山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

「やわらかな針」の表紙絵

2006-02-09 23:27:24 | 読書
ようやくこの単行本の題名であり、最後に収録されている書下ろしの「やわらかな針」を読みました。

ところで、この本の表紙には白いラッパ状の花の絵が描かれています。ちょっと鉄砲ユリに似ていますが、ユリではなくもう少し南国に咲く花のようにも思います。(「やわらかな針」の表紙)
これは、「やわらかな針」の中の亡くなって行った若く美しい「かほり」をあらわしているのか、あるいはそこまで限定しなくとも「女」をあらわしているのでしょう。

今日、テレビドラマの「白夜行」を見ていたらヒロインの雪穂(綾瀬はるか)が床の間にいけてある鉄砲ゆりの花をつかんで握りつぶしました。不幸な自分に対して幸せな女が憎いのです。嫉みは正しいことではない。そんなことは判っている。でも、その気持ちを消すことはできない、と彼女は言って、苦労知らずに育ってきた女の友人に苦痛を与えたい自分を抑えられませんでした。
(綾瀬はるかも迫力のある演技をするようになってきましたね。)

この「やわらかな針」の2人の女性も相手の幸福を素直に受け入れられないという点において同じでしょう。女にはみんな針があるんだと思います。
鉄砲ゆりのような白い花は偶然の一致でした。

この本の装画・装幀は、「内澤旬子」という人のようです。白い花とタイトル文字がきれいにデザインされています。
私は背表紙を見て図書館の棚から選んできたのですが、今になってみると、題名だけじゃなくて、デザイン化された文字の効果もあったんだろうなと思います。
内澤旬子という名前をgoogleで、検索したら、イラストルポライターとして沢山ヒットしました。絵だけじゃなくて文も書くんですね。
この方のブログも見つけました。
「内澤旬子・空礫日記」というもので、これから読んでいこうと思います。

小説「やわらかな針」については、後であらためて感想を書きます。

交流のきっかけ作り

2006-02-09 12:58:29 | 未分類過去
様々な場所に出かけていき、初対面の人々を見ていると、自ら進んで交流を持とうとはしない人が多いことに驚く。

会社も新しい人に声をかけようとする人はあまりいないし、子供の学校の保護者会、放送大学の面接授業、各種のセミナー、単発のバイトなどでも同じような状況が見られる。
特に他の人に声をかける必要性はないからである。しかし、そこには重い空気が立ち込めている。

ところで、私は、国際交流協会や日本語学校などで、ファシリテーターのようなことをする機会を重ねるうちに、最初の口火を切るのは意外と得意になってしまった。
知らない人にあまり物おじせずに話しかけていってしまうほうで、ついでに最初に話しかけた一人のみならず、その周囲にいる人間もまきこむのが得意だ。

先日も、高校の保護者会で皆じっと黙って座っているばかりなので、ちょっと身近な人に話しかけてそのあと別の人たちにも話を振ったりしたところ、数人の参加者が全員わきあいあいと話すような状況に至った。
そのとき、担任の先生が一人ずつ呼んで個人面談をしていたのであるが、個人面談から戻ってきた人も再び輪の中に加わって楽しく話すような状況になり、結局全員が先生との面談を終えるまでの時間、一方では終始保護者たちが座談会をしているような状況となった。
これはなかなかよかったんじゃないかなあと我ながら思っている。

会社でも、社員とパートという今までなかった組み合わせで食事に行って見たりして、これも今思えばずいぶんおこがましかったのだが、それなりの交流がもてたと思う。

ところで、私の悩みはその後であるのだが、交流のきっかけを作るのは得意なものの、その後話を盛り上げ、深く付き合っていくのは私ではないということである。
つまり、私の口火をきっかけに人々は仲良くなり、結びついていくのだが、そこで旅行の話だの芸能界の話だの漫画やアニメの話だのブランド物やファッションの話だの、様々な世間話や趣味の話に花を咲かせ始めると、私はついていけない。
世の中の情報には非常に疎く、一般的な趣味も無いので、人が知っていることを知らないし、それについて何の反応もできない場合が多いのである。

最初むっつりして何の関心も示さなかった者同士が、何かきっかけがあればその中でどんどん個性を発揮し、お互いに興味をもって親しくなり、しだいに深く結びついていく現象は不思議だなあと思う。
一方、私は知らない人達に働きかけて最初のきっかけを作り、ある程度まで盛り上げることは得意だが、いざ親しい一集団ができると、その中で自分から発する個性がなく、あまり人間づきあいを深めることができない。

皮肉なものである。

目標が見えない・・・

2006-02-09 12:12:22 | 未分類過去
最近、私がパートで働いている会社の若い社員さんが何人か辞めて行きました。今回辞めた方たちは3年以下の勤務年数だったようです。
そして、欠員を埋めるために新しい社員さんがポツポツと入ってきています。
正規の社員もいれば派遣の方もいるようです。

自分の席のパソコンに、新しい人が入りますというメールとアドレスが連絡されてくるのですが、当人を紹介されるということがないので、女子トイレやロッカー室で出会ったりしたときに、新しい方ですか?などと声をかけて自己紹介しあうしか接点がありません。

新人さんらしき人が、昼休みなどに他の社員ともあまり会話をしていない様子をみて、こんなではさぞかし当人もさびしいだろうなあなどと思いました。
ところが、はたと気づいたのです。
この人は、私以外の人には紹介されているんだということを・・・。

つまり、私はパートタイマーで朝礼にも出席しないし、社員さんたちより一時間遅く出勤するのですから、私がいない間に必要な情報交換や交流がされているのでした。
だから、私が新人の方がさびしい思いをしているのではと思うのは、私の見当はずれでした。

自分から声をかけて自己紹介しあう中で、私はパートタイマーでどの部署でどういう仕事をしていますというような話をしたのですが、相手は、なあんだ、パートのおばさんか、と思ったんだろうなと思いました。
自己紹介なんかするのも、おこがましかったんじゃないかと後で思いました。

数ヶ月前に入社されて、毎日「すみません」を連発し緊張していた中年の女性社員も、今では堂々と中心的な存在となって活躍しています。最初は私のほうが会社のことを知っているような顔をしていたのですが、もうどんどん差つけられて手の届かないところに行ってしまっています。
その方は、同じ業界で5年も勤めてきたので、最初の頃はここの会社のやり方はわからなかったのですか、専門業務についてはプロであり、うちの会社で手がけて来なかった内容まで知っているので、最近は上司も非常に頼りにしている様子です。

私が日ごろ読んでいるあるブログに「何をするにも5~6年の熟成が必要」と書いてありましたが、確かにそうだなあと思います。
そうしたら、私は何を熟成してきたのか考えると、仕事では何にも熟成していないのです。
2~3年周期でいろんなことに手を出しては挫折を繰り返す人生でした。

パートとは言え、仕事に生きがいを見つけたいと思い、できる限り自分で会社の業務について勉強したいと思ってきたのですが、そんなこと会社側はパートのおばさんに全然望んでいないし、最初の契約時に言われた仕事だけをちゃんとこなしてくれていればそれでいいということなのでしょう。
それ以上に踏み込まれたら、かえって迷惑なのかもしれません。
だから、もし、自分で勉強するなら、それは同業種の会社に正社員として応募するという方法しかないと思えます。

しかし、実際に一線で働いてきたわけでもない主婦を雇う会社などあるわけもなく、近年中には一人暮らしの田舎の母の所に行き来することも考えているので、正規の社員などということは考えられません。

なんか八方ふさがりな感じがしています。
パートは適当に働きながら、様々なことに左右されない全然別のことを生きがいにする必要があるのかもしれません。
それが幻であろうと、何であろうといい、とにかく目標が必要です。

悔しいから、こうなったら仕事以外の部分で誰にも負けないものを身に付けたいものだなあなどと思います。
実務はできないけれど、その業界についての書物なんかを読み漁って、評論なんか書けたらいいのになあ、などと思いをめぐらしたのですが、それは甘い考え。

先日、女性社員の方が上司と専門書について話をしていて、
女性社員「ああ、その本私も読みました」
上司「あれ、なかなかおもしろいこと書いてあったよね」
ふ~む、私も読んでみたいけど、いった何ていう本かな?

それから、
上司「○○について調べてまとめておいてくれる?」。
「はい」といって仕事中にまとめている様子の女性社員。
その「○○」について、私も自宅に帰ってネットで調べて見たんですが、とてもとてもまとめることなどできない複雑な内容でした。

とにかく、何をするにも熟成期間が必要で、一朝一夕にはできるものではありませんね。
今になって何かを始めて熟成させるなんて、それはなかなか無理なことです。