正月早々のお葬式の印象は今でも残っている。
血のつながった従姉が癌で急死しのだ。従姉とは子どものころ会ったきりで、最後に会ったのは高校生のころかもしれない。親戚が多いので、特にその従姉妹と言葉を交わす機会もなく、当時の記憶はお互いにあまりないと思う。
そして、私は短大のときから東京に出てきて、そのまま就職、結婚となり、もう30年も故郷の親戚の前に姿を現すことがなかった。従姉は女姉妹のため、お婿さんをもらって実家を継いでいたが、そのようなわけでこの30年間会う機会もなかった。
お互いに20何年も主婦をして、子育てなどしていたわけで、もし生前に会えたなら、いろいろな話ができたかもしれない。
だが、突然の死という知らせで、そのような機会もないままに終わってしまった。
思えば、女のいとこの中では、一番年齢が近かった人である。
生きているその人には会えなかったが、葬儀のときに、やはり30年も会っていない他の従姉弟妹たちに会うこととなった。昔懐かしい従弟妹もいたが、年齢が十歳以上も年下の従弟妹たちがいて、子どものころから名前さえ知らないし、顔も見覚えがない人がいた。そんな人が誰であるのかを確認し、子どものころのわずかな記憶をたどったりして話す機会を得た。
ひにくにも、いとこが亡くなったことで、そんなきっかけが得られたのだ。奇しくも従姉との別れが、親戚同士の出会いになったということだった。
こんなことで新年早々に顔を合わせるというのも悲しいことだが、叔父や叔母、従弟妹たちとの再会というのは、なんとも言えぬあたたかみを感じた。父方の親戚になるのだが、やはり血のつながりというものだろうか。母方の親戚も近所にあるので、母方の人も来ていた。
親戚、しかも長年ほとんど交流のなかった親戚で、習慣も趣味も職業も、住んでいる地域も何一つ共通するものはない。だから、親戚でないならば、関係のない人たちである。
でも、先祖(私から見た祖父母)が同じであるということ、その子どもと婚姻関係で結ばれた配偶者、そしてその子供、ということで、どこかにつながるものがある。
亡くなった従姉妹がそういうつながりを再確認させてくれたのだから、そういう親戚とのつながりを大切にしていきたいと思った。
血のつながった従姉が癌で急死しのだ。従姉とは子どものころ会ったきりで、最後に会ったのは高校生のころかもしれない。親戚が多いので、特にその従姉妹と言葉を交わす機会もなく、当時の記憶はお互いにあまりないと思う。
そして、私は短大のときから東京に出てきて、そのまま就職、結婚となり、もう30年も故郷の親戚の前に姿を現すことがなかった。従姉は女姉妹のため、お婿さんをもらって実家を継いでいたが、そのようなわけでこの30年間会う機会もなかった。
お互いに20何年も主婦をして、子育てなどしていたわけで、もし生前に会えたなら、いろいろな話ができたかもしれない。
だが、突然の死という知らせで、そのような機会もないままに終わってしまった。
思えば、女のいとこの中では、一番年齢が近かった人である。
生きているその人には会えなかったが、葬儀のときに、やはり30年も会っていない他の従姉弟妹たちに会うこととなった。昔懐かしい従弟妹もいたが、年齢が十歳以上も年下の従弟妹たちがいて、子どものころから名前さえ知らないし、顔も見覚えがない人がいた。そんな人が誰であるのかを確認し、子どものころのわずかな記憶をたどったりして話す機会を得た。
ひにくにも、いとこが亡くなったことで、そんなきっかけが得られたのだ。奇しくも従姉との別れが、親戚同士の出会いになったということだった。
こんなことで新年早々に顔を合わせるというのも悲しいことだが、叔父や叔母、従弟妹たちとの再会というのは、なんとも言えぬあたたかみを感じた。父方の親戚になるのだが、やはり血のつながりというものだろうか。母方の親戚も近所にあるので、母方の人も来ていた。
親戚、しかも長年ほとんど交流のなかった親戚で、習慣も趣味も職業も、住んでいる地域も何一つ共通するものはない。だから、親戚でないならば、関係のない人たちである。
でも、先祖(私から見た祖父母)が同じであるということ、その子どもと婚姻関係で結ばれた配偶者、そしてその子供、ということで、どこかにつながるものがある。
亡くなった従姉妹がそういうつながりを再確認させてくれたのだから、そういう親戚とのつながりを大切にしていきたいと思った。
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