ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/07/10 NODA・MAP「ザ・キャラクター」 幼稚さの暴走をとめるのは「理性」

2010-07-16 23:59:18 | 観劇

NODA・MAP第15回公演「ザ・キャラクター」を観に行く。東京芸術劇場での公演というのは、野田秀樹が初代芸術監督に就任しているためで、初めてなのでちょっといつもとは違う雰囲気も感じつつ、2階席の後ろから2列目に着席。
Wikipediaの「野田秀樹」の項はこちら
観劇ブログ仲間のスキップさんの記事を読んで、「ザ・キャラクター」とは「性格」とかの意味ではなく、「文字」という意味の方だとやっと気がつく。漢字はチャイニーズキャラクターというのだと娘が教えてくれた。舞台は書道教室で「書道の甲子園もののドラマ」が流行っているし、しっかり時流に乗っている。漢字による言葉遊びの世界は視覚的にもしっかり見せないとわかりづらいだろうに、どうするのだろうと興味しんしん!

開演前の舞台の上には「俤」と「儚」の2つの文字がパネルで置かれている。「儚」はいいけれど、「俤」の方は読めない人もけっこういるだろうに、と野田秀樹の頭の良さをちょっと心配する。
【NODA・MAP第15回公演「ザ・キャラクター」】作・演出=野田秀樹
以下、公式サイトのご本人によるイントロダクションをそのまま引用。
それは町の何でもない小さな書道教室からはじまった・・・
町の小さな書道教室、そこに立ち現れるギリシア神話の世界、それが、我々の知っている一つの物語として紡がれていく。 物語り全てが、ギリシア神話さながらの、変容(=メタモルフォーゼ)をモチーフとしたお話になっています。
信じていたものが、姿を変え、変化を遂げていく物語。
その最後に立ち現れる、我々が知っている物語とは・・・。
物語り尽くしの物語です。乞う、ご期待! 野田秀樹
<物語の導入部と今回の出演者>
とある町の書道教室に、行方不明の息子を探す母(銀粉蝶)、「幻の弟」が見えるという女マドロミ(宮沢りえ)が現れる。マドロミだけが潜入できるが、その書道教室の家元(古田新太)不在の中、胡散臭い古株(橋爪 功)が家元の言葉を若者たちに写経させる。全ての財産を教室に寄付するという内容の書面で最後に本人の署名をさせるという稽古なのだが、洗脳の効果のせいか、みんな疑問も持たずにさらさらと書き付ける。舞台装置の床の材質がまた優れもの!水筆で書くと字が濃い灰色に浮かび上がるというずいぶん前に出たアイデア書道練習グッズと同じものだろうと推測。会計係(藤井 隆)、教室のホープ(田中哲司)やそのライバルたちで競いながら弟子集団はどんどんテンションアップさせていく。そこに夫人(野田秀樹)や子どもたちと一緒にギリシア旅行から帰国した家元が戻ってくる。ギリシア神話の世界を撒き散らす家元は、弟子の忠誠度に応じて神々の名前を与えて…。
美波(ダプネー)、チョウソンハ(アポロン)、池内博之(全身に目をもつアルゴス)は、いきなりギリシア神話のキャラクターとして出てきて、ダプネーを追いかけ回すアポロンをアルゴスも追いかけてというドタバタを展開。彼らはやがて物語の中で重要な役割を果たす。

マドロミが見る幻、すがった片袖がもぎれて一緒に落ちて姿を消した弟の話から、家元は「袖」の左を示す編に置き換えられた字を箒のような大筆で床に大書。その間違いの指摘の二転三転から「神」に書替えられる。すがるものが「袖」から「神」に変わったのか?!
その大きな文字も強い照明が当たり続けると徐々に消えていく。もうひとつ舞台装置で面白く使われたのは「紙」。これも「神」に通じている。
マドロミはその美しさで家元に気に入られ、「アプロディーテ」の名を与えられて妻よりも上位の側近にとりたてられる。古田新太の家元が麻原彰晃に見えてくる。
「教室」は「教団」であり、その実態を暴こうと潜入した弟はどこにいる?ジャーナリストという素性がばれて殺されているのではないか?行方不明の息子もどこにいる?弟と息子を探す女二人は中と外で連絡をとりあい、マスコミにも訴えて包囲網をつくるのだが、それが刺激となって、教団の大暴走が始まる。

家元は忠誠を死をもって試す。その対象になったものを他のメンバーはかばわないで追い詰める。「信じる」ことは「妄信」や「狂信」に通じてしまうことがあることを見せつける。
息子を探す母も行方不明となり、やがて変死体でみつかる。弟はみつかったが、ミイラ取りがミイラになってしまっていた。弟は殺されたのではなく、殺した方でその犠牲者は誰?教団から逃げようとしたダプネーは家元の指示で何かを飲まされると死んでしまった?!

さらに、家元は世界を変える為の戦士を3人選ぶ、ビニール傘の先を使って書くのだ、いや突くのだとビニール袋に入れた液体を持たせる。
手前に傾斜した舞台の奥で3人は傘の先で袋を突き、あふれる液体が床を流れて3本の灰色の帯を描く。地下鉄サリン事件の惨事を忘れてはならない。

社会不安が嵩じると、人はそれから逃れたくて救いを求める。その先は、ある存在だったり教義だったりするが、それを「妄信」「狂信」して、人の道を逸脱して暴走することがある。
それは「幻」ではなく、そこに引っ掻き瑕のように「ノ」の一画を加えた「幼」が引き起こすのだという野田秀樹のメッセージ。
「理性」が育っていない人間の「幼稚さ」が暴走した時に起こる惨事。昔、新左翼と呼ばれる集団が起こしたリンチ殺人事件や無差別テロも想起する。
レーニンは「左翼小児病」といって、原則を逸脱した行動をとる集団を戒めたということも知っている。「理性」が育っていない人間の「幼稚さ」を暴走させてはいけないのだ。

最後の場面で、空き地に捨てられて放置された冷蔵庫に入って遊んで死んでしまうという子どものエピソードが繰り返される。中からうずくまった家元=古田新太が大人なのに子どものような表情を見せつける。「リチャード三世」でも見せたあの表情である。このキャスティングが最大の効果を見せつけるラストシーン。
宮沢りえが最後の長台詞を実に聞かせる。「ロープ」のタマシイの長台詞を思い出す。細身の華奢な体の奥底から舞台の声を低く響かせる。出産後の舞台復帰第一作だが、実に素晴らしい女優になってくれたと感慨深い。
銀粉蝶が公演途中で体調を崩して休演していたということだが、復帰してくれていて嬉しかった。橋爪 功も絶好調の怪演。美波も池内博之も他のキャストも好演。

e+のプレオーダーでとれたS席だが手数料もとられてちょっと高いよ~と思ったが、今回の舞台装置の果たした大きな役割を感じ取るためには悪くない席だったとも言える。
今後のために、NODA・MAPのWEB先行予約会員になってしまったことも書いておこう(笑)
写真は今回公演のチラシ画像。


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5 コメント

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あの表情 (スキップ)
2010-07-18 12:12:37
ぴかちゅうさま
拙記事をご紹介いただき、ありがとうございました。
野田さんのお芝居は難解ではあるのですが
今回のメッセージはかなりストレートでしたね。
「理性が育っていない人間の幼稚さの暴走」-まさにおっしゃる通りで、それを象徴する家元・古田新太のあの最後の言葉と表情、究極でした。
この家元役は古田さんに、という野田さんのたっての依頼だそうですが、さもありなんです。
りえちゃんの最後の独白とともに、忘れられない場面となりそうです。

私も今回2階席から観ました。
NODA・MAPの先行で取ったのに、「ええ~、2階かよ?」と思いましたが(笑)、確かに舞台装置が見渡せて、群衆の動きや舞台の全体感をつかむのには良い席だったと感じました。
Unknown (恭穂)
2010-07-20 21:35:02
ぴかちゅうさん、こんばんは!
すがるものが「袖」から「神」、という鋭い記述に、
とても納得してしまいました。
ぴかちゅうさんの感想には、いつもはっとさせられます。
古田さんの表情、私は決行前方席だったのですが、
とても怖かったです・・・
漢字や言葉の使い方も、日本人でよかったなあ、と思ってしまう奥深さ。
きっと見落とした(聞き逃した)部分も沢山あると思うので、
いつか是非再演していただきたいなあ、と思いますv
皆様TB、コメント有難うm(_ _)m (ぴかちゅう)
2010-07-22 00:49:33
★「地獄ごくらくdiary」のスキップさま
スキップさんの記事に目を通して観劇したので、漢字による言葉遊びについて覚悟を持って臨むことができました。記事のURLを入れていただいたのも確認しました。有難うございますm(_ _)m
>「理性が育っていない人間の幼稚さの暴走」......これを体現するのに今もっともふさわしいのが古田新太で、家元役は彼でないとこの芝居が成立しなかったと思います。人間の「幼稚さ」が暴走した時に起こる惨事をいろいろと想起してしまい、人間が「理性」をきちんと磨いていける社会にしていかなければならないという野田さんのメッセージを感じ取りました。
舞台装置の床の材質がまた優れものでしたね。水筆で書くと字が濃い灰色に浮かび上がるというずいぶん前に出たアイデア書道練習グッズと同じものだろうと推測。耳で聞くだけよりもビジュアルでしっかり伝えられるのが効果的だったし、全体を眺め渡すのに2階席も悪くなかったです。
★「瓔珞の音」の恭穂さま
大きな筆で床に大書した「袖」が「神」に変えられてしまうところにはもう感心しまくりでした。「紙」も「神」に通じるす、「信」も妄信とか狂信に通じてしまう。野田さんの初期の作品の特徴と言われる言葉遊びと、その後に重視されていった物語性のバランスが絶妙な作品になっていたように思いました。
古田新太の最後の台詞が実は聞き取れていないのですが、表情の物凄さだけでもうゾッとさせられて台詞知らなくてももういいやという感じです。
再演されたとして、この作品をもう一度観る気力がその頃に残っているかどうか、ちょっと自信がなかったりもしています。
遅ればせながら (麗)
2010-08-17 23:16:49
感想が書けたのでコメントを。

今回の芝居は「漢字遊び」が満載でしたね。
いつもの「言葉遊び」もありましたが、
漢字をここまで見事に見せられて感心しきりです。

最初、ギリシア神話がどういう風に絡んでくるのか、
全く分からなかったのですが、
マドロミが探していた弟であり、
オバちゃんが探していた息子であり、
家元の欲望の末の犠牲者だった事に驚愕しました。

大勢のアンサンブルの使い方も効果的で、
「集団の怖さ」をまざまざと見せ付けられました。

>NODA・MAPのWEB先行予約会員になってしまった
むふっ!
ぴかちゅうさんも野田ワールドに入り込みましたね。(笑)
次回からは(多少)チケット取りが楽になりますね♪
★「ARAIA -クローゼットより愛をこめて-」の麗さま (ぴかちゅう)
2010-08-18 00:41:35
TB、コメント有難うございますm(_ _)m
>むふっ!ぴかちゅうさんも野田ワールドに入り込みましたね......私が野田秀樹に真面目に取り組むことにしたのは彼の世界に飛び込むための慣らしとして古本屋で買ってきた『おねえさんと一緒』というエッセイ集の巻末の解説の井上ひさしの文章に納得させられたからです。本編のエッセイはホントくだらなかったのですがね。
ここ数年、しっかりと観てきて、井上ひさしが評価したポイントがまさにそうだと思いながら堪能させてもらっています。
>「漢字遊び」......実際に筆を使って舞台で字を書くという演出は、井上ひさしの「道元の冒険」を彷彿としていました。世の矛盾について突詰めていって精神的におかしくなってしまうくらいの危険な世の中だというメッセージ性も共通するものがあるとも思えます。
>大勢のアンサンブルの使い方も効果的......前回の「パイパー」(感想アップできてません(^^ゞ)でもそうでしたが、今回も凄かったです。そのアンサンブルにいた女優さんが今度の「表にでろいっ」でダブルキャストで抜擢されてますね。
>「集団の怖さ」......社会不安の中で精神的な拠所を得ようとして間違ったリーダーを盲信狂信して集団ヒステリー状態になっている恐ろしさがよく描かれていました。「理性」を磨きあってお互いに支えあう集団がつくれれば、反対にものすごくプラスに働く集団ができます。めざしたいのはそちらですね。

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