ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

08/08/22 こまつ座「闇に咲く花」忘れてはならない記憶の再現

2008-09-03 23:59:51 | 観劇

こまつ座「闇に咲く花」を8/22に紀伊國屋サザンシアターで観てきた。いつものように職場の労組有志の観劇企画で、明日の夜に御飯を食べながらの感想会があるので、間に合うように感想をアップ!

ちなみにウィキペディアの「こまつ座」の項はこちら
【闇に咲く花】井上ひさし・作 栗山民也・演出
こまつ座創立から4年後の1987年に初演。再演を重ねて前回からは7年ぶりという今回公演が私の初見。
今回のキャストは以下の通り。
牛木健太郎=石母田史朗 稲垣善治=浅野雅博
牛木公麿=辻萬長
神田警察署猿楽町交番・鈴木巡査=小林隆
GHQ法務局主任雇員・諏訪三郎=石田圭祐
後任の吉田巡査=北川響
ギター弾きの加藤さん=水村直也 遠藤繁子=増子倭文江
田中藤子=山本道子 中村勢子=藤本喜久子
久松加代=井上薫 小山民子=高島玲 
子守りの少女=眞中幸子
演出の栗山民也は新国立劇場の演劇部門の芸術監督を7年間つとめたが、さらに新国立劇場演劇研修所という俳優養成所をつくっていた。その一期生が3年間の研修を終え、今回の舞台に3人が出演している(北川・高島・眞中)。こまつ座の舞台に13人が出演というのは賑やかな舞台だなぁと思っていたが、そういう期待の星も出ているのかと感心した。

あらすじと感想が混じった書き方になっているが、時間もないのでおゆるしいただく。
舞台は昭和22年の夏、靖国神社に近い愛敬稲荷神社の唯一焼け残った神楽殿。隣のバラック小屋は神主の牛木公麿が近所の戦争未亡人5人を集めてやっているお面の工場。稲荷神社だけに白い狐面(海老蔵の狐忠信の顔のメイクを思い出す)がメイン商品。今日は副業?の闇米の買出しに出かけてきた5人がおなかに米袋をくくりつけて帰ってきた。管轄のお巡りさんが巡回にくると誤魔化すのが大変だ。バレても自分にも2升位わけてほしいというような人物(笑)。

捨て子だったのを育てた健太郎は戦死。その幼馴染で野球でずっとバッテリーを組んでいた稲垣善治は復員し、精神科医として再スタートを切ろうとしている。健太郎の思い出を語っているとなんと本人が帰ってきた。グアム島で記憶をなくして米軍の捕虜になり、記憶が戻ってようやく帰国できたという。
後継ぎを得た公麿は愛敬稲荷神社を神社本庁に登録して立派な神社にしようと張り切り出す。しかし健太郎はそれを批判する。自分たちを戦争に送り出した国家神道と自分の育った稲荷神社は違うはずだという。父と子の論戦が始まる。人びとの願いを受けとめ、ホッと憩える空間として存在してきた小さな神社。道端の花のような役割をもっていたはずの神社。それが「国のために立派に死んで来い」と男達を送り出すところになってしまった。健太郎の指摘は鋭い。そこで私たちも庶民の身近にあった神社の本来の姿や役割と、天照大神を祭司のトップである天皇の神格化にまで歪めていった国家神道との大きな違いを再確認できた。

戦前は神社を統轄してきたのは内務省。戦後はその代わりとして神社本庁ができたらしい。神社本庁がGHQにつぶされないように顔色を窺って気に入られるような取組みを傘下の神社にやらせていたというエピソードも井上ひさしの綿密な調べて脚本を書くという作業の賜物である。

そこにGHQ法務局に雇われた諏訪がやってきて、健太郎に「C級戦犯」容疑があるという(現地の青年とキャッチボールをしていてボールがおでこに当たって怪我をさせた=虐待とされた)。戦時中のつらい記憶を想起され健忘症が再発。思い出したら強制送還。担当の精神科医として名乗りをあげた稲垣は諏訪に知られないように健太郎の記憶を取り戻した上で田舎に匿うつもりだった。懐かしい野球チームの面々の話をすると記憶が刺激される。けれど二人を除くみんなは戦死などでこの世にはもういない。懐かしさとつらさで揺すぶられて記憶が戻ったその瞬間!敵ではなかったはずの鈴木巡査は任務をまっとうしていた。隠しマイクで全ては録音され諏訪がテープを再生する。健太郎は強制送還されて・・・・・・・再び帰ってはこなかった。

数ヵ月後の愛敬稲荷神社。鈴木巡査が拾った二人の混血児の赤ん坊が公麿の養子になっていて、未亡人達にも可愛がられている。神主の手伝いとして働いているのは鈴木だった。警官の姿を利用して闇取引を手伝って成功させ、まとまった金を牛木たちに確保の上で辞職。こうして自分のしたことを一生かけて償っていくのだろう。そして諏訪も健太郎の遺品の野球ボールを届けてGHQを辞めたと去っていく。もう一人、戦争体験を忘れないでいようとしている男がいる。境内でギターを引き続ける加藤さんだ。死んでいった戦友のために生き残った自分が鎮魂の曲を奏でているという。

健太郎の台詞「父さん、ついこのあいだおこったことを忘れちゃだめだ」。忘れてはならない自分達の社会が犯したマチガイの記憶。栗山民也がプログラムで書いている「演劇は歴史という人間の記憶を再現する装置であり、人間や世界の醜い裏面を暴く」という役割をしっかり果たしてくれた舞台になっていたと思う。井上ひさしの脚本の素晴らしさ、キャストの熱演とともにぶれない姿勢で演出する栗山民也をもっと知りたくてロビーで売っていた直筆サイン入りの岩波新書。『演出家の仕事』をさっそく買ってきた。ちゃんと読みますとここで宣言しておこう。

さてキャストについてもちょっとだけ。
最近はピアノを使う作品が多いがこの作品の初演からギターを弾いていた水村直也。初演からずっと舞台とともにあったギターの音色が心に沁みた。
TVドラマなどでもよく知られた小林隆がこまつ座に初登場。戦後の募集でお巡りさんになった鈴木さんの人のよさ悩み苦しみがせつなかった。辻萬長と戦争未亡人役の5人の女優とのからみもすごくよかった。若者役の熱演も嬉しい。13人の息の合った舞台だった。

写真は公式サイトより今回公演のチラシ画像。
補足と追記(9/6にさらに一部追記)
「C級戦犯」とは、連合国によって戦争犯罪類型C項「人道に対する罪」に該当する戦争犯罪の罪状に問われた一般の兵士らのことだ。審理不十分のまま現地住民感情を宥めるためのスケープゴートにされてしまった例も少なくない。戦争の最高責任者を政策的に不問にしたための代償だと思う。
ウィキペディアの「BC級戦犯」の項はこちら
劇団四季のミュージカル戦争三部作の「南十字星」でも主人公がC級戦犯容疑有罪になり、絞首台にたって幕切れとなった。現地の住民感情をなだめて日本が立派に再建できるように礎になろうと決意を固めて死んでいくのだが、そこを強調しすぎているところが好きになれず再見する気になれていない。
ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」を観た時の記事はこちら

9/4の感想会では①健太郎がなぜ「C級戦犯」として死ななければならなかったのか、②「闇に咲く花」とは何をさしているのかの意見交換で盛り上がった。②についてはいろいろな意見が出て面白かった。私は「闇」は戦争に向かっていった時も、戦後になっても新たに生まれてしまった「時代の闇」をイメージした。「花」は前述したような意味での本来的神社とか、そこに集う人々というところだろうか。


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4 コメント

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Unknown (hitomi)
2008-09-06 22:46:40
こまつ座鑑賞いいですね。

今年BC級戦犯のドキュメント見ました。理不尽すぎます。四季の「南十字星」も見ましたが優等生過ぎて、李香蘭のほうが好きです。

六条亭さんの記事読んでいて発作的に歌舞伎座のチケット入手してしまいました。今月は止めるはずがもろくも。

楽に鑑賞されますか。先月お世話になったので。
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★hitomiさま (ぴかちゅう)
2008-09-07 00:23:21
BC級戦犯については9/4の職場の観劇企画感想会でも話題になりました。そこでちょっと追記を増やしました。よろしければ追記と補足部分などをお目通しくださいませm(_ _)m
劇団四季の戦争三部作では「李香蘭」の最後の「徳をもって報いよう」という中国側の裁判長の歌が良かったです。「異国の丘」まではいいのですが、最後でちょっとガッカリしました。
歌舞伎座は前楽です。当番の日は早帰りを自粛している関係です。
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忘れたふりはなおいけない (かしまし娘)
2008-09-08 11:14:07
ぴかちゅう様、まいど!
「戦争を忘れてはならない。忘れたふりはなおいけない」
ウ…。痛いっっ。
63年後に生きてる私の胸に突き刺ささりました。
井上ひさしが投げる球は、やっぱり直球勝負じゃないんだけど、
いつの間にか、ストンと心に落ちてきます。
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★かしまし娘さま (ぴかちゅう)
2008-09-09 00:02:27
>「戦争を忘れてはならない。忘れたふりはなおいけない」......そうそうここはビシッときた台詞でしたね。井上ひさしの配球はバランスがよくて、変化球に大笑いしている間に直球がストライクゾーンに入ってくる感じがします。
再演ものもいいですが、新作もまた観たくなってしまいました!
(注)かしまし娘さんの記事は名前をクリックすると読んでいただけますのでご紹介(^O^)/
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