

この頃話題に上っていた片岡孝夫主演のTVシリーズ『眠狂四郎 円月殺法』を今日やっと見ることができた。というかTVのチャンネルを回したらやっていた。8/15~9/9まで毎日テレビ東京の「時代劇アワー」11:35~12:30で放送とのこと。
http://www.tv-tokyo.co.jp/jidaigeki/
今日は第8話「無惨!乙女肌魔性剣」敵役は小林稔侍だった。眠狂四郎ってただのヒーロー時代劇ものじゃなくてお色気路線だったのね。仁左衛門と小林稔侍のふたりとも今とは違う声でへえ~状態。孝夫時代の狂四郎、噂通りに美し~い。娘は明日からも毎日観ると宣言。8/15~9/9まで毎日テレビ東京で11:35から12:30

しかし、ちょっと待てよ、映画のチラシファイルに去年もらってきた「市川雷蔵祭」のチラシがあるはずと捜したら、ありました。このチラシです(携帯カメラで撮った写真参照)。
私の幼少時代にTVでよく時代劇映画を観たのだが、目に焼きついているのは市川雷蔵の眠狂四郎だった。白黒映像であの刀が残像を残しながら徐々に円を描いていってバサッといく。とにかく目が冷え冷えとしていて冷た~いカッコよさだった。
以下、市川雷蔵について検索して調べたことから。
158本という数の作品にわずか15年で出演し、37歳という若さで他界(昭和44年らしい)した市川雷蔵。デビュー50周年を記念して市川雷蔵の魅力を再び伝えるのが『市川雷蔵祭 艶麗』。そのHPは以下の通り。http://kadokawa-pictures.com/rai-sama/film/
市川雷蔵・眠狂四郎というページもあり。
http://dribox.g-serve.net/eiga/Nemuri/Nemuri.htm

やはり仁左衛門は目が優しいと思った。まあ雷蔵の冷たい目と比べてはダメでしょう。田村正和でもこの冷たさは出せないよね。やはり若くして亡くなると伝説の人になるということもあるけれど...。
若手で狂四郎、誰かいるかな?染五郎が結構いけそう、と思ってますが。
私も雷蔵ファンで中学、高校時代は映画館に見に行っていました。去年の「市川雷蔵祭艶麗」には5本見ました。黒の着流しがすごく似合う人ですね。あとあの色気は染五郎にも海老蔵にも仁左にもないですね。これから歌舞伎を演るという時に亡くなってしまったんですよ。惜しい!残念!期間中、中村玉緒がゲストの時に行ったんですが、トークでは夫勝新とまったく正反対の性格で几帳
面で論理的だったそうです。役の幅も広くて、彼が生きていたら上方歌舞伎は?ナンテ思ってしまいます。
ウィキペディアフリー百科事典によると、雷蔵は生後6ヶ月で歌舞伎役者の市川九団次の養子となって15歳で初舞台、19歳で八代目市川雷蔵を襲名、22歳で歌舞伎をやめ、映画デビューしたそうです。そして37歳で肝臓ガンで永眠とは本当にもったいなかったですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E9%9B%B7%E8%94%B5
当時は歌舞伎と映画の両立ができる時代ではなかったのでしょうね。映画をやめてまた歌舞伎に戻る前に亡くなったのかな?
大体、この片岡孝夫主演のTVシリーズはテレビ東京と歌舞伎座テレビの共同制作ですね。歌舞伎役者の抱え込みはしなくなって、どんどん映像でも売り出すように会社側が路線転換したのでしょう。だから片手間っていうのも可哀想ですけどね。今の獅童くんなんて、舞台の方が片手間と言われちゃうかも(笑)。
歌舞伎役者が歌舞伎以外の仕事も兼業でできるようになったのは先代の幸四郎さんの東宝移籍以降かしら。私はクロスオーバーで仕事をしていただくのは大いにけっこうだと思ってます。それで本業がおろそかになったという批判が出たら、それは本人の問題だし、他人がとやかく言っても仕方がないと思ってます。(うーん、しかし今の幸四郎の時代物の台詞まわしがききとれないのは惜しいけど...。その分、息子が頑張ってくれればいいや!)
★さちぎく様
はじめましてm(_ _)m初コメントをありがとうございます。私もあちこちでお名前を拝見しておりました。今後ともよろしくお願いします。
本当に上方歌舞伎は若手が愛之助くらいしかいなくなっちゃって心配です。翫雀・扇雀兄弟はもう中堅どころだろうし、若手のところに東京から染五郎が入っていっているのでしょうが。確かに染五郎・愛之助で並ぶといかにもよさそうです。私は歌舞伎座の坂田藤十郎襲名で初藤十郎さんになりそうです。上方歌舞伎をきちんと残そうとする気概をかってます。大阪に8年住んだことがあるので上方和事の大阪弁が好きなんですよ。心中物もまだ未見なので楽しみにしてます。
上記の角川映画の「web RAIZO雷蔵」というサイトで見たら、2回養子になっていることがわかりました。雷蔵襲名前に寿海の養子となったようですね。
>1931年(昭和6年)、8月29日、京都生まれ。生後六ヶ月で歌舞伎俳優市川九団次の養子となる。1946年11月、15歳の時に大阪歌舞伎座で三世市川莚蔵として初舞台を踏む(「中山七里」娘お花役)。1951年、関西歌舞伎界の長老市川寿海の養子となり、同年6月、大阪歌舞伎座「白浪五人男」で襲名披露、五世市川雷蔵を名乗る。1953年、大映より入社を懇願され、翌54年入社。デビュー作は「花の白虎隊」(54)。この作品は雷蔵を主演に、勝新太郎、花柳武始、小町瑠美子、高倉一郎の新人5人をまとめてデビューさせた当時のアイドル映画。翌55年に巨匠、溝口健二監督によって「新・平家物語」の主役、平清盛に抜擢され、それまでの“線の細い美男タイプ”のイメージを打ち破る、情熱的で骨太な演技を見せる。58年には初の現代劇である市川崑監督の「炎上」(原作・三島由紀夫「金閣寺」)に周囲の反対を押し切って出演。金閣寺に放火する吃音症の青年という難役を見事に演じ、翌年のキネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン主演男優賞、NHK映画最優秀主演男優賞を受賞、確固たるスターの地位を築く。
...うーん、これはすごい人ですね。出演作品をまとめて観たくなってきました。老後の楽しみができたかも(私の)。
本当に芸の幅の広い人でしたね。
私は「薄桜記」が好きです。
子ども会に振り回されて自宅にいなかったりもするので余計に・・・
子どもの頃両親と一緒にTV見ていて(田村版?)お色気シーンに突入する時に見てはいけないと反対向かされたのが妙に記憶に残ってます。