「エホバの証人」というのは、敬虔なるクリスチャンで、善良な人たちであると言っていいと思いますが、信じられないような言動もあります。
ハルマゲドンが来ると、地球上の人は、生き残るものと滅ぼされるものがいるとのことです。生き残るものはイエスキリストを正しく信仰する者であり、滅びるものはそうでない人たちとのことです。
となると、一般のカトリックとかプロテスタントなどは実際には聖書の教えを守ってはいない偽りの信仰であるという考えですから、生き残るのは「エホバの証人」だけということになります。それでも、かなりの人数ですが地球上のすべての人間から考えたら割合は少ないでしょう。
何ら法律を犯していない人たちも、親切な人たちも、エホバの証人で無ければダメだそうです。だから、すごくたくさんの人が死んでしまうということらしいです。
そういう人を少なくするように、みんなが救われるようにということで、エホバの証人は伝道活動をしているのだそうです。
それでも、最終的に多くの人が滅びるというのは、予言されていることなのだそうです。
どのような形で滅びるのかわかりませんが、滅びたあとは、やはり片付けたりきれいにしたりしなければならないはずだとのことです。
そうやって初めて、地球上に悪がなくなり、神に従う善良な人間と美しい地が生まれるのだそうです。
そんな話を聞いていると、じゃあ、この近所に住んでいるひともみんな死んじゃうのかと思ったりします。自分自身もその中に入るわけですけど、仮に生きていると想像して考えて見ます。あそこの豪邸に住んでいる人もいなくなっちゃうのか、などと思います。
空き家ばっかりになるのかな?それは大変だろうな。人がすまなくなると、家ってのはどんどん朽ち果ててしまうものだし、庭にも草がはびこるだろうし・・・などと思います。
道路工事とか建設業に携る人も、生き残った人のなかにどれだけいることだか。そんな社会がなりたつんでしょうか。
まあ、楽園になった後には、過去に亡くなった人が復活してくるという預言もあるので、人は減るばかりではないようですが・・・。
多くの人が滅びたあとどうなるのか、ふと空想してしまいました。
この人口密度の高い東京のひとたちが大部分いなくなったら、もう家なんか選びほうだいですよ。生き残った人間は、その辺にある他人の家の中から気に入った家を選んで住むこともできるんじゃないですか?
でも、そんな変なことを考えると、ひと気のなくなった町のなかで、私は好き放題に立派な家を選ぶでしょうか?
・・・これは恐ろしい空想です。こんなこと考えてはいけないでしょう。
ハルマゲドンとは関係なしに、たとえばの話、「どの家を選んで住んでもいいよ」なんてことがあったとしても、私が立派な家を選ぶのはやはり分不相応だと思います。
私はやはりこの公営住宅に住んでいるかもしれません。
それでも強いて選ぶなら、小さくてあまり新しくない控えめな家を選ぶことでしょう。
それにしても、早くハルマゲドンが来て地球が楽園になってほしいと思うエホバの証人には同意できません。そういう人は、自分は生き残ることが保証されていると思っているから、そんな考えをするのではないでしょうか。
私はやはりみんな生きていたほうがいいと思います。だから、永遠の命なんかいらないし地球は完全な楽園になんかならなくていいと思います。
お金持ちは豪邸に住み、貧乏人は狭い家に住めばいいのです。
ハルマゲドンが来ると、地球上の人は、生き残るものと滅ぼされるものがいるとのことです。生き残るものはイエスキリストを正しく信仰する者であり、滅びるものはそうでない人たちとのことです。
となると、一般のカトリックとかプロテスタントなどは実際には聖書の教えを守ってはいない偽りの信仰であるという考えですから、生き残るのは「エホバの証人」だけということになります。それでも、かなりの人数ですが地球上のすべての人間から考えたら割合は少ないでしょう。
何ら法律を犯していない人たちも、親切な人たちも、エホバの証人で無ければダメだそうです。だから、すごくたくさんの人が死んでしまうということらしいです。
そういう人を少なくするように、みんなが救われるようにということで、エホバの証人は伝道活動をしているのだそうです。
それでも、最終的に多くの人が滅びるというのは、予言されていることなのだそうです。
どのような形で滅びるのかわかりませんが、滅びたあとは、やはり片付けたりきれいにしたりしなければならないはずだとのことです。
そうやって初めて、地球上に悪がなくなり、神に従う善良な人間と美しい地が生まれるのだそうです。
そんな話を聞いていると、じゃあ、この近所に住んでいるひともみんな死んじゃうのかと思ったりします。自分自身もその中に入るわけですけど、仮に生きていると想像して考えて見ます。あそこの豪邸に住んでいる人もいなくなっちゃうのか、などと思います。
空き家ばっかりになるのかな?それは大変だろうな。人がすまなくなると、家ってのはどんどん朽ち果ててしまうものだし、庭にも草がはびこるだろうし・・・などと思います。
道路工事とか建設業に携る人も、生き残った人のなかにどれだけいることだか。そんな社会がなりたつんでしょうか。
まあ、楽園になった後には、過去に亡くなった人が復活してくるという預言もあるので、人は減るばかりではないようですが・・・。
多くの人が滅びたあとどうなるのか、ふと空想してしまいました。
この人口密度の高い東京のひとたちが大部分いなくなったら、もう家なんか選びほうだいですよ。生き残った人間は、その辺にある他人の家の中から気に入った家を選んで住むこともできるんじゃないですか?
でも、そんな変なことを考えると、ひと気のなくなった町のなかで、私は好き放題に立派な家を選ぶでしょうか?
・・・これは恐ろしい空想です。こんなこと考えてはいけないでしょう。
ハルマゲドンとは関係なしに、たとえばの話、「どの家を選んで住んでもいいよ」なんてことがあったとしても、私が立派な家を選ぶのはやはり分不相応だと思います。
私はやはりこの公営住宅に住んでいるかもしれません。
それでも強いて選ぶなら、小さくてあまり新しくない控えめな家を選ぶことでしょう。
それにしても、早くハルマゲドンが来て地球が楽園になってほしいと思うエホバの証人には同意できません。そういう人は、自分は生き残ることが保証されていると思っているから、そんな考えをするのではないでしょうか。
私はやはりみんな生きていたほうがいいと思います。だから、永遠の命なんかいらないし地球は完全な楽園になんかならなくていいと思います。
お金持ちは豪邸に住み、貧乏人は狭い家に住めばいいのです。