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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

自転車の車道走行について

2012-05-27 23:21:20 | 運転・車・道路の事
今日、神代植物公園に行く時に、東八道路より南側の武蔵境通りを走っていた。神代植物公園は、その通りを曲がったところにある。
そのあたりの武蔵境通りは、片側2車線できれいに整備されていて、歩道も広く、歩道は歩行者用と、自転車用に区分けされている素晴らしい道路だ。

ところが、ここでなぜか車道の第一車線を自転車が走っており、広い歩道に自転車道があるのに、なぜゆえか???と思ってしまった。

その後左折するので、こちらも第一車線を走らなくてはならないから、自転車に走られると、結構じゃまなのである。

で、ふと思ったことは、もしかしてこの自転車の人は、歩道上に自転車用のレーンがあることを知らないのでは?ということだった。

道路と歩道の境には、樹木が植わっており、自転車道があることが見えないのではなかろうか?自転車は車道を走るという交通ルールとなっているために、どこか遠くからずっと車道を走ってきた人が、いきなりこの道路にきて気がつかないのも不思議ではなかった。
自転車道があることを知っていれば、車道を走るわけがない。

となると、自転車用の道路が、車道上に作られるところもあれば、歩道上に作られるところもあり、わけがわからないのではなかろうか?そういうこともはっきりさせなくてはならないだろう。標識などを作って、自転車の人にわかるようにしなくてはいけないだろう。

また、本日恐ろしいと思ったのは、片側2車線もある広い車道に、交差道路から車と一緒に右折で出てきた自転車である。自転車は車道を走ることになったと聞いて、右折するときまで車と同じになったと勘違いしているらしい。
自転車に乗っている人は、運転免許を持っていない人も多く、そもそも交通ルールを知らないし、起こりうる事故の危険性なども教わる機会がない。そのうえ、ヘルメットもかぶらない。
車道を自動車と一緒に走る限りは、最低限のルール知る義務があるだろうし、バイクにヘルメットが義務付けられているのに、自転車にないというのもおかしいと思う。

車が左折するときに、自転車が左端を直進してくるというのもかなり怖い。横断歩道を渡る人がいるために一時停止などしている車がいるときに、その後ろをすり抜けて走ったりすることになる。以前だったら、人と同じに横断歩道に沿って渡っていたものだが、今度は大きく右側に飛び出てきたりする。

だいたい自転車は待つということをせず、T字路や押しボタン信号では、赤信号を無視して進んでしまうものが多い。それは、車道を走っているにも関わらず、車両だと言う意識がないからだろう。

また、道路の進行方向右側に目的地があった場合、渡りやすいところであらかじめ渡ってから、右側を逆走していくことも多い。
目的地前を行き過ぎてから右に渡り、左側通行で戻って来るということをしない。車では、ルールにのっとって当たり前に遠回りをすることを、自転車の人はしない。

自転車のルールの徹底がなんとしても必要である。
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神代植物公園(駐車場にて)

2012-05-27 22:27:45 | 運転・車・道路の事
5月はなんとなく疲れ気味で、ゴールデンウィーク後の休日は家にいることが多く、気がつくともうあと4日で終わろうとしている。
今年もバラの季節だなあと思って、結局、夫といっしょに昨年と同じ神代植物公園へ行った。バラフェスタが今日まで行われていて、すごい人だった。11時前に到着したと思うが、普通の駐車場は満車で、臨時駐車場に向かった。臨時は対向車線側にあると思っていたら、自分の進行方向左側にもあって、対向車線を越えないで入ることができた。次々に連なって入って行く。そして、出口に近い端から順に詰めて駐車していくようになっていた。

ここで、困るのが車庫入れのへたくそなことだ。自宅の駐車場と同じように進行方向右側に入れることになったのは良かったが、隣の車に接近して置くのがおそろしい。特に、人が車からまだ出る途中で、ドアを開けたりしていたので、右隣とかなり間隔を開けて左の区切り目の線にまたがってバックしていき、後で補正しようとして、いいかげんな位置からバックしようとした。そうしたら、とたんに駐車場のオジサンに、「そんなところからバックしたらだめ、もっと前に出てから下がらないと」と注意されてしまった。

指示通りに前に出て、そのあとも、オジサンの言う通りにほぼ従って、とりあえず入れた。次に入ってきた大きなミニバンが、1つ空けたところに置いたので、どうしたことかと思って、車から出てみると、うちの車の助手席側はラインまで20センチくらいしかなかった。もう少し右に寄せなくてはと思っていると、そこに日産マーチが入ってきた。マーチの幅だったら大丈夫ってことなのだが、私の車が左に寄りすぎているのは恥ずかしいので位置を補正した。

ああ、まったく迷惑なオバサンである。普段から、2台分以上空いているところに、いい加減にラインを跨って下がっていき、補正すればいいと思っているのがいけないのだ。こういうところでは、一発で入れるのがあたりまえらしい。次々に入って来る車もみんな一発で入れて、位置の補正などは全くする必要のない精密さである。
たしかに、自宅の駐車場では、隣のラインにまたがって入れたりはしていないので、やろうと思えばできるはずであった。これからは、一発で入れるように心がけよう。

ところで、右側は運転席から後輪が目視できるのでいいが、左側にバックして入れるということは、ほとんどなく、よりいっそう難しく感じる。
しかし、道路の左側から左へバックするということは、結構あることなのかもしれず、なんとかできるようにならなくてはいけないだろうと思う。免許を取って以来、方向転換などしたこともないので、いざという時に困ったことになりそうだ。
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昔の日記を読んだ日

2012-05-27 00:43:18 | 日記
今日は、短大のころの日記を読んでいた。古い新聞紙にまとめて包んで、ガムテープで封印してあったのをやぶいて出してみた。どれも大学ノートに書いていて、順番に並んでいないから、探すのが大変だった。あのころは、故郷から東京に出てきて、4畳半のアパートで独り暮らしを始めたばかりだった。1人だから時間もいっぱいあって、集中して日記を書いていたらしい。
それにしても、1回の分量が長いし、内容もわけのわからないようなめちゃくちゃなものなので、今となっては驚くが、当時は今以上に混沌としていたなあ、若かったなあと思う。それでも、一生懸命生きていたんだなあと思った。

ここ7年くらいは、ブログばかり書いていて、個人的な日記はノートなどには書いていない。ブログとなると一応他人が読むことを想定しているので、いくら匿名とはいっても、そんなにドロドロしたことは書けないから、本音丸出しというわけではない。そして、一応他人が読んでもわかるように書いている。

しかし、短大時代に書いていた日記は、自分以外の人間が読むことなどは想定していないので、とにかくめちゃくちゃだ。それにしても、いろんな本を読んでいて(読まされていて)かなり苦しんで生活をしていたようである。

今や、当時読んだ本は全く記憶にないので、あれはやはり自分の肥やしにはなっていなかったのかもしれない。もう一回読んでみようかなと思う。

日記をざっと飛ばし読みしていると、庄司薫の講演を聴きに行ったなんていうのがあって、驚いた。
えっ?庄司薫の本物を見たことがあったのか。この記憶喪失は全くショックであった。

日記を読み返して、その時に読んだ本をもう一度読み、その時に行ったところにもう一度行けば、人生を復習することができるかもしれないけれど、そうすると、復習ばかりしていて、新しいことができないままになってしまうかもしれない。

当時読んでいたような小説は、今はもう半分古典みたいなものになって、図書館の保存書庫に眠っているであろう。今は今で、別のやることがあるのだろう。

あのころに比べると、今はもうただ毎日同じ仕事を繰り返すばかり。ずいぶんと単純な毎日を過ごしている。服装も他人も意識することなく、何にも悩まなくなった。
それに、昔の日記に書いてあったように、文学なんて嫌いで、自然科学が好きだと書いてあるから、今はその通りに自然科学に関連した文献ばかり扱っているのだ。

だから、平穏だ。

単純にして、平穏な日々。
昔の日記を読んでると、本当に毒されてきそうである。
そこにいくと、今はあっさりしすぎかもしれないな~などと思った。



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短大1年 6月4日の日記

2012-05-27 00:20:09 | 学生時代の日記
197X年6月4日

あまりおもしろくない「金閣寺」を空が白んでくる手前3時40分ころまで読み、20分の1くらいを残して睡魔に負けた。6時半に目を開けたが、また眠り続け、7時50分ころ起きて、8時45分ころ全部読み終えた。しかし、頭の整理が何もつかず、ゼミに出る気をなくした。三島由紀夫の文芸読本を読んで、いいかげんにしていたが、なぜか突如生きる気を出し、皿を洗い、部屋を掃除し、机に向かった。授業はほっぽっておいた。

それにしても「金閣寺」はあまり気分の良い小説ではない。金閣寺が頻繁に出て、それが出ることによって小説全体を陰鬱にしているようである。多くの文学者や三島の同士も「金閣寺」以降は読んでいない人が多く、私なんか「仮面の告白」でも消化不良を起こしているのに「金閣寺」なんか、とてもダメである。

昔はよく私の脳細胞が1つ1つ真四角に整列するように感じて苦しんだものだが、今やもう1つの細胞膜さえなくなってしまった感じがする。しわしわぶよぶよの細胞がただ不細工に置かれているように思える。頭に綿がつまっているというより、銅のかたまりになっているような、もう私の頭は何にも働かないのだ。

「金閣寺」の気分の悪さに反して、不思議と三島由紀夫という人間を考えると気分は良いくらいである。太宰のようにぐずぐずしたところがなく、しっかりして潔癖であるように感じる。同じ自殺にしても、切腹というと消極的な感がない。
しかし、太宰以上に理解に苦しみ、小説は気分が悪いのだから、いやになってしまう。あと1週間で私の脳細胞が生き返る可能性はあるのだろうか。

いったい、こんなにまでして理解する必要があるのですか?理解できないということは、今の私が生きる上では必要がないものであるということではないでしょうか。そんなものに熱中して、若い時代の貴重な時間をつぶすことに意味があるのでしょうか?

考えるということは、全く苦手である。事務的なことしかできない。全く正反対であることに気がついた。私は生物学が好きなんです。自然科学が好きなんです。

読むということは簡単である。私は意味もない評論を読んでいる。癖になってしまったのだ。見てもいない見当もつかない劇の批評文を読み、聴いたこともないピアノまたはオーケストラの論評を読んでいる。チンプンカンプンである。しかし、わかったように読んでいる。三島由紀夫についての文もそうである。抽象的な言葉ばかりで実際には何もわからないのだ。私は何も考えず文字を読んでいるだけなのである。私には“ふんづまり勉強”しかできないのだ。知識の寄せ集めしかできないのだ。

体操から逃避した。ピアノから逃避した。逃避ついでに最後の道かもしれない文学も逃避しようか。何にもつかめないかもしれない。ちょっと苦しいだけでやめるなんて。でも、私は逃げたいのだ。

絵の鑑賞、演劇の鑑賞、音楽の鑑賞、文学ではなく読書。これで満足していると、M子のひどく嫌っているY先生(※高校時代の先生)と同じことになる。誰にでもできることだ。こんな次元で立ち止まっちゃいけない。
それなら、どの分野で突き破ることができる? どの分野だろう。

私は逃げる。逃げ切ります。開き直ってしまおう。□□式文学は私の道ではない!と。
この2年間は○○短大の2年ではなく、東京の2年とする。私は学校をいい加減にして、部活と自分の演劇に生きます。ゼミなんかに縛られてたまるもんですか。

・・・・・・・・・・・・・・

1人の人間の存在が私の正常を狂わせているのだ。
○川○子である。
それがすべての原因である。
逃げてはいけない。
逃げたらいつまでたっても救われない。
追い越すのである。
滅茶苦茶に生きてみろ。
無駄だとしても、苦しめばいいんだ。
バカはバカなりに闘争すればいいんだ。甘ったれていたんだ。

僕は、○○○になる。

★ ★ ★

当時の思い出

三島由紀夫の「金閣寺」をゼミで扱うことになっていたときのもの。
ゼミの日までに、作品を一通り読み、あらすじをまとめておくという予習が課されていたようだ。
「金閣寺」には、かなり手こずっていたようである。
昔は、何でもどんどん読めたと思っていたが、そうではなかったということがわかった。
だから、強制されることのない今、気に入らない作品が読めないのは当たり前なのだろう。
昔からちっとも変っていないし、今に至っても授業をさぼるのも相変わらずであることがわかった。

○川○子さんは、同じゼミで、私の好きなタイプだった。
彼女は、決して目立つ人でもなかったが、自分と比べて何から何まで優れていると思っていた。
そのコンプレックスに取りつかれていて、文学作品について語るときにさえ、彼女を意識してしまっていたようだ。
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