山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

交流のきっかけ作り

2006-02-09 12:58:29 | 未分類過去
様々な場所に出かけていき、初対面の人々を見ていると、自ら進んで交流を持とうとはしない人が多いことに驚く。

会社も新しい人に声をかけようとする人はあまりいないし、子供の学校の保護者会、放送大学の面接授業、各種のセミナー、単発のバイトなどでも同じような状況が見られる。
特に他の人に声をかける必要性はないからである。しかし、そこには重い空気が立ち込めている。

ところで、私は、国際交流協会や日本語学校などで、ファシリテーターのようなことをする機会を重ねるうちに、最初の口火を切るのは意外と得意になってしまった。
知らない人にあまり物おじせずに話しかけていってしまうほうで、ついでに最初に話しかけた一人のみならず、その周囲にいる人間もまきこむのが得意だ。

先日も、高校の保護者会で皆じっと黙って座っているばかりなので、ちょっと身近な人に話しかけてそのあと別の人たちにも話を振ったりしたところ、数人の参加者が全員わきあいあいと話すような状況に至った。
そのとき、担任の先生が一人ずつ呼んで個人面談をしていたのであるが、個人面談から戻ってきた人も再び輪の中に加わって楽しく話すような状況になり、結局全員が先生との面談を終えるまでの時間、一方では終始保護者たちが座談会をしているような状況となった。
これはなかなかよかったんじゃないかなあと我ながら思っている。

会社でも、社員とパートという今までなかった組み合わせで食事に行って見たりして、これも今思えばずいぶんおこがましかったのだが、それなりの交流がもてたと思う。

ところで、私の悩みはその後であるのだが、交流のきっかけを作るのは得意なものの、その後話を盛り上げ、深く付き合っていくのは私ではないということである。
つまり、私の口火をきっかけに人々は仲良くなり、結びついていくのだが、そこで旅行の話だの芸能界の話だの漫画やアニメの話だのブランド物やファッションの話だの、様々な世間話や趣味の話に花を咲かせ始めると、私はついていけない。
世の中の情報には非常に疎く、一般的な趣味も無いので、人が知っていることを知らないし、それについて何の反応もできない場合が多いのである。

最初むっつりして何の関心も示さなかった者同士が、何かきっかけがあればその中でどんどん個性を発揮し、お互いに興味をもって親しくなり、しだいに深く結びついていく現象は不思議だなあと思う。
一方、私は知らない人達に働きかけて最初のきっかけを作り、ある程度まで盛り上げることは得意だが、いざ親しい一集団ができると、その中で自分から発する個性がなく、あまり人間づきあいを深めることができない。

皮肉なものである。

コメントを投稿