあ。
当初はスタジオ・レコーディングもこの「長尺」で考えられていたかもしれない。
そうすると、当然シングルなんてことは考えられないのだが、
大幅にイントロや、間奏を短縮し、ポップスとしてのいいところを
抜き出してレコーディングしたことがわかる今となっては
スタジオにおける四人囃子のセンスを再認識し、ますます
この曲が好きになった。
75年9月にシングル・リリースされ、75年12月のディープ・パープルの
オープニング・アクトとして演奏したこの曲のライブ・テイクは
シングルと同じ尺での演奏であった。

もし、「ゴールデン・ピクニックス」に収録されていたら。
「一触即発」よりは、そっちのほうがアリだとは思う。
あきらかに「一触即発」よりも「ピクニックス」のほうが
メジャー・カンパニーのスタジオで贅沢な時間を費やしての
録音だったこともあって、録音状態が良いので、そういった
環境で録音された「空飛ぶ・・・」を聴いてみたいという
思いは今もある。

そういえば、この曲はローリー寺西とコレクターズの加藤ひさしとで
カバーされたことがあるが、シングルの現物をみたことがない。
テレビで口パクで演奏するシーンは見たことがあるが、二人とも
ベースを抱えているというふざけたシチュエーションながらも
楽しい映像であった。

ちなみに私は、円盤に乗ることができるのだ。


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SO YOU WANT TO BE A ROCK&ROLL STAR

2005-07-09 14:25:59 | THIS SONG
いまさら言うまでも無い、もはやロック・スタンダード。
オリジナルはもちろん「バーズ」で67年のシングルで
アルバム「YOUNGER THAN YESTERDAY」の冒頭に
収められたあの曲である。

65年にデビューを果たしたものの、メンバーが望んだ
オリジナル曲でのデビューは果たせず、おまけに
レコーディングではスタジオ・ミュージシャンが使われた。
それでもその曲「MR.TAMBOURINE MAN」は全米1位になってしまう。
ミュージシャン・エゴがぶつかりあう中、バンドはとんとん拍子で
売れ、先のシングルを発表。
軽快な中にもサイケデリックな雰囲気を漂わせた曲は
デビューから今にいたる自分たちを映し出したもので、
バンド自身、プロダクション、ロック界に対する痛烈な皮肉だった。

”髪を整え、セクシーに見えるズボンを穿いてギターを弾く。
いいプロダクションを見つけて、レコードを売ってもらい、
チャートに入れば、女の子は大騒ぎ・・・。
金が入ってきて有名になっても、気にすることはない、
お前はロックンロール・スターなんだから・・・。”

もちろん、バーズは音楽的に飛躍的な成長と変化を遂げ、
ロック史に名を残すグループとなるが、それにしてもこの歌詞は
いまにいたる、古今東西を問わず効力を失っていない。
ロジャー・マッギン信奉者のトム・ペティや、ザ・ムーヴ、
最近ではロン・ウッドのカバーが記憶に新しいが、
バーズのオリジナル以後の録音で一番興味深いのが
パティ・スミスによるものだ。

79年発表のアルバム「WAVE」に収録されるのだが、シングルも
切られている。「名声なんてのは、遅かれ早かれ人を
傷つける。」とばかりにこの曲をカバー。スター・システムの
欺瞞はパンクを通過しても続いていることに警鐘を鳴らし、
自身は夫となるフレッド・スミスを歌った「FREDERICK」と
共にアルバムに収録し、しばらく第一線から身を引く。
この曲の歌詞・曲の良さと、パティの行動。全てが美しく
キマッたという意味で忘れられないカバー・バージョンとなった。
掲載写真はイギリス盤シングルで、B面は「FREDERICK」の
ライブ・バージョン。実に意味のあるカップリングだ。

さて。皮肉な歌詞ではある。
それでもロックは、「グッド・ルッキン・ガイ」に演奏してもらいたい。
音を聴いて「おっ」と思って、そこらのアンちゃんと変わらないようなのが
演奏している写真や映像を見ると興ざめすること甚だしい。
それもこれも含めて「ロック」なんだから。後から顔は出来て
くるのも本当なんだけど・・・・。子供の頃、憧れたミュージシャンは
皆格好よかったはずなんだけどなあ。


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MARVIN GAYE / I WANT YOU

2005-06-28 11:20:05 | THIS SONG
初期モータウンを彩った躍動感溢れる、若きマーヴィン
の魅力もさることながら、一般的な名盤というのは
「WHAT'S GOING ON」というのが通り相場なのは間違いないだろう。
昔、「WHAT'S・・・」と「LET'S GET IT ON」の
どちらが優れているか、なんてつまらない話を友人たちと
したことがある。比べることがもはや、愚かしいのであるが
私は「LET’S GET IT ON」のほうが好きだと言った。
「社会派」であることと「エロ事師」であることはなんの
二律背反でないことはフランク・ザッパの例をだすまでもないが、
どちらかを選ぶなら、快楽主義者の私は「LET'S ・・・」である
というだけの話。もちろん、宗教の名を借りて腐れ外道を働く
似非牧師野郎は、言語道断であるのはいうまでもないが。

マーヴィンで一番好きな曲は実はこの曲「I WANT YOU」である。
「WHAT'S GOING ON」でボーカリストのみならず、プレイヤーと
しての側面にも重点を置きだしたマーヴィンが、出来合いの
トラックを頂戴して、ボーカル録りだけに半年費やした問題作が
アルバム「I WANT YOU」。それゆえに一般的な評価は
たいてい一段落ちるような感じである。

アルバム全体を語るより、シングル・カットされたタイトル曲に
的を絞ったほうが、このアルバムの成り立ちがわかりやすい。
間違ってはいけないのが、このバック・トラックが既に
完成されていてそこにマーヴィンがボーカルを重ねていった
だけではないということだ。
75年2月にベーシック・トラックが録音され、徐々に様々な
オーバーダブが施される。もともとはTボーイ・ロスの作品として
世に出るものであったからロス自身の最終歌入れは5月に行われている。
そして、バック・トラックを気に入った社長(笑)とマーヴィンは
製作者のリオン・ウェアからトラックを譲り受け、マーヴィンは
ボーカルを9月に録音。
ここで完成したわけではない。マーヴィンの歌入りトラックの上に
更に10月にストリングスとホーンがダビングされている。
ここが肝じゃなかろうか。

マーヴィンの歌が入って完成したのではなく、そのあともアレンジは
練られ続け、世に出たという事実は、単に出来合いのものに
歌入れしただけと軽んじるのが狭量であることを知らしめる。
例えマーヴィンは歌っただけだとしても、リリース前に
最終トラックは聴いて、O.K.を出したであろうから。

ギター、リズム、ストリングス、ホーンのどれもがニュー・ソウル以降の
音を体現しながら気持ちよく録音され、その上にのっかる
ボーカルは絶品。何度聴いても発見があるような気がする。
こんなことをダラダラ書いてもマーヴィンにこう言われそうだけど。
「俺の一番好きなのは”TROUBLE MAN"なんだけどね。」
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RACHEL SWEET / B-A-B-Y

2005-06-24 21:04:47 | THIS SONG
先日、NHK-FMで放送された「ジライヤ」の
ライブを聴きながら、なにげに別の曲のことを考えていた。
ライブのオープニングは前回の放送と同じく、ジライヤの
テーマ・ソング「Zi:LiE-YA」。この曲、歌詞中にタイトルを
アルファベットで一つづつ歌う箇所があるのだが、それが
ゼムの「グロリア」と同じくらい格好よくて印象的である。
同じようなものに「Y.M.C.A」や「V.A.C.A.T.I.O.N」とかが
あるけれど、私の頭の中では、今回取り上げる
レイチェル・スイートの「B-A-B-Y」が鳴り始めてしまった。
つい最近、レイチェルの80年のライブ・テープをもらって
それを聴いていたせいなんだろうけど。
いかん、いかん。(笑)

もともと、カントリー・ソングを歌っていたのが、方向転換し
スティッフからデビュー盤を出したのはまだ16歳のとき。
アルバムは、ブリンズレー・シュウォーツやブロックヘッズの
メンバーらがサポートし、楽しいものだったが、アルバム全体よりも
このシングル1曲の出来の素晴らしさが飛びぬけている気がする。

軽快なホーンに導かれ、飛び出すレイチェルの声は16歳にしては
少々突っ張った小生意気な感じのダミ声。その小生意気さが
可愛らしいのだ。写真映りも全く違う表情を見せており、
アルバム表ジャケは、じゃじゃ馬そのものだが、裏ジャケは
あどけない表情を見せる。まだまだ子供だが、スティッフのツアー
では、ミッキー・ジャップやレックレス・エリックらと
ライブを共に行ったくらいだから、肝は据わっているだろう。
「まだまだ子供」なんて書いたけど、よくよく考えると年齢は
私より3つ上のお姉さんなのだ。(笑)

曲の途中でキーがあがるのはポップスの常套手段。
間奏のリード・ギターはロビー・ロバートスンもびっくりの
「パキパキ加減」。(笑)ホーン・アレンジも都会的で
上出来のポップスである。スティッフの短い歴史の中でも
「なんで、この娘がこのレーベルなの?」という気がするが、
野っ原に咲いたタンポポみたいな存在だっただろうなあ。
50年代、60年代のポップスやガール・グループ物と同じような
妙な甘酸っぱさと、懐かしさを感じる曲である。

ロック者には1STアルバムよりも、ダムドの「ニュー・ローズ」や
V.U.の「ニュー・エイジ」等のカバーを含む2NDのほうが
楽しめるかもしれない。ジャケットのレイチェルの写真は
シルバーヘッドの「SIXTEEN AND SAVAGED」みたいに
なっちゃって「あれあれ?」なんだけど。(笑)
今、入手できるレイチェルのCDは適当なジャケのベスト盤のみ
なので、ここはひとつ、腰の入った復刻を希望する。
スティッフはメンバーをいろいろ組み合わせて、各種の
パッケージ・ツアーを敢行していたから、映像が発掘されれば
尚嬉しいんだけど。



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RCサクセション / 自由

2005-06-13 21:41:14 | THIS SONG
今年はRCサクセション結成35周年だそうで。
またまた適当な選曲のベスト盤が2枚発売された。
未CD化の曲はそれこそ、たくさんあるのに
なんで入魂の(笑)ボックス・セットとか編めないものかね?。

RCサクセションにはいろいろと思い入れがある。
まだ産まれてもないのに、「ストーンズはブライアンがいた頃が
最高」なんていうヤツが私の同世代にもいるが、私自身は
ブライアンはともかく、そういう物言いをして悦に入る輩が苦手
であった。それはRCの「ハード・フォーク時代」に関しても
そうであった。別に初期が嫌いなのではなくて、RCの数奇な
歴史を俯瞰で捉えると、「ハード・フォーク時代限定、もしくは
シングルマンまで」という考えの人を理解できないという話。

私の好きなRCサクセションの3枚は順に「BABY A GO GO」「BLUE」
「シングルマン」となる。アルバム単位で話すと長くなるので
今回はシングル盤をとりあげる。と、いいつつ断り書きがつくのだが
このシングル「自由/可愛いリズム」はプロモ盤が存在するだけで
実際にシングル・カットされたわけではない。なぜ、こんな盤が
存在するのか不思議ですらある。
2曲とも84年の11月に発売された「FEEL SO BAD」収録曲であるが
このアルバムからのシングル・カットはない。シングルとしては
84年には前年のアルバム「OK」発売から1年経って
アルバム収録曲のシングル・バージョン「不思議」がリリースされたのみ。

84年という時期はRCサクセションにとって微妙な時期であった。
マネージメントやレコード会社との間に様々な問題を抱えていた
ようである。アルバム「FEEL SO BAD」はその名のとおり、
「やってられねェから失礼スルゼ!」という気分がそこかしこに伺える。
特にA面の攻撃性は余りに特定の狭い範囲に向けられているようで、
閉塞性さえ感じる。
その代表曲が「自由」。この歌詞を全て受け入れるほどガキではないが
全てをぶっとばして、賛成したい気分になることもあるのは事実。
B面の「可愛いリズム」は一転して、歌詞も可愛らしいラブソング。
両面とも、ノリのいいナンバーであり、私がアルバムからカットする
ナンバーを選ぶとしても、どちらがA面になるかはともかく、この
2曲を選ぶ。実に最強のカップリングである。

当初、このカップリングで発売する予定があったと考えても
的外れではないだろう。ただ、バンド側にこのアルバムを積極的に
プロモーションする気持ちがなかったために、予定されたシングル発売を
認めなかったのではないだろうか?。自身の曲が広く聞かれること
よりも、マネージメントが儲けることを良しとしない気持ちが
強かったのでは、と思うのだ。結果、プロモ盤のみが残った・・・・と。

RCのシングルのB面にはアルバム未収録曲が多いが、82年以降は
個人的には「捨て曲」が多いといわざるを得ない。もしこの2曲が
シングルでリリースされていれば、84年の冬はもっと盛り上がった
んじゃないかと思うと、残念でならない。
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井上堯之 / 一人

2005-06-06 20:33:46 | THIS SONG
テレビのバラエティやドラマをほとんど見なくなって久しい。
最近では宮藤官九郎が脚本を手がける「タイガー&ドラゴン」
だけである。伊東美咲のファンであることはいうまでもない。(笑)
クドカンが世間で話題になってからもしばらく、興味が
なかったのだが数年前の「僕の魔法使い」が面白かった
ので、それから気にとめるようになった。なにせ、毎回、
ストーリーに関係なく唐突に、昔のヤンキーが暴れる
映像が挿入され、その場面のBGMに矢沢永吉の「I LOVE YOU,O.K.」
が流れるのが意味不明で気に入ったのである。

1974年のテレビ・ドラマ「傷だらけの天使」はリアルタイムで見てはいない。
後年レンタル・ビデオやCS放送で全26話を見ることができたが
その格好よさといったらなかった。私の世代だと松田優作の
「探偵物語」に痺れた人が多かったはずであるが、同じような
格好よさとはかなさを感じたものだ。

井上堯之のこの曲は76年の1STアルバムの冒頭に置かれている。
作詞が井上堯之、作曲が岸辺修三のPYG組の手になるものだ。
英題「I STAND ALONE」から伺えるように69年のアル・クーパーの
同名曲にも似た物悲しさを感じさせる曲である。この曲の
初出はおそらく72年10月発売のデイブ平尾のシングル
「僕たちの夜明け」のB面としてである。
なぜこの歌をデイブが歌うことになったのかは私は知らない。

「傷だらけの天使」の最終回、エロ本の山に埋もれて風邪をこじらせて
死んでしまった水谷豊が入ったドラム缶をリヤカーに乗せ、萩原健一が
「夢の島」に捨てに行くシーンでこの曲は使われる。
使われるのはデイブ平尾バージョンである。デイブ平尾バージョンも
もちろん悪くない。だけどもし時間を巻き戻せるなら・・・。

72年に入ってもPYGはまだ存続していたが、おそらくPYGが
空中分解した直後にこの曲は書かれたと思う。
それまで「スパイダース」「PYG」とバンドメンバーの一員として
担っていた役割から、ジュリーのバックバンドの一人になってしまった
虚しさと、それでも音楽をやりつづける決意のようなものが
この曲から感じられる。それだけに不運のバンドPYGのメンバーの
手になるこの曲が井上堯之のバージョンで、俳優として成功を
収めようとしている同じくPYGのメンバーだった、萩原健一の
ドラマで使われたら・・・72年に井上堯之のバージョンが録音されていたら
と思わずにいられないのだ・・・。
それぞれの道を歩き出したメンバーへの別れと、自らの新しい
歩みのためにこれほどふさわしく感動的な歌はそうはない。

”夢のような 過去は消えて行く
 ひとりだけで ただ歩く もう誰も いない
 誰も いない ひとりだけで ただ歩く

 風が運ぶ 春はさけて行く
 ひとりだけで まだ唄う この俺を笑う
 誰も いない ひとりだけで ただ唄う ”

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DIRE STRAITS / SULTANS OF SWING

2005-05-20 21:19:40 | THIS SONG
最初に聴いたときから一撃でやられるバンドと
何回も聴いて、良さが理解できるバンドがあるのは
誰しも同じだろう。
私にとってダイアー・ストレイツはまさに「闇からの一撃」
だった。クラプトンのようなギター、J.J.ケイルのような
歌声。派手ではないがスマートなリズム・セクション。
全てが完璧だった。

これは78年に発表されたダイアー・ストレイツの
デビュー・シングル。邦題は「悲しきサルタン」。
ところがこのシングルが曲者だ。ここに掲載したのはプロモ盤で
一般発売はなかった。一般発売のシングルのB面は
「イーストバウンド・トレイン」のライブテイク(もちろんアルバム
未収録)を収録していたが、こちらは両面とも「悲しきサルタン」。
B面は通常テイクだが、A面はアメリカン・バージョンとある。
この曲は演奏時間が5分48秒のため、アメリカのラジオのON AIRには
不向きであるということで短く編集するよう米ワーナーが
バンドに依頼したところ、「歌詞に端折るところがない」との理由で、
代わりにアメリカ向けにギターや歌を録り直したものが
提出された。それがA面のアメリカン・バージョンである。

短くしてくれといわれて再提出したバージョンのタイムは
6分6秒。(笑)新人らしからぬ所作である。
はっきりいって出来は、通常耳にできる「英国バージョン」の
ほうが数段いい。70年代のアメリカ・ナイズされた音の
ように見えて、出自はいわゆるイギリスのパブ・バンド周辺だという
ことがよくわかる。

マーク・ノップラーのギターについては今更いうまでもないだろう。
この曲のプロモでは、ジャケットに描かれた赤いストラストキャスターを
フィンガー・ピッキングで演奏する姿を見ることが出来る。
1ST・シングルの時点で完璧なスタイルを持っていたことに
改めて驚かされる。

しびれるようなロックである。しかしバンドは「若い連中に興味を
持たれることもなく、がら空きの店でジャズを演奏するバンド」のことを
歌う。それはかつての自分たちであったのかもしれない。
ダイアー・ストレイツはすぐに大成功を収めるが、この曲の歌詞を
書いた時のマーク・ノップラーに思いを馳せると、未だに少々
もの悲しい気分になる・・・。

”ありがとう、今夜はもうおしまいです”
 そしてもう一言つけ加えるんだ
”サルタンズ・オブ・スイングでした”ってね。

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上田正樹と有山淳司 / 大阪へ出て来てから

2005-05-18 23:08:21 | THIS SONG
ついでなので、再発シングルも掲載しよう。
B面は「あこがれの北新地」。
関西に7年ほどいたが、いまだに新地は怖い
イメージがある。というか高級なイメージ。
大阪なら主戦場は難波だったので・・・。

「ここはあんたら若いもんの来るとこやおまへんで
 ホステスのねえちゃんが面と向かって言いよった
 あこがれの北新地」。
この歌詞でニュアンスはわかってもらえよう。

「COME ON おばはん」という歌がある。
「ちょっと有山、俺と一緒に ト○コ風呂にでも行かへんけ」
 行ったかどうか、わからないが、もしソー○・ランドから
キー坊と有山が出てくるところを想像しただけで笑える。

話は全然変わるが有山の愛車はミニである。
新型なのか、旧型なのか気になる。
私がモーリス・ミニにこだわっているので。
オースチン・ミニを未だに所持している方には
敬意を表する私である・・・・。

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上田正樹と有山淳司 / 俺の借金全部でなんぼや

2005-05-18 22:52:11 | THIS SONG
75年に上田正樹と有山淳司名義で発表されたシングル。
名義は二人のデュオのようだが、このシングルには
しっかり各パートのメンバーがクレジットされており
当然ながら、それはサウス・トゥ・サウスのメンバーである。

サウスのライブは2部構成で、1部が上田と有山を中心
としたアコースティック編成、2部がバカのり(笑)の
ソウル・レビュー風ライブだったという。
契約にあたり、ディレクターは2部で展開されるような
アルバムを想定したというが、それに対し、上田正樹は
ソウルではなく、アコースティックなブルーズやラグでの
録音を提示した。なんとも当時の上田の反骨心が伺える話だ。

作詞が三上寛というのが驚かされる。関西ブルーズ・シーンと
どういう繋がりがあったのだろうか?。歌詞にはサウスの
メンバーが次々と歌いこまれる。

例えばこんな風に・・・。
「お好み焼きやの ゆうちゃんから 5000円借りてきて
 全部パチンコで 負けてもうたから
 乾物屋の中西に 8000円借りた」

ゆうちゃんはベーシストで最近は忌野清志郎と活動をする藤井裕のことで
中西は、セッションにひっぱりだこのピアニスト、中西康晴。
もちろん歌詞には有山、ドラマーの正木五郎、くんちょうもでてくる。
おまけに関西弁である。
”青森県北津軽群東京村じゃ~”と歌った三上寛が関西弁を駆使して
歌詞を書いたこと自体、興味深いと思いませんか?。

ジャケットを見て欲しい。
食い倒れ人形の横の二人は勝手に写真をはめ込んだものである。
このお手軽感!!。
今日はレコーディングだと言われ、レパートリーを2テイクくらいで
ひょいひょいと吹き込むブルーズ・マンのイメージに
ぴったりじゃないか。
このシングルのB面は「大阪へ出て来てから」である。
83年に、アルバム再発にかこつけて再びシングルが切られるのだが
そのときはA面に昇格する。アーティストの意思は
介在していないシングル盤だろうが、B面が「俺の借金・・」
でないのがまた面白いのだ。

今のところ私に借金はない。裏返せばローンを組む勇気がないだけ
なんだけど、常に貧乏ではある。
コメント (4)
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LEW LEWIS / LUCKY SEVEN

2005-05-07 15:30:26 | THIS SONG
本来ならルー・ルイス・リフォーマー
名義でのアルバム「SAVE THE WAIL」を
紹介すべきだろうが、なんともパブ・ロックな
ジャケットの魅力に抗えず、こちらを
取り上げる事になった。

エディ&ザ・ホット・ロッズでの活動を経て、ルー・ルイス・
リフォーマーとして活動を始めたルイスの必殺アルバムに収録され
シングルにもなったのが「LUCKY SEVEN」。アルバムでは
ハーピストの先達の活躍するナンバー、例えばマジック・ディックの
いるJ・ガイルズ・バンドやリトル・ウォルターの曲をとりあげ
あるときはシャープに、またある時は粘っこくプレイする様は
実に堂々として、先達に負けない貫禄を感じさせる。
うまさよりも勢い、一目で不良とわかるルックスも魅力だ。

そしてこの「LUCKY SEVEN」。スティッフからシングルとして
リリースされたのだが、レコード番号はLEW 1 である。
いかにも一匹狼、気難しいが才能を認めざるを得ない孤高の
ルー・ルイスにふさわしいものだ。長続きしなさそうな番号だし。(笑)
もちろんルイスのオリジナル。ドクター・フィールグッドや
エディ&ザ・ホットロッズのファンなら一発で気に入る、
典型的なパブ・ロック。
徒に長く演奏するのではなく2分15秒で全てが片付くのだ。
ハーモニカとギターの短いソロの応酬はスリリングそのもの。
20秒足らずで繰り広げられるバトルは、情報量が多く眩暈さえ感じる。
後半で、ドラマーがフロアタムでリズムをキープするところも
私好みなのであった。

素行に問題がある人で、ヤクや女ならいざ知らず、強盗まで働いた
のだから、手におえないとはこの事だ。
残された音が少ないし、継続したライブなど望むべくもないのだが
近年の活動はどうなっているのだろう、見るのは難しくとも
ライブ盤でも出してくれないかなあ。

ふらっと現れてカウンターでビールを飲み、おもむろにポケットから
ハープを取り出して歌い始める・・・こんなだったらさぞ格好いいだろう。
ま、ステージには1曲目に使う以外のキーが違うハープが
あらかじめ沢山用意されているんだろうけど。(笑)




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SERGE GAINSBOURG / CANNABIS

2005-04-23 09:14:46 | THIS SONG

ゲンスブールはオリジナル・アルバム
を全て揃えても、重要な仕事の多くが
もれてしまう。映画のサントラの
中に素晴らしいものが幾つかあるのが
その一因なのだが、数多いサントラの
ほとんどが入手困難であるところが泣かせる。

01年にサントラのみから編集された3枚組CD、
「LE CINEMA DE SERGE GAINSBOURG」は最高の
コンピレーションで、選りすぐりの73曲が収録されている。
サントラの中でというより、ゲンスブールの残した曲の中で
私が一番好きなのが「CANNABIS」である。

映画「CANNABIS」(邦題 ガラスの墓標)に使われたインスト・ナンバー。
サントラのB面1曲目には同じトラックにゲンスブールのボーカル入り
テイクが収録されているが、断然インストのほうが想像力を掻き立てる。
ゲンスブールの歌や声が嫌いなわけではもちろんない。
ちなみにボーカル入りのほうはギターは
小さくミックスされ、キーボードのほうが目立つ。

リズムのプレイ・ボーイといわれたセルジュにしては単調な
曲かもしれない。アレンジもそれほど凝っていない。1分程の曲を
伸ばして2分30秒にしたと思えないこともない。
しかし。オクターブ違いで同じフレーズを弾く2台のギターが
余りに強烈なのだ。セルジュの曲でこれほど、ギターが前面に
出た曲は珍しい。そしてその2台ともコード弾きや複弦を弾くのでは
なく、単弦でカラオケのガイドボーカルをするかのごとく
歌メロを奏でる。一般的にこの手のものはダサいものがほとんど
だが、この曲はダサさを超越してゾクゾクする快感をもたらす。

この曲を聴くときにいつも思うことが、おそらくピアノで作曲を
したであろうセルジュが、セッションでこのギターのフレーズを
どんな風にプレーヤーに指示して演奏させたかである。
単純に譜面を見て演奏しただけでは、ここまでエモーショナルな
音にはならないだろうから。

掲載写真はサントラ盤。


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THINGS GO BETTER WITH COKE

2005-02-13 11:16:52 | THIS SONG
我が国でもなんと、コカ・コーラのCM
ソングを集めたCDが発売される。
どうでもよさそうなものから、気になる物まで
いろいろ収録されている。買うかどうか
迷っているが3月までゆっくり考えよう。

写真のアルバムはあちらのアーティストが歌ったコカ・コーラの
CMソングを65曲収録した物である。何故にジャケがペプシなのか
は問うまい。(笑)曲名がすべて「THINGS GO BETTER WITH COKE」
というのが潔い。アーティストの皆さんの中には「そりゃ、コークを
キめればバッチリさ」と思った人がいたかどうかは解らないが
65曲を聞き終える頃には、コーラが飲みたくなること間違いなし?。

高校1年の夏、毎日のようにコーラ(銘柄はあえて書きません)を
飲んでいた。1リットルの日もあれば500ミリの日もあったが、
飯の前に飲むので、食欲が減退するのだ。にもかかわらず、
体重が5キロ増えた。う~む。私のコーラ好きは傍目にも異常に
映ったようで、大学生になっても友人は私の部屋に
遊びに来るときはコーラを持ってきたほどであった。
ほどなくそれはビールに変わったが。

さて、収録アーティストである。
LEE DORSEY,ROY ORBISON,RAY CHARLES,MOODEY BLUES,
MARVIN GAYE、BOYCE&HEART,ARETHA FRANKLIN,などなど・・・。
ムーディ・ブルースは67年と69年に録音を残しているのだが
音が全く違うのが笑える。
で、ロック者最大の関心はバニラ・ファッジのテイクが2つ収録されて
いることである。ジェフ・ベックがギタリストとして参加している
ことが理由なのであるが、まんまBBAである。
ワウ踏みまくりのベック、バタバタ叩きまくるカーマイン・アピス、
そしてティムの声、もう最高である。

これには収録されてないがザ・フーが録音したその名も「COKE」
という曲もおもしろい。
”COKE AFTER ,COKE AFTER ,COKE AFTER COCA-COLA"
と歌う1分少々の中でピートのギターとキース・ムーンのドラムスが
炸裂するのだが、うるさすぎてCMとしてはちょっと・・・(笑)

久しぶりにコーラでも買いに行こうかな。
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SEX PISTOLS / MY WAY

2005-01-10 20:39:55 | THIS SONG
のっけから何だが、ピストルズが
単体でこのようなジャケットの
シングルをリリースしたことはない。
ピストルズがバンド存命時に発表した
シングルは4枚、バンドの実態がなくなってから
マネージメントとレーベルが
リリースしたのが7枚、以上が正式?な
シングルの枚数だが、そのどれでもない。

では、これは何かというとヴァージンが
6枚組のパックもので発売した中に組み込まれた
1枚である。映画のワン・シーンを使ったジャケットが
格好いいのと、この曲のインパクトが余りに強いので
とりあげた。

映画「THE GREAT ROCK'N'ROLL SWINDLE」でシドが
歌うシーンはこの「MY WAY」とエディ・コクランの曲が
2曲である。エディ・コクランはルックスも良く、プレスリー
よりも「スマート」なイメージがあり、シドが好んだのも
わかる。何の違和感もない。が、シナトラの歌唱で刷り込まれた
この曲を歌うことで、自分より上の世代に嫌悪感を抱かせる。
実にいいアイディアだった。

この歌うシーン自体がめちゃくちゃである。
階段を下りてきて歌うシドに、顔をしかめる年輩の紳士達や
それでも嬌声をあげてはしゃぐ御婦人達。
歌い終わった後に客席に拳銃を乱射し、意気揚揚と帰っていくシド。
ストーリーがあってないような映画の、単純に印象に残る
露悪的という意味で忘れられない、ワン・シーンである。

そのシーンはセルジュ・ゲンスブールのショーのセットを使って
撮影された物で、セルジュの「セルジュ・ゲンスブール・ショウ 」の
ビデオで同じセットを確認できる。

私が洋楽を聴くという行為を意識的に始めたのは
ローリング・ストーンズを聴くことからであった。ビートルズの
メロディの刷り込みは知らぬ間にあったが、ストーンズから
始まったことは、後の音楽的嗜好を広げるには
良かったと思っている。中高生時代を過ごした四国の
田舎においてはニュー・ウェーブもパンクも
東京ロッカーズも関係なかった、というかそんな情報は入ってこなかった。
宝島やポンプなどという雑誌も無効だったのだ。
それでも、パンク好きは少なからずいた。
「PANK命」と平気で書くレベルではあったが。
パンクからロックに入っていった者のほとんどは、音楽を
聴いていないか、あの時代のパンクしか聴いていない。
私の周りだけがそうかもしれないが、なんだか寂しいものだ。

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