ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

11/03/28 NODA・MAP「信」シリーズ「南へ」の苦悩を受けとめる

2011-05-03 23:59:03 | 観劇

毎日毎日疲れ切って帰宅し、一瞥しただけで放り出したり封も切らずに積みあがったりしているものも少なくない書類の山々。分別して処分しているけれど分別後に小さい山ができたりして(^^ゞ・・・・・・やっぱりシュレッダー買おうかなぁ。
さて、ひと段落して火の山の物語の感想を書くことにしよう。
野田秀樹の「信」シリーズは「ザ・キャラクター」「表に出ろいっ!」と続けて観ているので、今回もはずせなかった。

3/12に観劇予定だったNODA・MAP「南へ」は前日の震災で公演中止で払い戻しとなった。東京芸術劇場は必ず当日券をキープしてある劇場だし、さらに震災後に計画停電等による帰宅困難を予想した方も出ることを予想して、当日券ねらいで仕事を終えて池袋にダッシュ。
当日券売り出し時間までの行列の最後尾についたら、数人前で安い方の席が売り切れてS席で鑑賞。奇しくも28日の振替公演での鑑賞になった。
冒頭、野田秀樹の声でアナウンスが流れた。震災後、公演を再開した決意を語り、さらに作品で火山、地震を取り扱っているが・・・・・・最後までご覧いただければ、真意はわかっていただけると存じます」というような内容だった。

以下、公演サイトより、あらすじと出演者を紹介する。
<主な出演者>
妻夫木 聡、蒼井 優、渡辺いっけい、高田聖子、チョウソンハ、黒木 華、太田緑ロランス、銀粉蝶、山崎清介、藤木 孝、野田秀樹、ほか
<あらすじ>
火の山が大好きな男(妻夫木)が、火山観測所に赴任する。その赴任先で待っているのは、虚言癖の女(蒼井)。やがて、大噴火の噂が流れる。流れるのは、噂だけか。それとも、本当に溶岩が流れ出すのか・・・。不確かな情報、予知、夢、噂、群がるマスコミ・・・
「信」じられないものばかりで織りなされる、まことしやかな火の山の物語。

舞台奥から舞台の上額部分にまで噴煙を吐く山が描かれ、パイプやパイプ椅子を様々なものに見立てて動かしながら、出演者がしゃべりまくり動きまくる。椅子をガタガタさせ、パイプがしなると震災の体感が蘇ってしまい、かなりゾッとしてしまう。確かに事前のアナウンスがあって正解だ。
無事山の火山観測所員に南のり平(妻夫木)が赴任してくる。噴火を予想させるような火山性地震が断続的に起きている。所長をはじめとした先任の所員たち(渡辺いっけい、山崎清介ら)は、絶対に噴火はないという。そこに無断で火口を覗きこんでいた女(蒼井)が連れてこられ、自らも南のり平だと言い張る。口から出るのは嘘ばかり。

マスコミの取材も増え、山の麓の旅館をやっている三つ子の姉妹(高田聖子、太田緑ロランスら)も商売の関係で噴火するかしないかを聞きにくる。そこに帝の憑代(よりしろ)という男女(藤木 孝、銀粉蝶)も山の下見にきて、噴火がなければ行幸があるという。
のり平の知見によるとどうみても噴火は近いと思えるデータがあるのに、観測所見解として「噴火はない」と断定された。行幸の行列が出発したという知らせに、のり平はそれを止めようと山を駆け下りていく。

30人近いアンサンブルによる行列はいつのまにか、陸軍の軍帽をかぶった隊列になる。その中心にいる天皇夫妻。ようやく隊列の人々に火山が噴火することを伝えることができたのだが、信じてもらえない。その証しとして「腹を切れ~、日本人なら腹を切れ~」とまで言われてしまう(生理的に嫌な台詞は封印するようで、思い出したのでここも追記)。
のり平はいつの間にか何のために走ってきたのかわからなくなる。時間と場所がワープして行ったりきたりする舞台。これが野田秀樹の初期の作品に多かったという作劇手法かと納得する。ここ数年で野田ワールドにはまった私にとっては初体験だった。

火口の内側に噴煙まみれの男女(藤木・銀粉蝶)が隠れているのが見つかった。日本語が話せないが、のり平と名乗る女の身内らしい。ついに男は女の正体を見破る。「のり平というのは女の名前じゃないのに自分の名前だと言った」という台詞に、金賢姫の日本語教育係だった李 恩恵を当初はリウンヘという読みで聞かされていたことを思い出した。日本に潜航するために、偽りの記憶を学んで日本人になりすましても、ボロが出たわけだ。それに白頭山という地名が出てきて確信を持った。「南へ」は脱北者の少女とそれを生み出す大元をつくった歴史を忘れ果てた日本人の物語だと!

火山の噴火は絶対にないと根拠もなしに信じて滅亡への道を突き進む人々の群れは、日本は負けることがないと信じて戦争を続けた過去の歴史に重なる。それを止めようとひた走る妻夫木の姿は、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」にちょっと重なるが、冷害に苦しむ人々のために火山の噴火を誘発して命を犠牲にしたグスコーブドリとはやはり違う。
何のために走るかを忘れ去る男は、日本人が過去の歴史から学ばずに流されるままに生きていることの象徴だろう。「南へ」と脱北しないと生きられない人々を作り出したことを対比させ、妻夫木・蒼井という2人の主役の存在感ではっきりと浮かび上がらせた。

日本の演劇界の存在感のある俳優陣が脇役で軽やかに愚かな人々の姿を浮かび上がらせ、若手のアンサンブルの迫力ある動きとからむ。そのからみ方も身体をよく使った心地よさに満ちている。観る方もかなりエネルギーを使う必要があるが、こういうところが野田芝居の魅力なんだろうと思う。

舞台空間は、無駄をそぎ落とした能舞台のようで、最後に軍帽をかぶった妻夫木が橋ガカリを去っていく後ろ姿が忘れられない。妻夫木が死んだ日本兵でそれが語る夢幻能のツクリにしているのかもしれない。
カーテンコールがあり、野田秀樹が思いを語った。震災で4公演が中止になり、ちょうどその振替公演ということもあり、東北で犠牲になられた方々へのお悔やみとお見舞いを述べ、そんな中で公演を続けるべきかという葛藤の上で決意しての再開、お客様が戻ってきてくれて嬉しかったこと、また観に来られなくなかった方々が劇場に笑顔で戻ってきてくれる日を心待ちにしていることを語り、ロビーで義援金を受け付けて、被災地に届けたいとも呼びかけた。
幕開き前のアナウンスといい、カーテンコールでのスピーチといい、実に苦しそうだった。火山の噴火という設定を滅亡の象徴として使ったのだろうけれど、震災後の再開にあたっては他の舞台よりもはるかに重苦しい作品だ。ちょうど『AERA』の原発事故の報道姿勢に抗議してコラム連載をやめる宣言をした号が発売された日だったので、そういう苦悩もピークだったのかもしれない。

私としては、野田秀樹の苦悩する姿が一番印象に残ってしまって、かなり重苦しい気持ちで劇場を後にした。
苦しく悩ましいけれども、やはりきちんと受け止めたことをしっかりと書いておこうと、遅ればせながらの記事アップをさせていただいた。野田さん、今回も有難うm(_ _)m
冒頭の写真は当日の劇場入り口の写真。最後は今回公演のチラシ画像。

(5/4追記)
若い頃から野田秀樹を応援してきた友人に聞いた。震災前の舞台では最後に火山を噴火させていたのを再開した舞台ではそこを変更して噴火はなくしたらしい。その苦悩を受けとめて、私も過去の歴史を踏まえて生きていくことを続けたいし、震災からの復興と全国的な再生にやれることをやっていきたい。


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3 コメント

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ありがとうございました! (恭穂)
2011-05-06 21:33:12
ぴかちゅうさん、こんばんは。
感想を読ませていただいて、
私の中でばらばらになっていたピースが、
すとん、とはまったような気持ちになりました。
私が観たのは震災の前なのですが、
そのときの精神状態の影響だったのか、
”ことば”の怖さに翻弄されて、
物語の筋すらきちんと見えていなかったのかもしれません。
そうか、そういう物語だったのか!と今更ながら思いました。
もしいつか再演されることがあったなら、
怖さの先にある野田さんのメッセージを、
今よりももう少しきちんと受け止められるといいな、と思います。

あ! シュレッダー、結構便利ですよー(笑)。
返信する
震災前後 ()
2011-05-07 02:20:16
2度観劇しましたが、
震災後に観た時は、セリフのひとつひとつが、
連日TVで見ていた光景とオーバーラップしてしまって、
本当にツライ観劇でした。

「信じる」シリーズで共通のキーワードは、
「神」ですが・・・。
今回の震災で、神も仏もないのかという思いと、
神頼みしてしまう思いが交錯してしまい、
なんだか自分自身でもよくわからなくなってます。(笑)

そうそう!
紙にはシュレッダー、いいですよ。(笑)
返信する
皆様TB、コメント有難うm(_ _)m (ぴかちゅう)
2011-05-09 01:46:11
おふたりともシュレッダーについてのおすすめのコメントを有難うございましたm(_ _)m手回しの卓上におくような小型のものは持っているのですが、ホームユースの電動のものを妹二人がもっていて、実家の母にも使わせているのがよさそうで私も買おうかなぁという気になってます。
★「瓔珞の音」の恭穂さま
>”ことば”の怖さに翻弄されて......そのあたりヤバそうな芝居は入り過ぎないように、私はぐっと引いて観るくせがついているので大丈夫でした。そうしないと精神的にもたなかったりするので、自衛的に鳥瞰して観てしまうのです。
最近の野田さんの芝居は彼の危機感が直截的に表現されているので、距離感をとらないとメッセージを受けとめるのがつらいです。
て、私も過去の歴史を踏まえて生きていくことを続けたいし、震災からの復興と全国的な再生にやれることをやっていきたいと思っています。
★「ARAIA -クローゼットより愛をこめて-」の麗さま
2月の初日の麗さんのかろやかな感想を楽しく拝読していました。
今日も震災前にご覧になった方とおしゃべりする機会がありましたが、やはり最後に火山を噴火させていたようですね。
この作品についてはいま戯曲を買ってまで読む気がしないのです。もうしばらく経てばわかりませんが。
>今回の震災で、神も仏もないのかという思いと、神頼みしてしまう思いが交錯......このあたりは、浅草公会堂での亀治郎のアフタートーク付き観劇企画で私の質問に答えてくれた亀ちゃんの答えが私と同じ感覚だったので、共感の涙が出てしまい、それを昨晩、記事アップしたところです。よろしければ、お目通しいただけると嬉しいです。
http://blog.goo.ne.jp/pika1214/d/20110507
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