山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

8 感度の悪い女

2007-07-11 17:45:57 | 読書
村上龍「ダメな女」

“ “知らない”ということは恐ろしい。
 時と場合によっては、
 無知が罪になることもあるからだ。 ”

「感度が悪い」ということは、その結果「無知」になるということだろう。
あるいは、「無知」だから「感度も悪い」とも言える。

まず、ビートルズのことが書かれていたのだが、ビートルズの歌が初めて出たころは、日本の大人はあんなものは音楽ではないというような反応をしめしたそうだ。しかしビートルズの音楽は当時の大人がそのすばらしさを感じることも理解することもできなかっただけで、若者はちゃんとその価値を見出していた。
ところで、現代はどうかというと、どうしようもないような陳腐な歌が多いという。もしかしたら昔のビートルズのときのように、自分に新しい音楽を理解する能力や感性がないのかもしれないと思ってみたが、やはりそうではないとのことだ。

良さがわからないというのは、その人に本当に見る目がない場合もあるが、逆に多くの人が良いと言っても、その多くの人がくだらないものばかりに浸っているために、本当に良いものを知らず、くだらないものを良いものだと思っている場合も多々ある、ということを著者は言いたいのだろう。

困ったことに、私はこの無知な部類に入る。ワインは安物でも充分においしいし、発泡酒とビールの違いもあまりわからない。料理にはいつも「にんべんのつゆの素」を利用しているが、自分で本当の鰹節や煮干・昆布でだしをとり、本みりん、砂糖、丸大豆本醸造しょうゆだけを使って味をつけたとすれば、それが本当の味なのだろう。それをてっとり早くこういう半インスタント食品のようなものを使って味付けをしていると、アミノ酸だの酸味料だのいろいろな添加物が入っていて、それでもっともらしいおいしさをかもし出している。「にんべんのつゆ」はしょうゆ・みりん・だし、などはちゃんとしたものを使っているようだが、添加物が入っていることは確かである。こういう味に慣れてしまっていると本物の味がわからない。外食をしても、ファミレスの味付けで十分満足してしまう。高級な料亭のたべものよりもファミレスのほうが安くておいしいなどと思ってしまうわけだ。

子供にもどんどん添加物の入った安物の食品を食べさせていると、もしかしたら体に悪い影響を及ぼすかもしれない。

また、地球の環境が破壊されているというのに、電気や燃料をがんがん使ったり、ものをどんどん使い捨てにしたりしたら、それも問題行動だ。
たとえば、自分がやっていることが、環境や人にどんな悪い影響を与えているかを知らないということも罪であろう。

いい年をして「知らなかった」では済まされないことがたくさんある。

そういう人間は自分の人生の時間を無題に消費しているのだそうだ。
鈍感で無知な女からの脱却、洗練された感性のある女性。それが目標だ。

7 口が軽い女

2007-07-11 00:05:20 | 読書
村上龍「ダメな女」

“人間がシリアスなこと、
リアルなことを話し始めるのは
どういうシチュエーションでなのか”

普通親しくしている仲間内でも個人的な身の上話などはあまりするものではない。
では、どういう時にそういう話を始めるのか?というのが、著者の興味のあるところだそうだ。

作者曰く「最近、どうでもいいことだけが仲間内で話されているような感じがする。だが、いつでもどこでも誰とでも、気軽に悩みや心配事を話せばいいのさ、というようなムードは嫌いだ。
ダメな女はどうだろうか?ダメな女は口が軽いような気がする。すぐに泣きつくし、すぐに甘えて、自分の秘密でも他人の秘密でもすぐに話してしまうような感じがする。だが、じっと黙って耐えていればいいというものでもでもない。言いたくなったら言えばいいと思うかもしれないが、個人的で大事なことほど簡単には言えないのだ。・・・・略・・・何でも相談できる友人が大切な友人であるとも限らないし、「告白」には重要な問題を含んでいると思う。」

これは大きなテーマだと思う。
たぶん、似た境遇にいる人、心が許せる相手、自分の実像や腹の中が知れても信頼関係が崩れることはないと思えるような人には本音や自分の境遇について話すことができるだろう。しかし、そういう人はなかなかいないし、いるにしても、どの部分はいえるがどの部分は言えないなどということもある。だから全てが話せる人というのはいないかもしれない。
「女性の品格」で、身内の悪口を言わないというのがあった。他人に姑の悪口を言う、逆に嫁の悪口を言うなどは、家の恥をさらすようなものだ。しかし、これはかなり教科書的な教えだと思う。たしかに、近所にやたらと身内の悪口を言うなんてのは愚かで見苦しい行為だが、だからと言って誰にも言わずに1人で我慢していたら神経がおかしくなってしまうだろう。こういうときは、同じように姑のことで悩んでいる嫁の立場の友人と話すとか「みのさん」に相談するとかいうことも必要だと思う。

告白は逆にあまり親しくない人にすることもあるようだ。
あるとき、短期間のパート仲間で親しくなった人たちと4人で飲みに行ったことがある。なんとなく気の合う同年代の人たちで、何回か会ってお酒を飲んだ。その時に酒の勢いもあって、1人の人が子供のときから姉に虐待されていたという話を始めた。それにはちょっと驚いたが、そういう心の傷を負っている人がいることは、自分と同じ内容ではないにしても心に強く響くものがあった。その後、その人たちと付き合っているわけでもなくいつしか音信がなくなったが、おそらくその告白をしたひとも、一生の友になるだろうと思って告白したわけでもなかったと思う。むしろ、その場限りで、毎日顔を合わせる間柄でないからこそ、告白した内容を後に引くことがないからこそ、話せたことではないかと思う。
私もブログなんかでかなり個人的な事情やトラウマについて書いているが、それも読む人たちが私個人を知っているわけではなく、毎日行動を共にしたりもしていないし、なんら利害関係もない人だからこそ書けるのだろう。また、そういう知らない人たちの中に、共感してくれる人がいれば、そういう人が読んでくれるのが嬉しいわけだ。
普段身の回りにいる人の中から、理解してくれそうな人を探すというのは不可能に近い。
しかし、ブログで暴露っていうのもほどほどにしたほうがいい。

ところで、ダメな女は口が軽いとのことだが、確かに何でもかんでも話す友人がいる。プライドがないのか、そんなこと話して恥ずかしくないのかと思うこともある。
そっちが何でも話すのでこっちもつられて同じような本音をついついぶちまけたりしてしまうのだが、この人は要注意だ。
なぜならば、自分のことだけではなくて、どこそこの誰はこういうことでこうなって悩んでいるのだそうだ、などということもどんどん話すわけである。
あれっ、それはその人のプライバシーではないのか?と思うわけで、そんなことを私が知ってしまっていいのだろうか?と思ったりする。顔だけしかしらない友人の友人のそのまた友人の秘密の悩みなどを私が知っていて、たまたま街中でその姿を見かけたりするときに、あの人は10歳年下の男と浮気をしていて先週も同窓会だと偽って夫に内緒で○○ホテルに泊まったが、夫にばれそうになって困っているのだ、などと言うことを思い出したりしてしまうのだ。見ず知らずの私がそんなことを知っていていいはずがなかろうと思うわけだ。
しかし、こっちがそういうことを知っているということは、そっちもそっちで、私の家にはネズミが出没し、誰のせいでネズミが家の中に入ったかで大喧嘩になり夫が焼肉のたれをぶちまけた、などということを知っているのかもしれない、などと思う。
あっちのことをこっちに言う友人は、こっちのこともあっちに言っているに違いないわけだ。気をつけなくちゃいけない。

口が軽いって言うのは本当に要注意だし、問題です。品格もありません。