山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

坂本一生

2006-08-15 22:56:35 | テレビドラマ・映画
今日、何気なくテレビをつけていたら、「今田タレント活性工場」とかいう番組をやっていて、昔の歌手や俳優が出ていた。その人たちは今や何をしているのかというような過去のものとなってしまった人が多かったのであるが、ちょうど、私と同じくらいの年齢の人が多く、朝倉未希や中村あゆみなど、今現在テレビに出ることはないものの、年齢を重ねてそれなりに力強く魅力的になっている人たちも印象にのこった。

その芸能人たちの中に、坂本一生がいたのであるが、このひともいつの間にか見かけなくなっていた人だった。もともと最初の出だしが悪かったというか、加勢大周の名前の取り合いでもめながら、新加勢大周などと言って出てきたが結局は坂本一生となったものの、俳優としてあまりすっきりした活躍はないままだったようだ。

しかし、運動神経はさすがなもので、運動神経抜群のにしきのあきらを上回る高飛び能力なども見せていたようである。

なんか、けっこうオーラがあるような気がした。
この番組に出ている芸能人は、もともと一度は売れた人間なのだから、それなりの魅力はあるはずで、なんか芸能人リサイクルショップのような感じでもあるのだが、この人まだまだ使えるんじゃない?結構いいジャン、という感じも人も多い。

占い師がこれから売れるというひとは、確かにオーラがあるような気もした。

それで、坂本一生が9時からのドラマにエキストラとして出るというので、それが見たくてついついそのドラマまで見るに至った。(彼が視聴率をあげたってことだね。)
坂本一生は体育教師の役で、廊下を走っていく女子生徒に向かって「おい、お前廊下走るなよ」という一瞬の出演だった。
久々のことで、あまりうまいせりふでもないようだったが、体育教師というのは適役だろう。そのほかに刑事とかもいいかもしれない。

なんか、昔よりいい味がでそうな感じもするので、演技を磨いて活躍してもらいたいものである。
私は以前から特にこの人が好きだったわけでもないが、最後の字幕に坂本一生と出ていたのをみたら嬉しい気持ちになってしまった。

そういえば、「人間活性工場」みたいに、私も活性化できないかな?

時計

2006-08-15 00:53:34 | 読書
村上春樹のエッセイの中に「ささやかな時計の死」というのがある。
昔はねじ巻き時計だったが、最近は小型の電池で長期間動き続け、毎日勝手に動いてくれるようになった。だから昔のような時計と人間の交流はなくなったともいえる。便利になったが、代わりに或る日突然止まるので、その予期せぬ時計の死のような停止に気づいたときはショックようなものを受けるとのことだ。
たしかに、昔の時計は毎日ねじを巻くのは大変だが、巻きさえすれば限りなく動いてくれたから、突然の停止に出くわすことはなかった。その点、今の時計は、めったに電池が切れることはないとは言っても、いつ切れるかという不安がある、私がよく思うのは重要な試験の最中に止まったりしたらどうしようかということである。

高校生の娘は時計を持っていない。私が子どもの頃は高校に入学するときに、初めて腕時計を買ってもらうのが慣わしだった。しかし、うちの子供の年代では、その代わりに携帯電話になっている。今現在はもう中学生や小学生も持っているようであるが・・・。
携帯があると、試験でもないかぎり、腕時計は必要ない。それで、子どものころ買ってやったディズニーの時計なんかも電池が切れたまま、机の引き出しに眠っているようだから、いざというときに使い物にならない。それで、もし、大学受験のときなんかには、私の腕時計を貸してやろうかと思うが、ちょうど電池が切れて運悪く止まったりしたら困るなと思ったりする。

そういえば、携帯はすぐに充電が切れるから、毎日電気を補充しなければいけないところはねじ巻き時計と共通する点もある。昔の時計に対するように携帯の世話をし、毎日携帯と対話していると言えよう。いや、それ以上に一時たりとも手放せないほど交流しすぎというのが大問題でさえある。

村上氏のエッセイの中では、ある同い年の知人女性から腕時計をもらい、その知人がその後間もなく37歳で亡くなり、それからしばらくした或る日、その時計が止まっていたという時計の死を実感する体験が書かれていた。

時計というのは、なんかそういうことを感じさせる物体である。
止まっていた時計が動き出すと、それが何事かを暗示しているかのように、何かが復活したりすることがあるし、逆に人の死を暗示して止まることもある。実際に事故や災害の起きた時間を刻みながら止まっていることも多く、時計も同時に死んだと思うと心に迫るものがある。

ところで、私が今使っている時計は、今勤めている会社の採用試験面接に行く前に買ったものだ。その前は、結婚した時に夫とペアの時計を買ったのを20年以上使っていたが、その文字盤の一部の液晶がちょっとにじんだようになってしまった。動くには動くが、充電したり、皮バンドを取り替えたりしてまで、使い続けるものではない感じになってしまったので使うのをやめた。その後はファッション小物など売っている店で安物の時計を買って間に合わせていが、そういうのは1年もしないうちに電池が切れたかどうかして止まってしまったりした。3年保障などと書いてあるがあてにならない。

携帯があるので、腕時計は必要がなかったが、面接に行くのには時計があったほうがいいなと思い、ちゃんとした時計屋で買うことにした。
昔買った夫とのペアウォッチは、いろいろな機能がついて高価なものだったが、今度のは、ただ単に時を刻む針だけのいたってシンプルなもので、値段も安いものにした。

新しい時計を買うことは、当時日本語教師とスーパーの仕事をやめて、全ての活動が停止していた私にとって、また別の新しい時を刻むことを暗示していたような気がする。
無事、パート採用が決まったときは、この時計のおかげで受かったような気さえしたものだ。

まだ一度も電池は切れていないが、この時計の電池が切れるころ、今の仕事に対して同じような情熱を持ち続けていられるだろうか?
時計はもう、新しくはなく、大分使いこなしてきたかんじだ。
この時計とともにいつまでやっていけるかな?