ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/08/07 『もとの黙阿弥』22年ぶりの再演

2005-08-26 01:22:05 | 観劇

7/30の記事に古本屋で昭和60年発行の野田秀樹の戯曲『野獣降臨(のけものきたりて)』の文庫本を見つけ、解説が井上ひさしだとわかって喜んで買ってきたことを書いた。その解説で井上ひさしは野田秀樹を「三大技法を巧みに使いこなす名人」と誉めていた。三大技法とは「見立て」「吹き寄せ」「名乗り」で、日本の伝統演劇や江戸期の小説でしきりに使用され、鍛え抜かれてきた技法で、野田秀樹は伝統的な技法を新しい感覚でみごとに使いこなしているという。なるほど、だから歌舞伎にまでつながっていけるのだなと納得した。

その井上ひさしの『もとの黙阿弥』が6月1ヶ月かけて改装した新橋演舞場の杮落としの翌月に22年ぶりに再演された。演出は初演と同じ木村光一。
キャスト
( )内は1983年の初演時のキャストで戯曲の文庫本『もとの黙阿弥』の解説にあったのから書き抜いた。
河辺隆次=筒井 道隆(片岡 孝夫)
長崎屋お琴=田畑 智子(大竹 しのぶ)
久松菊雄=柳家 花緑(古今亭 志ん朝)
船山お繁=横山 めぐみ(水谷 良重)
河辺賀津子=池畑 慎之介(有馬 稲子)
長崎屋新五郎=辻 萬長(名古屋 章)
坂東飛鶴=高畑 淳子(渡辺 美佐子)
坂東飛太郎=村田 雄浩(松熊 信義=文学座*新橋演舞場に電話で問い合わせ)

あらすじは松竹のHPより。
時は明治。ここ浅草では芝居小屋が立ち並び、連日満員の賑わいをみせていた。舞台はその浅草七軒町界隈の劇場・大和座である。この大和座、「東京十座」と呼ばれるような立派な劇場ではなく、黙阿弥の新作まがいのものを新作と称し、上演していたのであったが、今では興行停止の処分を喰らい、座頭・坂東飛鶴と番頭格・坂東飛太郎は途方に暮れる毎日であった。
しかたなく、「坂東飛鶴よろず稽古指南所」なる看板を出し、毎日の食扶持を稼いでいた。そんなふたりのところに河辺男爵家の跡取り、隆次が書生の久松菊雄を連れて相談に来た。姉の賀津子が勝手に決めてしまった縁談の相手と鹿鳴館の大舞踏会で踊らなければならないので踊りを教えてほしいと。これと入れ違いに今度は、政商長崎屋商会・新五郎の娘、お琴が女中のお繁と共に飛鶴の元に相談にやって来た。やはり親が勝手に決めた婚約相手と鹿鳴館で踊ることになっているので踊りを教えてほしいと。この話を聞いた飛鶴はピンと来た。もしやこの二つの話は一緒なのでは…。しかし、自分の結婚相手をじっくり見極めたいとこともあろうに隆次は久松と、お琴はお繁と入れ替わってしまったのだ。運命のなせる業なのか。二組の主従はお互いにそれぞれ入れ替わっていることを知らずに出会ってしまう。やがてこのことが大騒動となってしまうのも知らずに…。

三大技法の「名乗り」とは、「ナンノダレソレ、じつはナンノダレガシ」という技法で、東西に共通する演劇の作劇方法という。このことによっていくつもの可能世界を成立させるための必須の手段だとのこと。
この作品も主従2組の入れ替り、劇中劇もその手法を使ったものにしている。さらに坂東飛鶴が仕掛けたお芝居バトルの課題の中にこの作劇法を盛り込むことによって、主人公2人の入れ替りを自分たちで気づかせようとしているのだ。
そのねらいはきちんと効果を上げ、隆次とお琴はお互いが誰かにおのずと気づくのだが、女中のお繁だけが現実の貧しい自分に戻れなくなっているという悲しい結末を迎える。そしてそのこともドンと背中を押す効果をあげて、隆次は男爵家の跡取りの地位を捨てお琴は裕福な実家を出て隆次とともに庶民の世界で生きていく決意を固めるという誰もが予想をしないような幕切れ。書生久松菊雄は秩父事件の関係者の家族だし、この決着のつけ方といい、井上ひさしらしい作品になっているのだ。(秩父事件120周年映画『草の乱』の感想はこちら。参考まで)→http://blog.goo.ne.jp/pika1214/d/20050206
ところが、観終わった時にはそこらへんがよくわからない状態だった。あらかじめ読んだ戯曲の最後も忘れ果てていたのだが、最大の問題は主人公二人の芝居のメリハリがなかったことだった。
筒井道隆は立ち姿もよく品もいいのだが細やかな感情表現はうまくない。田畑智子も朝ドラ『私の太陽』や大河ドラマ『新撰組』では上手いと思ったが、舞台での演技はまだまだと観た。ここを片岡孝夫と大竹しのぶだったらどう演じたのだろうか。最後に狂気に入ってしまった場面を水谷良重はどう演じたのだろうか。そう思ってしまった。柳家花緑も古今亭志ん朝と同じ落語家からの配役で熱演はよかったと思うが、やはり一本調子のところがあり、志ん朝だったらどうだったんだろうと思ってしまった。
池畑慎之介、辻萬長、高畑淳子、村田雄浩はもう安心して観ていられる演技だった。特に大和座の座頭飛鶴とそれを支える飛さんのコンビがこの芝居の人情味をぐっと引き出していたと思う。
鹿鳴館時代になっても江戸時代の雰囲気を残す大和座をこきおろし、演劇改良運動の先頭に立っているという河辺男爵家未亡人役の池畑慎之介は賀津子の役も劇中劇の中の役も目一杯怪しくてよかった。かなり前にやはり井上ひさしの『ある八重子物語』でも芸者になりすます芸者役(追記:初演ではこの役を中村勘九郎が自分から希望して演じたと『勘九郎ひとり語り』に書いてあった)を演じたのを観ているが、こういう変身ものはお手の物のようだ。

それと劇中劇のうち2つが黙阿弥の作品のパロディで、「三人吉三」と「都鳥廓白浪」を踏まえているそうだ。特に後者は、歌舞伎役者の孝夫が「おまんまの立回り」をわざと素人くさく演るからよかったのだ。この作品は初演の配役を踏まえた当て書きだったらしい。また劇場への当て書きとも言える。この花道のついた舞台の天井も高い大きな劇場に合う大和座の装置を回す回す舞台進行も新橋演舞場ならではである。他の劇場での上演は...無理だろうと思う。
今回の公演の次の上演は、また新橋演舞場が改装か何かがないとないのではないだろうかとちょっと心配している。

写真はこの公演のチラシ写真(松竹のHPより)。
松竹のHPは以下の通り。「私の初日観劇記」は井上芳雄が書いている。帝劇で『モーツァルト!』にマチネに主演後にかけつけて観劇したという。やはり真面目で研究熱心な芳雄くん、エライ!!
http://www.shochiku.co.jp/play/enbujyo/index.html

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3 コメント

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そういえば・・・ (あいらぶけろちゃん)
2005-08-26 08:55:15
ぴかちゅうさんの詳しい解説で 頭の中からおぼろげな記憶が復活してきました。幕切れの良重さんが哀れだったよな~(現実に戻れなくてのセリフの言いまわし)とか おまんまの立ち回り 前だったか後だったか歌舞伎座で菊五郎さん相手に「孝夫 水(お茶?)」なんていわれて急須から注いでいたっけ・・・ひょうきんな表情にびっくりしつつもこの孝夫さんもステキ!と思ったこと。現代劇見に来てついでに歌舞伎も見せてもらえた♪お得感。う~ん、断片的ですみません。

初演は井上ひさし氏によるあて書き・・はい、納得!!
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TB、コメントありがとうm(_ _)m (ぴかちゅう)
2005-08-27 01:36:23


★mine様、HineMosNotari様

TBありがとうございました。

★あいらぶけろちゃん様

初演、観てらっしゃるのですね、いいなあ。『ハムレット』の白いシャツ姿の孝夫さんも観てるということでしたし、うらやましい。私は『はいからさんが通る』の少尉役だけです。主役はやはり良重さんでした。
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水谷良重が… (mine)
2005-08-27 12:23:06
ラストで半狂乱の大芝居をして

このお芝居を締めるところに、

新派のホームグランド新橋演舞場での公演という

井上ひさしの意図を感じます。

だから横山めぐみじゃあね、という印象はいまだにぬぐえませんね。



TB&コメントありがとうございました。
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