山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

ミス・サイゴン

2008-08-30 21:25:14 | 日記
8月26日に観た“ミス・サイゴン”について書かなくてはいけない。
「書かなくてはいけない」とは書くのがなかなか大変だというニュアンスだが、まあそういうことだ。こういうのは読書感想文と同じで書くのが難しいのだ。
(「ネタバレ」になっていますので、これから初めて見るのを楽しみにしている人は読まないでください。)

内容は見るまでまるでしらなかった。ベトナムの娘とアメリカ軍で働く青年の悲しい恋の話だという程度である。そこから、ぴんとこなくてはいけないはずで、これはベトナム戦争を背景にした話だったのだ。しかし、戦争の話ではなく、あくまでも人間の生きざまの話なのだそうだ。だが、やはり「戦争」というものが起こした悲劇なんだから、この作品から「戦争」の要素を消し去ることはできない。

あらすじは考えてみれば、ありふれたストーリーであるのかもしれない。日本でも同じようなことがあった。その国に駐在していた外国人と現地の娘が恋におち、やがて外国人は本国に帰って行く。身ごもった現地の娘はそこに残されその後1人で子どもを育てる。
そのようにして生まれた混血のこどもは実際いっぱいいて、現実のスライドで劇中に問題提起もされているが、その数だけそれぞれの人間のドラマがあったことを物語っていた。

この舞台の物語では、この2人の愛は戯れではなかった。男性クリスはベトナム人の恋人キムと本気で結婚し、サイゴンから撤退するときにはキムをアメリカにつれて行くつもりだった。しかし、そこで予想外の状況が起きて、ひきさかれるようにあえなく自分だけが帰国することになる。
その後、新しく生きなおすためにアメリカ人女性と結婚するが、クリスの記憶からベトナム戦争にまつわる悪夢は消えない。帰国して3年後に、キムが自分の子を生み、育てていることを友人を介して知り、そのことを妻に打ち明け、妻と友人とともにベトナムに探しに行くという誠実な男性だ。しかし、新しい妻を捨てることもできず苦悩する。キムはクリスの妻と遭遇しショックを受け、そして息子タムだけには、クリスの息子としてアメリカ人として幸福になって欲しいと願い、クリスに息子を託すと、自分は自害してしまう。

この作品の中で、サイゴンの人にとってアメリカとは、豊かで自由があり、夢を実現できる楽園のようなあこがれの国だった。
日本では、貧しかったとはいえ戦後にそこまでアメリカにあこがれてはいなかったように思う。それは政府のあり方が違ったからだろう。だから、アメリカ人の子どもを生んだ母親が自分の幸福を犠牲にして、子供だけでもアメリカ人にしたいとまでは思わなかったのではないかと思った。ベトナムに比べると日本の戦後のほうがはるかに状況がよかったと言えるだろう。

劇の途中で、エンジニアと呼ばれるキャバレー(売春宿)の主も、そのひとつ前の時代のフランス人とベトナム人の混血で、かつて同じ境遇で生まれた子であることが示されていた。彼は、なんとかしてアメリカに行き幸せになろうとあこがれている。
その様子から、どれだけサイゴンの人にとってアメリカが夢であったかがひしひしと伝わってきた。アメリカに行きさえすれば幸福になれるという安易な夢があまりにも悲しい。それが現実離れしているのは誰が考えてもわかることだが、それでもその夢を見続け、それをカテに生きるしかないのは、あまりにも現実の生活に夢の持ちようがないからだろう。
皮肉なことには、その現実離れした夢があるからこそ、何とか力強く生きることができているという現実だった。エンジニアの生き方は、客観的に見たら悲しく愚かで虫けらのようなものかもしれないが、観客はしだいにその姿を応援し、その人間に愛着さえ覚えていく。

キムとクリスの子、タムは産みの母を失いながらもアメリカ人として幸福に生きていけそうだが、エンジニアという人物を描くことによって、アメリカ人にならなくても人はなんとかそれなりに強く生きていくもんだという道も示されているのはこの作品の大きな力であろう。
別所さんの存在感は強く、「アメリカンドリーム」は、非常に印象に残った。

そのほかの重要な登場人物としては、キムの元いいなづけというトゥイがいる。
この男がこの劇の唯一の悪役でもあり、キムにしつこく言い寄るとともに、後には新政府に鞍替えして立派な地位を得て、さらにキムにクリスの子タムがいることを知るとタムに危害を加えようとするような卑怯な男だ。
そしてついにキムが息子を守るためにこの男を殺してしまうという大変な事件。ここで子を守ろうとする母親の姿に心を打たれた。
その後のキムとタムを守るのが、さもアメリカンドリームのためであるかのようなエンジニアだった。守った動機は、いつもうさんくさい彼のことで自分の都合かと思いきや、それだけでなく、自分自身がタムであったからだということが、私たち観客にだんだんにわかっていく。物語の展開や伏線が、非常にうまくできていた。

このミュージカルで印象に残ったのは、やはり大掛かりな舞台装置である。建物の装置などが割れて場面転換されるのもすごいが、何よりも実物大のヘリコプターが宙から降りてくる場面の迫力はすごかった。そこで、アメリカ軍がクリスを無理やり載せて帰国し、キムたちがフェンスの外に置き去りにされていく場面は悲惨だ。
宙から降りてくると言えば、アメリカンドリームを語るエンジニアの場面で、大きな自動車と華やかな女性もすごい迫力だった。
過去の記録を見ると、これらの装置がうまく転換できなくて劇が中断してしまうというアクシデントが起こったこともあるそうだが、私が見たときはすべてうまく行っていて、すごいなあと思った。
迫力と言えば、ホーチミンになったときの指導者の銅像やそれを崇拝する行列の様子もすごかった。
こういうダイナミックなところがミュージカルの魅力でもある。

ところで、重要なのは歌である。
キム役はソニンだった。ソニンの歌は普段下手ではないし声量があると思って期待していたが、感情の込め方にちょっとヒステリックな感じを受けた。感情がたかぶり、何かを訴える部分で、激しさとなって出すぎるようにも感じたが、気のせいだろうか。そして声が固く伸びるのでクリスとハモるところで、声が溶け合うのではなく、ぶつかり合うように感じた部分が何度かあったのが気になるところだ。
一方、友人のジョン(岡幸二郎)やクリスの妻(シルビア・グラブ)の歌声が声楽家のようにとてもきれいで聴かせてくれた。最初のストリッパーのようなかっこうの売春婦ジジ(池谷祐子)の声もすごくきれいだった。基本がしっかりした劇団の人という感じで、安心して鑑賞することができる。
しかし、ソニンさんの場合、歌う場面や出演場面が他の人たちよりも多く、かなり疲れるだろう。
劇が終わったあとのカーテンコールで、かなり体調が悪そうに思えたのも気のせいだろうか。席が遠くだったので顔の表情はよく見えないのだが、あまり笑顔がなかったようだし、お腹のあたりを片手でおさえていたように見えた。ソニンさんのいつものパワフルな明るい感じがなかったので、この日はもしかしたら最初から調子が悪かったのかもしれないと後で思った。
クリス(井上芳雄)については、歌が良い悪いの特段の印象はなかった。エンジニアの別所さんは、歌を歌う人というイメージが今まで私の中になかった分だけ、歌ったり踊ったりできるんだなと再認識したしだいだ。

人のブログを見ると、ミス・サイゴンを何回も見ている人が多い。そういう人たちは、筧さんや市村正親、他の人の演じるエンジニアや、知念里奈や他の女優の演じるキムなどを見比べて楽しむ人も多いようである。それによると知念里奈もかなり評判がいいようだ。
数人のキャストを交代で出演させているため、そういう楽しみもでき、同じ物語でありながら、毎回毎回違う楽しみを得ることができるのも、この公演の魅力だろう。

とは言っても、私の場合、そんな予算はないから何度も見ることはできないが・・・。

この作品、ミュージカルとしてとてもすばらしいものだと思うが、映画だったらまたもっと細やかな部分も演出できて、それもいい内容のものができるんじゃないかなと思った。

人の生き方、愛の問題、子を思う母の気持ち、のみならず、実際にあった歴史や戦争についても考えずにはいられない、様々なことを含んだ大きなテーマの作品だ。




コメントを投稿