いよいよオリンピックも最終日となった。
今日は、朝から男子マラソンを見ていた。男子の日本選手は、女子の選手が選出の段階から大きく報道で取り上げられていたのにくらべ、あまり話題になっていなかったようで、誰が出るのかもしらなかった。それで、メダル候補になるような人はいないのかなと思いつつ、でも、もしやと思い見始めた。
男子は女子と違って最初からスピードの違いが顕著だった。第一集団はアフリカ系の黒人の人たちばかりで、それからしばらく後ろに白人のトップがいて、さらにもっと後にやっと黄色人がいると言う具合だ。女子が人種の区別をあまり感じさせない順位だったのに対し、男子の場合は、黒人が圧倒的に強かった。
日本人選手は振るわず、残念な結果だというのが、世間大方の感想のようだが、途中で20何位とかそれ以降だとかいうことだった緒方が、後半次第に順位を上げて13位にまで上がってくれたのは、よく健闘したのではないかと思う。黄色人種の中では一番だったのでは・・・。また、佐藤は76位で、完走者の中では最下位とのことだが、100人近く走った中で、途中棄権者も多い中、完走したことは偉いと思う。もっとずっと上の順位の人でも、入賞できないと判明した段階で、あっけなく途中でやめているふうに見えた外国人などもいた。日本人の場合、佐藤がもし完走しなかったら、あとの1人もスタート前に棄権していることだし、みんなもっと残念な思いをしていると思う。
だから、最下位であろうとちゃんとゴールして、そして、礼儀正しくお辞儀をしている姿に感動した。
こういう結果でインタビューに答えるのは、本人が一番つらいはずである。でも、ゴールする人間の中には、必ずトップがいて、最下位もいるのだ。その人たちみんな走りぬいた人たちで、その努力を労いたい。
日本人の選手の人たちは、今回の苦い経験を活かして、今後頑張ってくれるものと思う。
ところで、やはり、オリンピックスタジオに一番で入ってきて、観衆の声援を浴びながら走るトップの選手の気分はいいものだろうなと思った。金メダルはケニアのワンジル。ケニアは初めての金メダルだそうだ。そして、この人は、仙台の育英高校時代から日本でマラソンの訓練を受けていて強くなった人だということが、日本にとっての大きなプレゼントだった。
日本語でインタビューに答えてくれているのをみて、まるで日本人が金メダルを取ったかのように嬉しくなってしまった。
このワンジルはゴールした瞬間に胸で十字を切り、その後地面にひざまづいてまた十字を切っていたのが印象に残った。神に感謝しているのか、黒人の人たちもキリスト教が多いようだ。キリスト教の人というのは、走りながらも神に祈ったりしているものなのかもしれない。
また、今回のマラソンの場面では、途中でワンジルとトップを並んで走っていたエチオピアのメルガが、スペシャルという飲料をワルジルに譲っていたのも印象的だった。
ワンジルは手で感謝のしぐさをしていたが、その直後にスピードを速めてトップに躍り出た。メルガは、同時に次第に疲れを見せて遅れていったように見えた。メルガは、飲料を渡した時点で自分の限界を悟っており、ワンジルにトップを譲る覚悟だったのかもしれない。
こういう、国の違う人が、他国の選手に対して真心を示すという様子に、非常に心を打たれた。
また、ワンジルがゴールして十字を切っている姿を見た時に、聖書の中に、国や信仰の違う人にも救いの手を差し延べることを教えたイエスの教えを思い出した。
確か、聖書の中にサマリアの水汲みの女から水をもらおうとするイエスの話があった。当時、ユダヤ人はサマリア人と仲が悪く、お互いにかかわりを持とうとはしなかったので、水をくれと頼むことはないはずだ。だからイエスの行為に女は驚き、そこで、話すうちにイエスが預言者であることがわかり、そのことがサマリア人にも伝道される。
ワンジルはメルガからスペシャルを与えられたときに、メルガに感謝すると同時に自分に神の応援があることを確信したのではないのだろうか。だから、急に速くなったのではないかなと感じた。
ケニアとエチオピアというのは、地図を見ると隣同士の国のようである。もともと選手同士仲がいいのかもしれないが、国が違い走者としてメダル争いの敵であることには違いがない。
女子マラソンでは中国の2人の選手が一緒に走り、常に水や物品を共有していた様子には、すごい合理的戦略だな~と思ったが、そのようなことは舌を巻くことはあっても感動などするはずもない。全くわけが違うのだ。
男子マラソンは見ていて気持ちがよかった。
ケニアのワンジルに続いて、2位はモロッコのガリブだった。そして、その後にはワンジルに優しさを示したメルガがゴールに近づいていたので銅メダルをとってもらいたいと応援したが、すんでのところで4位の人にぬかされてしまった。抜かした人が同じ国エチオピアのケベデだったのが、救いではあった。5位はケニアのレルだっただろうか。黒人勢が圧倒的だ。
13位だった緒方がゴールした後、地面に足を投げ出して座っているワルジルと親しげに話していた様子は友好的でいい感じがした。
金メダルのワンジルは、日本で我慢することを学んだそうだ。信仰があり、さらに我慢することを知っている選手は鬼に金棒かもしれない。
日本人は走る時に何を思って走っているのか。日本人は無宗教なので、神に祈りはしていないのかもしれないが、最後まであきらめずに走る姿を見せてくれたと思う。
今回のマラソン選手では、ワンジルのように絶好調の人もいたが、日本選手は男女ともにオリンピックにむけての練習や調整に失敗した人が多かった。外国人でも途中棄権などが多いような気がするが、いつもこんなにたくさん途中棄権者がいるものなのだろうか。
もう少し何日かしたら、勝敗についての色々な分析や、北京の環境についての情報なども、いろいろでてくるのかなと思う。
テレビで解説に出演していた人が、宗茂だということに気がつき、懐かしかった。もうずっと昔かもしれないが、宗猛と宗茂の双子の兄弟、マラソン強かったな~。瀬古さんもいたな。昔の選手が今も指導者として活躍していることを知りうれしかった。
日本人選手が強かったあんな時代、また来るといいですね。
今日は、朝から男子マラソンを見ていた。男子の日本選手は、女子の選手が選出の段階から大きく報道で取り上げられていたのにくらべ、あまり話題になっていなかったようで、誰が出るのかもしらなかった。それで、メダル候補になるような人はいないのかなと思いつつ、でも、もしやと思い見始めた。
男子は女子と違って最初からスピードの違いが顕著だった。第一集団はアフリカ系の黒人の人たちばかりで、それからしばらく後ろに白人のトップがいて、さらにもっと後にやっと黄色人がいると言う具合だ。女子が人種の区別をあまり感じさせない順位だったのに対し、男子の場合は、黒人が圧倒的に強かった。
日本人選手は振るわず、残念な結果だというのが、世間大方の感想のようだが、途中で20何位とかそれ以降だとかいうことだった緒方が、後半次第に順位を上げて13位にまで上がってくれたのは、よく健闘したのではないかと思う。黄色人種の中では一番だったのでは・・・。また、佐藤は76位で、完走者の中では最下位とのことだが、100人近く走った中で、途中棄権者も多い中、完走したことは偉いと思う。もっとずっと上の順位の人でも、入賞できないと判明した段階で、あっけなく途中でやめているふうに見えた外国人などもいた。日本人の場合、佐藤がもし完走しなかったら、あとの1人もスタート前に棄権していることだし、みんなもっと残念な思いをしていると思う。
だから、最下位であろうとちゃんとゴールして、そして、礼儀正しくお辞儀をしている姿に感動した。
こういう結果でインタビューに答えるのは、本人が一番つらいはずである。でも、ゴールする人間の中には、必ずトップがいて、最下位もいるのだ。その人たちみんな走りぬいた人たちで、その努力を労いたい。
日本人の選手の人たちは、今回の苦い経験を活かして、今後頑張ってくれるものと思う。
ところで、やはり、オリンピックスタジオに一番で入ってきて、観衆の声援を浴びながら走るトップの選手の気分はいいものだろうなと思った。金メダルはケニアのワンジル。ケニアは初めての金メダルだそうだ。そして、この人は、仙台の育英高校時代から日本でマラソンの訓練を受けていて強くなった人だということが、日本にとっての大きなプレゼントだった。
日本語でインタビューに答えてくれているのをみて、まるで日本人が金メダルを取ったかのように嬉しくなってしまった。
このワンジルはゴールした瞬間に胸で十字を切り、その後地面にひざまづいてまた十字を切っていたのが印象に残った。神に感謝しているのか、黒人の人たちもキリスト教が多いようだ。キリスト教の人というのは、走りながらも神に祈ったりしているものなのかもしれない。
また、今回のマラソンの場面では、途中でワンジルとトップを並んで走っていたエチオピアのメルガが、スペシャルという飲料をワルジルに譲っていたのも印象的だった。
ワンジルは手で感謝のしぐさをしていたが、その直後にスピードを速めてトップに躍り出た。メルガは、同時に次第に疲れを見せて遅れていったように見えた。メルガは、飲料を渡した時点で自分の限界を悟っており、ワンジルにトップを譲る覚悟だったのかもしれない。
こういう、国の違う人が、他国の選手に対して真心を示すという様子に、非常に心を打たれた。
また、ワンジルがゴールして十字を切っている姿を見た時に、聖書の中に、国や信仰の違う人にも救いの手を差し延べることを教えたイエスの教えを思い出した。
確か、聖書の中にサマリアの水汲みの女から水をもらおうとするイエスの話があった。当時、ユダヤ人はサマリア人と仲が悪く、お互いにかかわりを持とうとはしなかったので、水をくれと頼むことはないはずだ。だからイエスの行為に女は驚き、そこで、話すうちにイエスが預言者であることがわかり、そのことがサマリア人にも伝道される。
ワンジルはメルガからスペシャルを与えられたときに、メルガに感謝すると同時に自分に神の応援があることを確信したのではないのだろうか。だから、急に速くなったのではないかなと感じた。
ケニアとエチオピアというのは、地図を見ると隣同士の国のようである。もともと選手同士仲がいいのかもしれないが、国が違い走者としてメダル争いの敵であることには違いがない。
女子マラソンでは中国の2人の選手が一緒に走り、常に水や物品を共有していた様子には、すごい合理的戦略だな~と思ったが、そのようなことは舌を巻くことはあっても感動などするはずもない。全くわけが違うのだ。
男子マラソンは見ていて気持ちがよかった。
ケニアのワンジルに続いて、2位はモロッコのガリブだった。そして、その後にはワンジルに優しさを示したメルガがゴールに近づいていたので銅メダルをとってもらいたいと応援したが、すんでのところで4位の人にぬかされてしまった。抜かした人が同じ国エチオピアのケベデだったのが、救いではあった。5位はケニアのレルだっただろうか。黒人勢が圧倒的だ。
13位だった緒方がゴールした後、地面に足を投げ出して座っているワルジルと親しげに話していた様子は友好的でいい感じがした。
金メダルのワンジルは、日本で我慢することを学んだそうだ。信仰があり、さらに我慢することを知っている選手は鬼に金棒かもしれない。
日本人は走る時に何を思って走っているのか。日本人は無宗教なので、神に祈りはしていないのかもしれないが、最後まであきらめずに走る姿を見せてくれたと思う。
今回のマラソン選手では、ワンジルのように絶好調の人もいたが、日本選手は男女ともにオリンピックにむけての練習や調整に失敗した人が多かった。外国人でも途中棄権などが多いような気がするが、いつもこんなにたくさん途中棄権者がいるものなのだろうか。
もう少し何日かしたら、勝敗についての色々な分析や、北京の環境についての情報なども、いろいろでてくるのかなと思う。
テレビで解説に出演していた人が、宗茂だということに気がつき、懐かしかった。もうずっと昔かもしれないが、宗猛と宗茂の双子の兄弟、マラソン強かったな~。瀬古さんもいたな。昔の選手が今も指導者として活躍していることを知りうれしかった。
日本人選手が強かったあんな時代、また来るといいですね。