昨日テレビを見ていたら、富豪の家の紹介のような番組をやっていた。もう御殿かお城のようで、そこで優雅な毎日を暮らす夫婦の様子などが紹介されていたのだった。
こういう人は、なんでこうまで広く贅沢を尽くした家屋を建てたがるのだろうか?
それに比べて我が家はなんとせせこましく小さいことか・・・。
それは、同時に、そこに住む人間のスケールを表わしているのだろうか・・・。
有能な人間とバカな人間の差だろうか?働きものと怠け者の差だろうか?
生まれながらの星の違いなのだろうか?
紹介された大部分の人は、そんなに大きな会社ではないものの、何か事業をしていて、それが成功して財を築いた人たちだった。
それは偉いよ、たしかに。
でも、あのとんでもない贅沢な家は何?どうしてそんなに儲かるの?
不等に利益を得てるんじゃないのか????
どうしてもそんなふうに思ってしまうのだ。社員全員がこんな家に住んでいるわけではないし、多少のまともな家に住んでいる割合さえ多いとはいえないかもしれない。
もし仮に、会社が社員全員を裕福なものにするくらい儲かっているのだったら、それはお客さんからお金を取りすぎているんじゃないかな?などと思ってしまう。誰かが損をしていない限り、誰かが儲かるわけはないと思う。
経営者が労働者より並外れて裕福なのはしかたがないことだ、当然のことだ。
しかし、あまりにも違いすぎる。
だが、彼らは本当に幸福なのだろうか?
私はあまりにもお粗末な自分の家にはもう何の夢も期待も持っていない。
しかし、夢を実現し、限りなく豪華な住まいを実現していく人たちに、どこか虚しいものさえ感じてしまった。
あんなホテルのような宮殿のような家は要らない。
普通の家があればいい、と家のない私は思う。
経営側が、その分、儲かっているのでしょう。
せめてヨーロッパ並の時給1000円くらいにすべきでしょう。
四国の私の地域では、スーパーの募集のチラシでは時給650円とあります。
まあ、東京は物価が高いので1500くらいでもいいでしょう。
これくらいだと、何とかパートでも結婚ができ、今よりもゆとりある生活ができそうかな??
幸い我が家は公営住宅なので安いですが、あまりにも狭小なので、大学生の娘は一緒に住めず1人暮らし。
その家賃が6万円(木造1階カビだらけの6畳1間)で、その他光熱費なども加え、月8万円の私のパート収入ほぼ全額が消えていました。
職場の非正社員で、もういい年なので結婚するか自活するかどっちかにするように親から迫られている人がいるのですが、到底1人暮らしなんかできません。
ちゃんとした大学を出て、とても真面目にきちんと仕事をする人ですが、ちょうどバブルの直後が就職時期だったそうで、正社員になれないまま年を経ているそうです。
その人より若い子が、正社員として転職してきましたが、すでに結婚して物心共に恵まれた環境にあります。
仕事はまだ研修中という感じですが、1人前に給料をもらい、ボーナスも貰っています。
どうしてこんなふうに、待遇が違うのかと思うばかりです。
会社からすれば、「ほかの職場に染まっていない従順な新卒がほしい」のだろうけど、どうなんだろ・・・
私の個人的な考えですが、
「この会社は、本気で期待してくれる」
「この会社で、じっくり関わりたい」
など、その組織に対して「本気」になれる条件がそろえば、どんなに年数を経ようと新しい環境を素直に受け入れられるものだと思うのです。
ただ、私が新卒の頃既にそうでしたが、バブル以前のような「希望の会社に入る」というより、むしろ「希望の職に就く」という発想が優先しています。
グローバルといいながらも、日本の企業は
「新たに雇用する社員にはグローバリゼーションで処遇(おいそれと潤沢な賃金は払わない)」
でも「既存社員の待遇は従来どおり保障する」という風潮があるようで、経営者の都合のいいところだけグローバル化しているのだと思います。
こういう発想は、正社員であることがさも「普通」と思ってヌクヌク育っている連中には、まず浮かんでこないでしょう。
だから、一生貢献しようなんて思っていないんですよね。
一方、年を重ねてはいるものの、昔ながらの自分の位置で温存している年輩の社員がいます。
こういう人は転職なんか絶対にしません。
人事を開けてみると、結局は年功序列じゃんと思いました。
新しい人材の能力を認めず、古株を優遇し続ける限り、本気になる若者もいないんじゃないでしょうか。
そして、将来性がないとみた優秀な社員がどんどん辞めて行きます。
しかしながら、これらは正社員がおりなしていることで、パートはさらにこれの外の話になるのでした。