山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

やばい

2009-10-11 07:49:18 | 日記
なんと、今朝、ベランダから富士山が見えました。

引越してきてちょうど1週間です。おとといあたり、初めて遠くの山並みがよく見わたせるのを発見し、そこに富士山もあるのではないかと探したのですが、それらしきものはありませんでした。
ところどころに高いビルがあるので、ちょうどその後になってしまって見えない位置なのかもしれないと思っていました。

しかし、今朝、まったく障害物のないところに富士山がそびえたっているのです。

ええっ、こんなことがあっていいのか!!!
もうびっくりです。

これが、民間のマンションだったら、富士山が見えるということで、家賃がはね上がるのではないかとさえ思えます。
この部屋を決定する時点では、部屋を見ることもできなかったし、富士山が見えるという情報も全くありませんでした。
もし、それがわかっていたら、みんなの希望が殺到するんじゃないでしょうか。

富士山は、今まで見えていた山々の後に存在しており、高さがずっと高いので
雲に隠れていたようです。

これから、天気がよく、雲がかからないときには1年中富士山を見て暮らせると思うと、本当にこんなに恵まれた環境を手にしていいのだろうか!と、
なんか、なんの努力もしないで、こんなラッキーな思いをして、バチが当たるんじゃないだろうかと思うくらいです。

本当に感謝です。


外車

2009-10-11 01:49:41 | 運転・車・道路の事
今日、会った友人の1人はベンツに乗っている。

自分が運転免許を取るまでは、友人がどんな車に乗ろうとまるで関心がなかったが、いつのまにか自分が変わっていた。
そして、帰り際に運転席を覗かせてもらった。

夜で暗かったので、車内は電気系統の表示が光っているばかりだが、やはり広々としていた、車幅もあきらかに広い。

そして、当然のことながら左ハンドルである。

友人が言うには、左ハンドルのほうが運転しやすいのだそうだ。
それは、左側の巻き込み確認がしやすいからだという。

なるほど、確かにそういうこともあるのかと思った。

しかし、狭い道で対向車とすれ違うとき、車と車の間隔がどのくらいあるかなどはわかりにくいのではないかな?

そういえば、狭い道の角で自転車に乗って信号待ちをしていたとき、右折する車に巻き込まれるのではないかと思ったことがあった。
状況によっては、巻き込みは左折ばかりに限られないなと思った。

ベンツをみるとものすごく大きくて、特にボンネットが長く、運転席から車の前端までの距離がある。よくあんな車を運転するなあと思うが、友人は20代で免許を取ったものの、かなり教習時間をオーバーしたという。
今では、スイスイ乗り回している。

運転というのはやはり慣れなんだろうか。
友人も運転が好きらしい。
お酒よりも運転が好きだし、車のためなら一生懸命働いちゃうという部類かもしれない。
以前の職場では、車で通勤したいために、職場近くに月ぎめ駐車場を借りていたようである。

そういえば、家の近所の駐車場でも、夜に車はなく、毎朝車を止めに来ている人がいて、そこに自転車が置いてあり、不思議だな~と思っていたら、駐車場の近くに自宅があるわけではなく、どこか遠くの自宅から車に乗ってきて、そこに車を置いて、そこから職場までは自転車で通っているらしきことがわかった。

また、先日、電車が止まってしまった時は、普段通勤では使わない車を使って出勤した人も多かったらしい。そういう時は便利である。

今度、友人たちと駐車場のある店で集まる時は、車で行ってみようかな。


いつまでも同じではない

2009-10-11 01:39:15 | 日記
先ほど、親しい友人と食事をしてきました。雰囲気的には飲み会という感じですが、4人中3人はアルコール抜きです。私も自転車のため、アルコールはなし。自動車学校に通ってからは、アルコールに関してはかなり厳しくなりました。自転車も軽車両ですし、人身事故でも起こしたら大変です。べつに酔っ払うほど飲んでいないにしても、万が一、人が飛び出てきてぶつかってケガでもさせてしまった場合、アルコールが入っていたら問題です。それに自転車の場合は保険にも入っていません。自転車の人身事故で、補償のために一生を台無しにした人もいるそうです。だから、自転車に乗るときも、アルコールは飲まなくなりました。

さて、本題ですが、久しぶりに気の置けない友人たちとおしゃべりしてきたものの、なんかぴんとこないなあと言うのが実感です。
特に、その中の一人が専業主婦なのですが、子供の中高生のころの塾や成績の話などを延々としていて、しかも自分の子供ではく、その同級生がいかに出来が悪く、その親にもかなり迷惑をかけられた、というような話を懇々と聞かされました。
私にとっては過去のことなどどうでもいいし、まして、よその子供の成績順位がどうだった、どこの大学を受けて受かったとか落ちたとか、そんなことにはあまり関心はありません。その噂の子供はすでに23~4歳なんですよ。
よその子の噂話はしばらく続きましたが、そういうことについて、まるで現在のことのように、ずっとずっと関心を持ち続けている人っていったい何なんだろうと思います。
ほかの2人は、表面は親身になって聞いていたようですが、本当に関心があるのかな~。

なんとなく、無駄な時間をすごしたような気分になってしまいました。

そして、思ったんですが、ブログを読ませてもらったり、読んでもらったりしている人たちは、顔も名前も知らない人ばかりですが、少なくとも現在のこの時点において、何らかの関心の共通点があったり、どこか波長が一致する部分があるんじゃないかと思うのです。
だから、もしかしたら、実際に顔をつき合わせている友人よりも、ネットの世界でやりとりしている人たちのほうが、自分の本質に合っているのかもしれません。

ブログは、自分の世界なので、ほっとしてしまいます。
だからといって、ブログの世界に安住しているのは良くないのでしょうが、子供が小さい頃からの昔ながらの友人たちが、いつまでも自分の同類であり続けるわけではないんだな~と実感しました。
それは、その人が変わったわけではなくて、自分が変わったのかもしれませんけど、とにかく、人間はそれぞれに変化していくものなので、その時その時に自分に合った人と交流を深めていくのが自然の成り行きでもあると思います。