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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

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短大1年5月28日の日記の一部

2012-05-30 23:39:02 | 学生時代の日記
197X年5月28日

・・・(略)・・・

次に“若い女性”を開き、今日買う服を研究しようとしたら、18歳の小説家、雑誌 群像の新人賞とか何とかで、中沢けい とかいう人間が載っていた。
明大二部の経済学部、昼はOL か。

私は人間を知らない。私は男を知らない。私は女さえ知らない。私は親を知らない。
私は、中沢けい とはまるで違う人間。
私が東京で今、夜間に通い、昼働いて1人では生きていけないだろう。
中沢けいが、高校時代に知っていたことを、私はこれから知る。
私の環境は恵まれていて、私は人間のキズを持っていない。
私は幼い。

しかし、私は焦らない。
私には、私の道があり、私には私の世界がある。
私は、中沢けいの世界を持っていない。
私には、もっと違った、私だけの世界がある。

だから私は、それを読んで、中沢けいという18歳の小説家を知っても
焦らなかった。

★  ★  ★

2012年5月30日

つい2~3日前、本屋に行って、文庫本の棚を眺めていたとき、中沢けい の文庫が並んでいるのを見て、ちょうど思い出していた。
この人が自分と同じ年で若くして群像の新人賞を取ったときには、本当に驚いたものだ。
そして、その内容がすごく大人びていると当時思ったことも記憶にあった。
この人、今もなお小説家なんだな~と、何気なく思った。
その後、どんな作品を書いているのだろうとは思ったが、本を開いてみるでもなく、
他の本を買ってきた。
「風をつかまえて」 高島哲夫
「教授の異常な弁解」 土屋賢二
なるほど、タ行の作家の本を買ってきた。
中沢けいの本は、これらのもう少し右にあったっけ。
買った2冊の本は、家に戻っても袋にいれたまま、開けもしないで数日が経っていた。
なんという本を買ったかも忘れていて、今開けてみたところだ。

5月28日の日記は、大学ノート8ページにもわたるもので、読むのも大変だし、転記するのも大変だから、すっとばしていたのだが、今日読んでみたら、中沢けいのことが書いてあったので、そこだけ転記してみた。この人の最近の作品も読んでみるといいかもしれない。
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短大1年5月30日の日記

2012-05-30 23:00:36 | 学生時代の日記
197X年5月30日

半分寝たような半分起きたような細切れの睡眠をとって、朝の4時となった。もう寝られないので起きた。表現法演習の作文を書かねばならない。なんだか、無性につぶ入りオレンジジュースが飲みたい。

一見、解決してまともに生きだしたと思ったのだが、やはりそうではなかった。昨日は急にまだ脱力感におそわれ、外に出たくなり、旺文社文庫の万葉集をさがしに本屋を探すことにした。どうせ、あるなんて思いはしなかった。4つの本屋をまわり、そのまま夜の道を散歩した。○○商店街を突き抜けると、○○駅のもう1つの口があった。初めて知った。そのまま、まっすぐに行くと○○街道につき当たった。そのまま右に曲がって、○○駅東口のほうに歩いた。ずいぶん長かった。人はいなくて、車の明かりだけが続いている。このまま、まっすぐ行ったらどこへ行くんだろう。
まっすぐ、まっすぐいったら、どこへ行くんだろう。

こんな時には何をするべきなのか、酒を飲むべきなのだろうか。
それが解決なんだろうか。
原因は、自分でもわからないのだ。
ただ、夜中じゅう、東京の道をまっすぐ歩いて散歩していられたら、一番いいような気がする。夜の外に出ていたいと昔から思うことが多い。そして、部屋の中でも、夜中というのは不思議な魅力がある。
雨戸を閉めるのは嫌いだ。電気をつけてるのも嫌いだ。
夜中は外の色が一番いい。
雨が降ってきた。だんだん明るくなってきた。

オレンジジュースの中毒になった。

★  ★  ★

今まで転記した日記は、選んだものだったので、日付が飛んでいる。
それで、日にちが前後してしまうけど、ちょうど3X年前の今日5月30日の日記も転記してみた。

粒入りオレンジジュースが好きとは驚く。最近は飲んでいないし、だいたい今「粒入りオレンジ」ってあるのかな?

表現法演習の作文だの万葉集だのって“国文”してるなあ~~

それにしても、この生活の乱れようは何なんだろう。
私が親だったら、東京で1人暮らしを初めたばかりの18歳の娘が、夜街中をうろうろ歩きまわってるなんて、家に引き戻しそうである。知らぬが仏だ。

昔、「20歳の原点」(高野悦子)という日記の本を読んだ。その人は、自殺しちゃった人だけど、
なんか、似たような空気を感じてしまう。
私は、1度も死のうなんて思ったことはないけど、心の中に割り切れないものがいつも巣くっていたのは確かだ。

旺文社文庫の万葉集は確かに家にあったから、その後買ったんだと思う。かなり分厚いものだった。ほとんど読まなかった。それも、今あるかなと思って本箱を見たが、やはりなかった。
その代わりに、三島由紀夫の「春の雪」を見つけた。これは自主的に読んだものだ。この作品はよかったという記憶がある。これは「豊饒の海」の1で、豊饒の海は4巻(春の海・奔馬・暁の寺・天人五衰)あり、転生について書かれているとか。続けて読もうと思いつつ、未だに読んでいない。


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心落ち着かず

2012-05-30 22:20:14 | 日記


大昔の日記を引っ張り出してきて、読むにつけ、ある意味客観的に自分の若かりしころのことを見つめ直すことはできるのだけど、自分の事であるゆえに、やはり真に「客観的」というわけにはいかない。若いころから今に至るまで、人生でやり残したこと、達成できないままのことを思いだし、悶々としてきてしまうこのごろだ。

どうも、心の整理がつかないし、日記なんか読みなおしていると、過去を振り返るばかりで、現実、この現在には何の進歩もなく、無為な毎日を過ごすだけだということに気がついた。いったい、今現在、何をすれば満足できるというのだろうか。

同じ振り返るにも、「若い時は奮闘してたな」と思うだけでなく、「金閣寺」や「仮面の告白」でも読んでみるかと思い、本棚を探してみた。
無い。
捨てたのだろうか?
漱石はあるけど、三島はない。あったところで、昔の文庫本は文字が小さいから読めそうもないが、買ってまで読むかなあ・・・

だいたい、今、本を読むことなんて、ただの気休めではないか。
現代の作家の作品を読むにしたって、人の書いたものから何かを感じたりして、その内容に満足したとして、それでどうなるっていうのだろう。

実際には、満足できるもの、私を夢中にさせてくれる作品には、まだ出合ったことがないのだ。

とにかく、することもないので、新聞を開いてみた。

讀賣新聞 本日の夕刊
作家 藤原智美 スパイス“金環日食 見逃した”というエッセイがあった。
なかなか、面白い。
著者が金環日食を見逃したこと。まれなものは特にきれいだと感じる事。
どんなにきれいなものも見慣れてくると感動がなくなること。
「しかし本当に幸せなのは、慣れ親しんだものにも美しさを感じるときだ。」
「珍しいこと、まれなことばかりを追いかけ続けるのも疲れる。」
最後は、
「金環日食を見逃した悔しさからか、へそ曲がりな思いにとらわれた1日だった。」と結ばれていて、笑った。

1955年生まれ。福岡県出身。明治大学政治経済学部卒業。
1990年に「運転士」で芥川賞受賞。

この人の作品でも読んでみるか。
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万人向けの話題なんてない

2012-05-30 01:32:09 | 日記


日ごろ、自分はどうも、好みや関心事が普通の人と違っているのではないかと思う。
でも、ふと思ったけど、それは誰しも同じなのかもしれない。
世の中に、一般的な人が、絶対多数いるわけではなく、みんなそれぞれの好みや関心事を持っていて、たまたまそういうものが合う人同士が友だちになったり、夫婦になったりしているのだろう。

だから、仕事場が一緒ということで、同じ場にいるからと言っても、趣味や関心事が一致するとは限らない。ある話題にはついていけるけど、他の話題はチンプンカンプンというのは、私に限らず、別の人にもあるのだろう。

個人的なことを話したり聞いたりして、楽しいと思う人もいれば、つまらないとか面倒臭いとか思う人もいる。
すべての人が楽しめる話題なんてありえないのであり、それを探そうとすると、何にもない。

共通の話題なんて、天気がどうのっていう話くらいだ。

だから、やっぱ、自分が好きなことを聞いたり、話したりしないかぎり、何もなくなってしまうんじゃないかな。

ブログだってそうだけど、結局のところ、みんな書きたいこと書いてるし、それぞれに関心事は違うし、万人向けの内容で書いている人なんかいないし、不可能だ。
自分が好きな内容のブログを選んで、いくつかは毎日読んでるけど、それでも、関心が持てる記事と持てない記事はある。あまり関心のなかったことでも、読むことで関心が起きたりすることもあるし、相変わらず自分には無縁の内容であることもある。

まあ、何事も適当にやっていきましょう。
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コミュニケーションの難しさ

2012-05-30 00:39:56 | 日記
今朝、テレビで気に入らない上司の行動、部下の行動というのをインタビューしていた。
それによると、若者が上司からされていやなことの1つに、「休日はどこに行ったの」などと、仕事とは関係のない個人生活について、聞かれることというのがあった。私生活に立ちいられたくないし、答えるのが面倒臭いのだそうだ。

そういうもんか、とちょっと驚いた。確かに、私の会社でも、後から転任してきた上司などが、朝の仕事前などに、「ゴールデンウィークはどこか行くんですか」などと、唐突に声をかけてきたりして、驚くことがあるが、なるべくコミュニケーションを図ろうとしているのだろうと感じ、普通に話している。その上司は、新人の人にも「仕事は慣れましたか」などと、声をかけている様子だ。最初は、ぎこちない感じでも、そういうことのやり取りで、人間関係がいくらか出来ていくようにも思う。しかし、確かに若者というのは、若者同士ならばよいのだろうが、上司には話したくないのかなと、テレビをみて思った。

私も上司ではないが、年代的には上司と同じ世代であり、お茶などを入れに行って、若い社員に会ったりすると、「お子さんは大きくなったでしょう。」などと、聞いてしまうことがある。以前に社内の誕生報告などで知らされていると、あれからどれだけ経ったかな?もう歩くころか?などと思ったりするからだ。
しかし、もしかしたらそういうのも、答えるの面倒臭いな~と思っているのかもしれないと思った。個人的なことは聞かないほうがいいのかな?

コミュニケーションの方法を観察してみると、個人的なことは聞かず、個人的なことは、話したい人が話すというのが、よいのだろうか?
私は、とかく「徹子の部屋」みたいにインタビューしてしまうのだが、どうも間違っているのかもしれない。数人集まっても、次々に「あなたはどう?」のように聞いてしまったりするのだが、後になると、みんなは話したけど、誰も私のことは聞いてくれなかったな、と思うことが多い。そもそも、その人たちも、聞かれたからしかたなく答えたのかもしれないし、人にものを聞くのは難しいことだ。
親しい仲間うちでは自分のことを聞かれもしないのに話したりするけど、それはそれで、「あなたの個人的なことなんか関心ないから」と思われているかもしれない。

ということは、ちょっとした休憩中などには、個人的なことを言ったり聞いたりはせず、世の中で話題になっていることなどを話すのがよさそうだ。ちょっと前だと、ダルビッシュがどうしたとか、最近では、スカイツリーがどうしたとか。

私の場合、世事に疎いので、そういう話題は苦手であるため、ついつい個人的なことを話題にしてしまうが、20代前半の次女なども、私の会話にはいら立つらしく、「そんなことは聞きたくない」などと言われるし、何かを聞けば「そんなこと、いちいち返事したくない」などと不快をしめす。いったい、なんだったら話題にしていいものか、わからなくなる。次女の場合、どうも思考回路が我が家の人間とは違い、世間の若者的である。日ごろ、店でお客や同僚と会話をしているからかもしれない。

他人が興味のあるものとは、いったい何なのだろう?
他の人たちは、いったいどういうことを話題にしているのであろうか?
どういう話題が、無難であり、楽しめるものなのだろうか?

これから、研究しなくてはいけないなあ。
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