勝ち組、負け組、という格差がはげしくなる昨今である。
不幸なことに、身内親族のなかでも格差は広がりつつある。
収入の格差は能力の格差から始まっているのだろうか?と思うこともある。
夫は英語を一番の得意とする人間だった。
しかし、これは主観的に英語を得意としているということだった。
世の中の人間を無差別に100人選んできたら、その中では結構英語ができる部類の人間だなと思える程度の人間だった。
海外旅行に言っても困らず、日常会話に不自由をしないという程度だった。
それで、夫は英語ができることをセールスポイントにしていた。
ところで、姉の夫はべつに英語は得意ではないとのことだった。むしろ苦手であるから苦労しているという風な感じだった。英語はむしろウィークポイントというようだった。
ところがである。
数年もたってみたところ、どうも様子がちがうのである。
姉の夫は英語で国際会議などに参加するくらいの英語力を有しているらしい。
そして、英語で複雑な物事を説明したり、営業や交渉もするくらいの英語能力の持ち主だったのだ。そして、しょっちゅう外国に出張している。
若いときからそこまで完璧にできたというわけではないのだろうが、振り返ってみればもともとかなりできたことは確かなはずで、それにさらに磨きをかけ、経験を積んで、今や英語力において、夫などは足元にも及ばない状況だ。
姉の夫の場合は、別に専門分野があり、それを伝えるための道具としての英語力を必要としているのだった。
若い頃、夫が英語が得意だと聞いたことで、夫を立てて自分の能力を隠していたのかもしれない。
また、姉の夫の場合、本人にとっては英語以外の分野にもっと得意なものがあったということだろう。すべての水準が高いということだったわけだ。
そんななかで、さらに仕事ではもっと高度な英語スキルを要求され、英語で苦しんでいる=英語が苦手(?)、という表現になったのだろう。
一方、夫は英語しかできない人間であり、日常、能力の限界を体験する機会もなかったので、英語が得意と思い続けてきたのだった。
当然のことながら、自分の中での特技っていうのはけっして客観的なものではないのだ。
あるいは、基準をどこに置くかによって、どうにも変化するものなのだ。
本当にシビアな世の中だ。
夫はかわいそうな状況にあるが、まあ、優秀な人間には持ち得ないようなおもしろおかしい長所もあるので、そっちを買いたいと思う。
不幸なことに、身内親族のなかでも格差は広がりつつある。
収入の格差は能力の格差から始まっているのだろうか?と思うこともある。
夫は英語を一番の得意とする人間だった。
しかし、これは主観的に英語を得意としているということだった。
世の中の人間を無差別に100人選んできたら、その中では結構英語ができる部類の人間だなと思える程度の人間だった。
海外旅行に言っても困らず、日常会話に不自由をしないという程度だった。
それで、夫は英語ができることをセールスポイントにしていた。
ところで、姉の夫はべつに英語は得意ではないとのことだった。むしろ苦手であるから苦労しているという風な感じだった。英語はむしろウィークポイントというようだった。
ところがである。
数年もたってみたところ、どうも様子がちがうのである。
姉の夫は英語で国際会議などに参加するくらいの英語力を有しているらしい。
そして、英語で複雑な物事を説明したり、営業や交渉もするくらいの英語能力の持ち主だったのだ。そして、しょっちゅう外国に出張している。
若いときからそこまで完璧にできたというわけではないのだろうが、振り返ってみればもともとかなりできたことは確かなはずで、それにさらに磨きをかけ、経験を積んで、今や英語力において、夫などは足元にも及ばない状況だ。
姉の夫の場合は、別に専門分野があり、それを伝えるための道具としての英語力を必要としているのだった。
若い頃、夫が英語が得意だと聞いたことで、夫を立てて自分の能力を隠していたのかもしれない。
また、姉の夫の場合、本人にとっては英語以外の分野にもっと得意なものがあったということだろう。すべての水準が高いということだったわけだ。
そんななかで、さらに仕事ではもっと高度な英語スキルを要求され、英語で苦しんでいる=英語が苦手(?)、という表現になったのだろう。
一方、夫は英語しかできない人間であり、日常、能力の限界を体験する機会もなかったので、英語が得意と思い続けてきたのだった。
当然のことながら、自分の中での特技っていうのはけっして客観的なものではないのだ。
あるいは、基準をどこに置くかによって、どうにも変化するものなのだ。
本当にシビアな世の中だ。
夫はかわいそうな状況にあるが、まあ、優秀な人間には持ち得ないようなおもしろおかしい長所もあるので、そっちを買いたいと思う。