山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

20 ブランド信仰

2007-07-22 12:18:45 | 読書
村上龍 「ダメな女」

“ローマのプラダの百人を越す日本人。
道後温泉の全身シャネルの女の子……”

概要
著者(村上)は中田英寿が出場する試合を見るためにイタリアへ行った。そのとき、同行の人の買物に付き合ったが、それはその人が娘さんのためにプラダのバッグを買うものだった。
プラダに入ると、そこには100人を超す日本人(大部分女性)がいて、デパートのバーゲンセールのようだった。
日本は長く不況が続いていて、その原因は消費マインドの冷え込みと言われているが、その購買意欲をみるととてもそのようには思えなかった。
外国で買物をしても日本経済には何のメリットも無いので、ブランド物を買う金があったら日本でお金を使ってもらいたいものだと著者は思った。
日本は不況だといわれてはいるものの、この様子から、すべての人が困っているわけでもないし、日本からお金がなくなっているわけでもないことを実感し著者は妙に安心した。
昔、著者は四国の道後温泉にゴルフに行ったことがある。そこのクラブに背が低く小太りでトリケラトプスのような顔をした女の子が働いていた。その子は、恐ろしいことに全身シャネルで身を包んでいた。シャネルを身に付けるためにクラブで働いているのだそうだ。
以下引用。
「間違っている、と私は言った。あなたがシャネルを買うことで、あなた自身もあなたのお母さんのあなたの客も天国のココ・シャネルも、誰も真の幸福を手に入れることなんかできない。そういうのをまるっきりの無駄というのだ。そういう無駄は今すぐ止めて、そのお金で英会話とか簿記とかを勉強すべきだ……。そういうことをしつこく言っていると、その子はついに怒りだした。~略~」
「ブランド信仰は、近代化を急ぐ国が通過しなければいけないステップのひとつなのかもしれない。」それはいつなのかどういう形なのか、経済的な破局のときか、「ブランド信仰から自由になり、消費に対する個人的な価値観の定着によって」なのか誰にもわからない。
とのこと。

この文がかかれたのは数年前で、日本が不景気だと言われていたときですが、その頃も、今も相変らずブランド信仰はあるようです。しかし、ブランド大好き人間と全く関心の無い人間の二極化があり、しかもその分かれ方は単純に金持ちと貧乏人というわけでもなさそうです。「ブランド信仰から自由になっている人」「個人的な価値観」をよく感じるようになりました。
知人のお金持ちの奥さんの中には、ブランド物にはまったく興味がなく、自己研鑽に励んだりボランティア活動を熱心にしたりしている人が多いと感じます。一般人向けのヨーロッパ旅行なんかもう卒業していて、あまり旅行者が行かない秘境の地などに出かけていき、現地の普通の店で服や装身具などをみつけて買ってきます。それを何げなくセンスよく身に付けていて、聞いてみるとそういうことで、日本円にすると信じられないほど安かったりします。完全に個人的な価値観です。
また、健康に気遣って服装よりも食べ物や飲み物の質に力を入れ、ヨガなどの体によいことをしている人も多いようにかんじます。そういう人は、高級フランス料理やブランド物などにはあまり関心がなく、手作り料理をし、麻や木綿の服などを着ていることが多いです。しかし、そういう自然風の素材や食材も質がよいものは実はかなり高額であり、中流以上でなければできないことがわかります。
中身がからっぽでブランド物を買いあさるような人とはかけ離れているわけで、そういう人も確かに増えていると思います。

私自身は、貧乏でブランドの店にも入れないような身なりなので、当然ブランド物には無縁であり、ブランド信仰の人とも付き合えません。
しかし、不思議に上記のような人との交友が多いのです。こういう人は自分の能力を活かして社会的な活動をしている場合が多いのですが、虚栄心もなく自然体で付き合いやすいと感じます。



19 怖い女

2007-07-22 00:56:57 | 読書
村上龍 「ダメな女」

“愛情に恵まれずに育った子どもが
大人の女になると
ダメな女ではなく、怖い女になる。”

概要
ダメな女の見分け方は残念ながらない。
いい子犬というのはわかる。いい子どももわかる。
友達と元気に遊んでいる子どもはいいが、暗くうつろで仲間に入っていけない子どもに何らかの問題がある。
そういう子どもは、親から虐待されているとか、幼児期に愛情に恵まれなかった場合が多い。そういう子供は自己評価が低く、自分には価値がないと思い、人間関係も不信に満ちたものとなってしまう。
そういう子どもも様々な社会経験を経て大人になる。すると、ダメな女ではなく怖い女になる。
「オーディション」という私(村上)の書いた小説に登場する女がそういう怖い女の典型である。彼女は男が自分の虜になるように振る舞い、そうなったあとは男を試し始める。自分のために男がどこまで自分を犠牲にするかを試し、わがままを行ったり、自殺すると脅したりする。
また、甘やかされて社会性を身に付けないで育った子どもも手に負えない女になる。
怖い女は見分けることができず、誰からでも好かれているが実は怖い女というのもいる。
怖い女というのは非常に魅力的である場合もある。
たぶん林真須美という女は、若い頃、かわいかったのではないかと思う。
とのこと。

毒入りカレー事件の林真須美の様子は私もよく覚えている。案外かわいい顔をしていた。体はちょっと太めだが、健康そうで、明るいイメージだった。陰湿な感じは全然しない。
彼女がどのような幼児期を送ったのかは知らない。だが、怖い女であることは確かだろう。
裁判でも黙秘を続けているそうで、彼女の心は全然見えない。

幼児期の育ち方は人間にとって重要である。事件が起こるたびに育ち方に問題があったことがわかる場合が多い。

その後の事件で思いつく怖い女は、畠山鈴香容疑者だ。彼女は子どもの頃から同級生などにもかなり嫌われるほど変な人物だったようだが、自分の娘綾香ちゃんとその友達の米山豪憲君を殺害した疑いで逮捕されている。彼女の心にもはかり知れないゆがみがありそうだ。

マスコミの人を相手に良くしゃべり、映像の中に積極的に出演していたようなところが、この2人はよく似ていると思う。

怖い女になってしまったら、もう取り返しがつかないのだろうか。