本当は、今学期の最初から、勉強しながらまとめていきたいと思っていたのですが、まともに勉強もしないまま、ついに単位認定試験も終ってしまいました。
しかし、つくづく自分に興味のある内容が詰まっていると思うので、復習しながら少しづつ書いて行きたいと思います。(これに関しては「放送大学」ではなく「車・運転・道路2014」のカテゴリーに書いていきます。)
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ヨーロッパでは、街の中心部には歩行者用の道路が張り巡らされ、カフェやショッピングセンターや教会などがあって、人がにぎわい、障害のある人や、お年寄りなども移動しやすいようにできているそうです。
日常の生活に必要な移動のことを「モビリティ」といい、ヨーロッパの街にはモビリティーが確保されていると言えます。
モビリティーが確保されていないと、買い物や通院などが難しく、日常生活が困難になってしまいます。ですから、モビリティーは生活の基本要素の1つです。
ところで、日本の街は移動しようと思ってもあちこちに障害やバリアがあってモビリティーが確保されていません。バリアフリーやユニバーサルデザインが提唱されても、なかなか交通整備が進みません。
高齢者は健康のため、本当は散歩やショッピングをして外出したほうがいいのですが、日本の道路は若者にさえ移動しにくいものになっています。
高齢者は、移動に公共交通機関や家族の車などを利用しますが、実は、家族に車で送ってもらう場合など、大変気を使っているそうです。できれば、自分自身で移動したいというのが本心のようです。
ですから、高齢ドライバーから単に車を取り上げればよいというものではなく、「移動の自立」のための教育や支援をどうしたらよいかが課題であり、また国民全体のモビリティをいかに確保するか、水準を上げるかが、大きな課題となっています。
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なにやら、まとめどころか、教科書の最初の部分をだらだらと拾い書きしてしまいました。
ここで思ったことですが、私が49歳で初めて運転免許をとったのは、実家の母が年老いて自分で移動するのが辛くなったときに、私が車で送迎できるようにと思ったからでした。
そして、今も、遠く離れて暮らしてはいるものの、いざとなったら実家に帰って役に立ちたいと思い、ペーパードライバーにならないために、用もないのに週末ドライバーをやっているわけです。
しかし、母の立場になってみると、自分のためにわざわざそんなことをしてもらうのは、かえって心の負担であり、母自身は自立して暮らしたいと思っているのだと気がつきました。
今は、車で実家に行ったことはないのですが、実家に帰ったときに一緒に歩いて買い物に行っても、80代の母は自分でリュックサックを背負って、その中にキャットフードなどを入れて歩いてきます。重いので、私が持ってあげようとするのですが、母としては自分でできる限りはやりたいようです。自分の飼っている猫の餌くらい自分で運んでくるのが、母の意地です。
この冬は、帰省する私たちのために、小さな石油ストーブをホームセンターから買ってきてくれました。大きい荷物なので配送してもらえと電話で言ったのですが、キャリーに載せて引っ張ってきたようです。
母がここまで元気に暮らしているのは、もしかしたら、これまで車がなかったからかもしれないと思います。自分で動くしかなく、そのおかげで運動機能が衰えなかったのかもしれません。
それでも、田舎の道は都会の道よりも危ないです。狭い車道には歩道もないし、信号のない交差点や坂道・カーブ、スピードを出す車など危険がいっぱいです。夜は暗いです。
今現在は良いとしても、さらに年をとればだんだん移動が大変になってきます。通院や買い物のたびにタクシーに乗るわけもいかず、買い物をしないで済ませれば、食べ物もありあわせのもので間に合わせて、栄養も取れないような状態になってしまいます。
趣味で出かけるのも、徒歩圏内に適度な行き先がないと、遠くまでは行くのがおっくうになってしまいます。
どうやって安全に便利に移動できるかというのは、老人には特に重要な課題だと思いました。事故に遭いやすい老人の行動特徴など、高齢化して行く日本にとって、交通心理学が非常に重要な事だと思いました。
また、老人のみならず、子ども・若者・一般人についても、行動や事故分析をして、改善していく事が重要だということを知りました。
しかし、つくづく自分に興味のある内容が詰まっていると思うので、復習しながら少しづつ書いて行きたいと思います。(これに関しては「放送大学」ではなく「車・運転・道路2014」のカテゴリーに書いていきます。)
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ヨーロッパでは、街の中心部には歩行者用の道路が張り巡らされ、カフェやショッピングセンターや教会などがあって、人がにぎわい、障害のある人や、お年寄りなども移動しやすいようにできているそうです。
日常の生活に必要な移動のことを「モビリティ」といい、ヨーロッパの街にはモビリティーが確保されていると言えます。
モビリティーが確保されていないと、買い物や通院などが難しく、日常生活が困難になってしまいます。ですから、モビリティーは生活の基本要素の1つです。
ところで、日本の街は移動しようと思ってもあちこちに障害やバリアがあってモビリティーが確保されていません。バリアフリーやユニバーサルデザインが提唱されても、なかなか交通整備が進みません。
高齢者は健康のため、本当は散歩やショッピングをして外出したほうがいいのですが、日本の道路は若者にさえ移動しにくいものになっています。
高齢者は、移動に公共交通機関や家族の車などを利用しますが、実は、家族に車で送ってもらう場合など、大変気を使っているそうです。できれば、自分自身で移動したいというのが本心のようです。
ですから、高齢ドライバーから単に車を取り上げればよいというものではなく、「移動の自立」のための教育や支援をどうしたらよいかが課題であり、また国民全体のモビリティをいかに確保するか、水準を上げるかが、大きな課題となっています。
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なにやら、まとめどころか、教科書の最初の部分をだらだらと拾い書きしてしまいました。
ここで思ったことですが、私が49歳で初めて運転免許をとったのは、実家の母が年老いて自分で移動するのが辛くなったときに、私が車で送迎できるようにと思ったからでした。
そして、今も、遠く離れて暮らしてはいるものの、いざとなったら実家に帰って役に立ちたいと思い、ペーパードライバーにならないために、用もないのに週末ドライバーをやっているわけです。
しかし、母の立場になってみると、自分のためにわざわざそんなことをしてもらうのは、かえって心の負担であり、母自身は自立して暮らしたいと思っているのだと気がつきました。
今は、車で実家に行ったことはないのですが、実家に帰ったときに一緒に歩いて買い物に行っても、80代の母は自分でリュックサックを背負って、その中にキャットフードなどを入れて歩いてきます。重いので、私が持ってあげようとするのですが、母としては自分でできる限りはやりたいようです。自分の飼っている猫の餌くらい自分で運んでくるのが、母の意地です。
この冬は、帰省する私たちのために、小さな石油ストーブをホームセンターから買ってきてくれました。大きい荷物なので配送してもらえと電話で言ったのですが、キャリーに載せて引っ張ってきたようです。
母がここまで元気に暮らしているのは、もしかしたら、これまで車がなかったからかもしれないと思います。自分で動くしかなく、そのおかげで運動機能が衰えなかったのかもしれません。
それでも、田舎の道は都会の道よりも危ないです。狭い車道には歩道もないし、信号のない交差点や坂道・カーブ、スピードを出す車など危険がいっぱいです。夜は暗いです。
今現在は良いとしても、さらに年をとればだんだん移動が大変になってきます。通院や買い物のたびにタクシーに乗るわけもいかず、買い物をしないで済ませれば、食べ物もありあわせのもので間に合わせて、栄養も取れないような状態になってしまいます。
趣味で出かけるのも、徒歩圏内に適度な行き先がないと、遠くまでは行くのがおっくうになってしまいます。
どうやって安全に便利に移動できるかというのは、老人には特に重要な課題だと思いました。事故に遭いやすい老人の行動特徴など、高齢化して行く日本にとって、交通心理学が非常に重要な事だと思いました。
また、老人のみならず、子ども・若者・一般人についても、行動や事故分析をして、改善していく事が重要だということを知りました。