村上龍 「ダメな女」
“別に無理して結婚しなくてもいいし
ブランド品が好きだったら、
死ぬほど買えばいい。”
概要
相変らず景気が悪い。もし景気がよくなるとは言っても高度経済成長は期待できないし、日本的な経営システムにはほころびが見える。
ありとあらゆるところで機能不全が起こっているが、こういうとき女はどうすればいいか。
女子大生の就職も大変そうだ。
こういう時に有効なのは、考えを変えてみることだ。しかし、ほとんどの人はどう変えればいいかがわからない。
経済戦略会議では「国民一人一人の意識の改革」が大事だと言い、みんなも時代が変わろうとしていることはわかっている。しかし、どう変革すればいいかわからない。
テレビなどでも、どう変わればいいかを具体的に言っている人はいない。
日本と日本人はこのままでいいと言っている人もいるが、このままとはどういう状態を示すのかもはっきりしない。大人になってから意識を変えるのは難しい。
私(村上)は、不況が悪いことだとは思っていない。不況だと言っても困っているわけではないし、作家はいつも失業しているようなものだ。日本的なシステムや考え方が機能しなくなっているのもいいことだと思う。
不況になったからといってダメな女の概念がかわるわけでもない。
「ダメな女とは経済的&精神的に自立していない女であり、誰かに頼りたがる女だ。そういう女は、大恐慌になっても、逆にこれから日本経済が奇跡的な回復を果たしても、永遠にダメな女のままだろう。」
ただ、私は説教じみたことは言いたくない。昔からああしろこうしろと言うのは好きではないが、このように先が見ない時代は特に説教は意味がない。説教をする人の言うことを信用してはいけない。
~しなければいけない、とか、~であらねばならない、などということはない。
女はしとやかであらねばならない。女は職業を持たねばならない。・・・・・・等々、そういうことは人間の真理として決まっているわけではない。
自分のやりたいようにやればいい。ただやりたいことをみつけるのは簡単ではない。好きな職業で経済的に自立したほうが生きやすい。子どもを生んでも生まなくてもいいし、結婚してもしなくてもいい。ブランド品が好きだったら死ぬほど買えばいい。
「~しなければいけない、~であらねばならない、という発想を変えてみるだけでも、充分に意識の変革になるものです。たぶん明日からでもできるでしょう。」
文面にそって書いていったらずいぶんと長くなってしまいました。要約が苦手です。
これが書かれてから7年くらいたつんでしょうか?日本は一応景気を回復させ、今年は大学生の就職状況も非常によく、女子大生も同様です。うちの娘などはラッキーです。内定もいくつかもらいました。その中から好きな会社を選ぶことができました。
日本人の意識の変革もいやおうなくされたといえます。民間企業では終身雇用、年功序列なんか完璧に崩壊したといえるでしょう。
景気は回復したとはいえ、勝ち組負け組みの二極化が起こり、裕福な層と、一方にはワーキングプアが発生してしまいました。ただ単に真面目に働いたからと言って良い結果が出るとはかぎりません。悪質なことをして儲ける人もいます。しかし、プラス思考で努力や工夫を積み重ねて成功を勝ち取る人もいる世の中ですから、不条理とはいいきれません。
そんななかで、「女性の品格」などという「こうあるべき」というふうなことが書かれた本も出ています。これも間違いではないでしょう。しかし、これに目を通すとこれは「勝ち組」の女性に向けて書かれているのではないかと思わざるを得ません。安物の服を買うなとか、路上でティッシュを受取るなとか、そんなことを指図されたくはないのです。まあ、品格のある女性になりたい人だけが読んで従えばいいことであって、それも自由にちがいありません。
人生の中で、何が大切か?ということを各自が考えないと「うつ病」になると思います。
貧乏人には貧乏人なりの誇りを持つ必要があります。ホームレスにはホームレスの生き方があります。人にはそれぞれの幸せがあります。自分で生き方を選んでいるのです。
この文を最初に読んだとき、犬井ひろしの「○○するか○○するかを決めるのは自由だ~」というのを思い出しました。サングラスをかけてギターを弾きながら「○○イズフリーダム~」と歌う人です。
あれを聞くとなんか急に心が解放されます。
この間は、「超大作のメールの返事を書いていて、やっと出来上がったと思った瞬間、それがどういうわけか一瞬にして消えてしまったとき、すごく短い返事にして済ませてしまうか、それとも電話で済ますかは自由だ~」と言っていました。
そういうことよくあります。私は、まともな返信文を書こうとして、その文面がそれでいいのかどうか考え込んでなかなか返事が送れないことがあります。結局はものすごく遅くなり、しかもものすごく簡単な返事にしてしまうことも多いです。
だから「お礼状」というのも苦痛です。馬鹿みたいですが、お礼状のようなものをかしこまって書こうとすると気が変になりそうなのです。
しかし、確か「女性の品格」では、すぐにお礼状(郵便書面)を出すのが品格のある女性のあるべき姿のようなことが書いてありました。
「お礼状を書く」ということ、それをクリアできない人間は人間の屑になるのでしょうか?字が下手なので更に苦痛が増します。電話で済ませたらだめなんでしょうか?
そういう価値観に縛られると、ほんとうに気が変になってしまう。
でも、縛っているのは、ほかならぬ自分なんだと思う。
鍋から直接ラーメンを食べてはいけないと決まっているわけではないのです。
掛け布団を敷布団の代わりにしてはいけないと決まっているわけでもない。
人が突然訪ねてきた時に、いつでも愛想良くにこにこして出迎えなくてはいけないわけでもない。
こうしなきゃならないということで自分を縛り付け、ストレスで気ちがいになるよりは、自由に振舞えばいいでしょう。
法律を犯さず、人に迷惑をかけないのなら問題はないはずです。
“別に無理して結婚しなくてもいいし
ブランド品が好きだったら、
死ぬほど買えばいい。”
概要
相変らず景気が悪い。もし景気がよくなるとは言っても高度経済成長は期待できないし、日本的な経営システムにはほころびが見える。
ありとあらゆるところで機能不全が起こっているが、こういうとき女はどうすればいいか。
女子大生の就職も大変そうだ。
こういう時に有効なのは、考えを変えてみることだ。しかし、ほとんどの人はどう変えればいいかがわからない。
経済戦略会議では「国民一人一人の意識の改革」が大事だと言い、みんなも時代が変わろうとしていることはわかっている。しかし、どう変革すればいいかわからない。
テレビなどでも、どう変わればいいかを具体的に言っている人はいない。
日本と日本人はこのままでいいと言っている人もいるが、このままとはどういう状態を示すのかもはっきりしない。大人になってから意識を変えるのは難しい。
私(村上)は、不況が悪いことだとは思っていない。不況だと言っても困っているわけではないし、作家はいつも失業しているようなものだ。日本的なシステムや考え方が機能しなくなっているのもいいことだと思う。
不況になったからといってダメな女の概念がかわるわけでもない。
「ダメな女とは経済的&精神的に自立していない女であり、誰かに頼りたがる女だ。そういう女は、大恐慌になっても、逆にこれから日本経済が奇跡的な回復を果たしても、永遠にダメな女のままだろう。」
ただ、私は説教じみたことは言いたくない。昔からああしろこうしろと言うのは好きではないが、このように先が見ない時代は特に説教は意味がない。説教をする人の言うことを信用してはいけない。
~しなければいけない、とか、~であらねばならない、などということはない。
女はしとやかであらねばならない。女は職業を持たねばならない。・・・・・・等々、そういうことは人間の真理として決まっているわけではない。
自分のやりたいようにやればいい。ただやりたいことをみつけるのは簡単ではない。好きな職業で経済的に自立したほうが生きやすい。子どもを生んでも生まなくてもいいし、結婚してもしなくてもいい。ブランド品が好きだったら死ぬほど買えばいい。
「~しなければいけない、~であらねばならない、という発想を変えてみるだけでも、充分に意識の変革になるものです。たぶん明日からでもできるでしょう。」
文面にそって書いていったらずいぶんと長くなってしまいました。要約が苦手です。
これが書かれてから7年くらいたつんでしょうか?日本は一応景気を回復させ、今年は大学生の就職状況も非常によく、女子大生も同様です。うちの娘などはラッキーです。内定もいくつかもらいました。その中から好きな会社を選ぶことができました。
日本人の意識の変革もいやおうなくされたといえます。民間企業では終身雇用、年功序列なんか完璧に崩壊したといえるでしょう。
景気は回復したとはいえ、勝ち組負け組みの二極化が起こり、裕福な層と、一方にはワーキングプアが発生してしまいました。ただ単に真面目に働いたからと言って良い結果が出るとはかぎりません。悪質なことをして儲ける人もいます。しかし、プラス思考で努力や工夫を積み重ねて成功を勝ち取る人もいる世の中ですから、不条理とはいいきれません。
そんななかで、「女性の品格」などという「こうあるべき」というふうなことが書かれた本も出ています。これも間違いではないでしょう。しかし、これに目を通すとこれは「勝ち組」の女性に向けて書かれているのではないかと思わざるを得ません。安物の服を買うなとか、路上でティッシュを受取るなとか、そんなことを指図されたくはないのです。まあ、品格のある女性になりたい人だけが読んで従えばいいことであって、それも自由にちがいありません。
人生の中で、何が大切か?ということを各自が考えないと「うつ病」になると思います。
貧乏人には貧乏人なりの誇りを持つ必要があります。ホームレスにはホームレスの生き方があります。人にはそれぞれの幸せがあります。自分で生き方を選んでいるのです。
この文を最初に読んだとき、犬井ひろしの「○○するか○○するかを決めるのは自由だ~」というのを思い出しました。サングラスをかけてギターを弾きながら「○○イズフリーダム~」と歌う人です。
あれを聞くとなんか急に心が解放されます。
この間は、「超大作のメールの返事を書いていて、やっと出来上がったと思った瞬間、それがどういうわけか一瞬にして消えてしまったとき、すごく短い返事にして済ませてしまうか、それとも電話で済ますかは自由だ~」と言っていました。
そういうことよくあります。私は、まともな返信文を書こうとして、その文面がそれでいいのかどうか考え込んでなかなか返事が送れないことがあります。結局はものすごく遅くなり、しかもものすごく簡単な返事にしてしまうことも多いです。
だから「お礼状」というのも苦痛です。馬鹿みたいですが、お礼状のようなものをかしこまって書こうとすると気が変になりそうなのです。
しかし、確か「女性の品格」では、すぐにお礼状(郵便書面)を出すのが品格のある女性のあるべき姿のようなことが書いてありました。
「お礼状を書く」ということ、それをクリアできない人間は人間の屑になるのでしょうか?字が下手なので更に苦痛が増します。電話で済ませたらだめなんでしょうか?
そういう価値観に縛られると、ほんとうに気が変になってしまう。
でも、縛っているのは、ほかならぬ自分なんだと思う。
鍋から直接ラーメンを食べてはいけないと決まっているわけではないのです。
掛け布団を敷布団の代わりにしてはいけないと決まっているわけでもない。
人が突然訪ねてきた時に、いつでも愛想良くにこにこして出迎えなくてはいけないわけでもない。
こうしなきゃならないということで自分を縛り付け、ストレスで気ちがいになるよりは、自由に振舞えばいいでしょう。
法律を犯さず、人に迷惑をかけないのなら問題はないはずです。