四月花形歌舞伎「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」昼の部は4/22、夜の部は4/25千穐楽で観劇。
4/22昼の部観劇時の顛末のみアップしたが、予想よりもはるかに面白かったので感想を昼夜まとめて書いておくことにする。
まず昼の部。
松緑の高師直は花形歌舞伎だからまぁ仕方がないかと思って観たが、予想以上の面白さだった。丸顔に老けメイク、ぎょろ目を活かして思いっきりのいじめ役が面白い。菊之助・松緑コンビということでもう全く遠慮く、直球勝負で菊之助の塩冶判官をいびっていじめて辱める。
菊之助の塩冶判官は辱めに堪え短慮を侘びて平伏低頭の末、鯉口を切った赦しを得たと思いきや、饗応役は若狭之助だけにすると言われて堪忍袋の緒を切った。その若いエネルギーの爆発のような刃傷の場面がやけに新鮮に感じられて驚いた。
四段目の切腹の場面。染五郎の大星由良之助がかけつけて思いを託す場面にもハッとさせられた。菊之助の清潔感あふれる若々しい塩冶判官は、潔癖な赤穂の殿様が辱めを受けたままでこの若さで無念にも死ななければならないのかという感慨を抱かせた。この鬱憤の深さを濃厚に感じさせる判官は怨霊になって祟りそうだという気がして、丸谷才一の『忠臣蔵とは何か』を彷彿とした(「歌舞伎素人講釈」さんの「忠臣蔵は御霊信仰で読めるか」をご参照のこと)。
染五郎の大星は華奢過ぎで、花形歌舞伎だから仕方がないと案の定思えてしまった。城を枕に討死という若者たちを「御了見が若い若い」と制止する場面、「アンタが言うのは似合わないよ」とつっこみを入れたくなる。父に教えを受けたらしく幸四郎流の台詞になっていたが、明瞭で聞き取りやすいのはよかった。
福助と亀治郎の道行は陰鬱過ぎるという評判があったが、それほどのことはなくて安堵した。劇評などの指摘を受けて軌道修正をしたのかもしれない。
また、花形の中に50代の福助のおかるでは浮いてしまうのではないかと心配していたが、これはこれでありと思えた。男女の年齢を逆転させて、年上の腰元おかるが若い近習の勘平を口説き落としたというイメージに勝手に変換(笑)亀治郎の二枚目というのはどうも年上の女キラー的な魅力があるような気がする(これって私が可愛い奴だなぁと思う贔屓目かもしれないと思うが・・・)。道行も熟女が年下の可愛い男に惚れて献身的に尽くすというイメージのおかる・勘平として楽しく観ることができた上、鷺坂伴内は猿弥で立ち回りも見応えあり。昼の部も予想よりはるかに面白くて満足。
25日の千穐楽夜の部。
五段目。寿猿の与市兵衛の台詞が聞き取りやすく、さすがに澤瀉屋のお師匠番だと思う。獅童の斧定九郎は見栄えはよいのだが、「五十両・・・」の台詞や打たれてからもがき苦しむ様が極まらず、この役の難しさがよくわかった。
亀治郎の勘平は上方の鴈治郎型ということで、いつもの見慣れた音羽屋型と本当にいろいろと違っていて、鉄砲の火縄は早くから消えてしまうし、暗闇の中を獲物を縛りあげる縄を輪にして定九郎の骸に引っかけるというようないつもの見慣れたしぐさもない。運びはいつもと違っていてもその運びがいちいち納得できてしまう。2005年の浅草歌舞伎で「封印切」の競演があった時も亀治郎は鴈治郎型をやった。自分の家にない役をやる時にどの役者の型を踏襲するかということも大事なポイントになると思う。特に同じ世代の役者が同じ役を競演することになるわけだから、誰がやっても同じ型というのでは面白くない。珍しい型を踏襲しつつ、その上で工夫をしていくというのも一つの戦略だろう。
六段目は、福助のおかるが眉なしの地味な石持ちの着物姿で化粧を直している冒頭からいい感じ。竹三郎の母おかやといるところへ、薪車の判人源六が亀鶴の一文字屋お才を伴って現れる。薪車は竹三郎の芸養子だし、亀鶴も藤十郎一門だしということで、上方の役者で固めてきて上方の芝居として味わえるのがよい。薪車は元来上方役者ではないが、松竹新喜劇で藤山直美と共演する経験も積んできて、チャリ場でも上方の味を出せるようになってきたのが好ましい(原郷右衛門との二役もよい)。
亀治郎の勘平が戻り、雨で濡れた着物を普段着に着かえるのも鴈治郎型だろう。姉さん女房的雰囲気のおかるが世話を焼くのも甲斐甲斐しい。そして惚れた男のために苦界に身を売るというイメージに見えるので、二人の別れの場面も実にせつなくてよい。
さて、狩人たちが与市兵衛の死骸を運び込むのもいつもと違って上手のひと間に頭を客席側に置くというのも初めて見た。仏壇の下の戸棚の前が有効に使える。自分が誤って殺してしまったと思い込み、それがばれないかとそわそわして座ってしまったりもする。竹三郎のおかやが与市兵衛にとりついての芝居が客席に向くので、おかやの芝居のしどころがある。嘆き悲しみの後に湧いた勘平への疑念に確信を抱き、そこから立ってきて勘平を責めさいなんでいく竹三郎がよく、亀治郎の勘平の追いつめられていく様子に緊迫感が高まってぐいぐいと舞台に引きつけられた。今年の新春歌舞伎の「八犬伝」で亀治郎・竹三郎が組んで因業な庄屋夫婦をやった時にも絶妙な間合いでよかったが、勘平とおかやでもいい芝居になっているのにまたまた感心至極。
亀三郎と亀寿の二人侍がきて、おかやがとりついて離れないのを、仏壇の下にとどめ、枕屏風の中にいさせるというのも自然だ。帯につかまらせて出迎えるというのは無理があるなぁと思っていたので納得だ。二人侍とのやりとりの中で身の潔白を訴え、二人が与市兵衛の死骸をあらためている間に下手で後ろを向いて刀を腹につきたててしまうという、切腹のタイミングも音羽屋型と違う。いつもは早く二人が鉄砲傷ではないと確認してくれればいいのにと焦れてしまうが、シンプルに本当に早まった自刃だという悲劇性が高まる。
「仏果を得よとはけがらわしい。魂魄この地にとどまりて・・・・・・」と仇討に加わる思いのたけを語る亀治郎の目が怖い。今回、菊之助の判官と亀治郎の切腹の場面は、本当に怨霊になりそうな迫力を感じてしまった。
思いを受けとめた亀三郎の不破数右衛門が連判状に加わることをゆるし、腹を最後まで掻き切って臓腑の血で判を押し、戻された五十両に後金の五十両を仇討にと差し出すと、鴈治郎型では全部を受け取る。ここも違って面白い。
そして、最後に驚くのは、おかやに戸棚から紋服を出してもらって着せかけてもらい、二人を見送る場面。戸棚の箱の上には道行で二人が着ていた衣装が畳まれていた!勘平の黒の紋服とともにおかるの色小袖があるのだ。七段目の「なんにも知らぬ」おかるの悲劇とつながってもいくのだ。憎い演出だとしみじみ思えた。
千穐楽の六段目の幕切れ。竹三郎のおかやに支えられた亀治郎の勘平は落ちいらずに二人を見送った(見えてはいない心だろうが)。五・六段目が今回の一番の収穫!!
七段目。染五郎の大星は衣装を重ねて着こめるので華奢さは目立たないし、色町での放蕩ぶりの場面でもあるし、昼の部よりも安心して見ていられる。見立てもスカイツリーの形をつくったり千穐楽という垂れ幕も出たし、「揖保の糸」の包みを転がして素麺ごろごろ染五郎、来月は「弓張月」で主役だというのもあり、実にらしくてよかった。歌江が仲居おつるで元気に出ているのも嬉しい限り。
松緑の平右衛門と福助の遊女おかるの兄妹の芝居もよく、染五郎の大星が錦吾の斧九太夫を成敗しての幕切れまで、七段目も予想以上の出来。
十一段目の討入・本懐の場はまぁこんなもんでしょう。亀鶴の敵役で目立つ小林平八郎がお気に入り。
明日は今月でファイナルの平成中村座を昼の部で観てくる。今月後半の怒涛の観劇スケジュールを無事に乗り切りたい。まるで修行のようであるが、まぁこれもやれるうちということで(^^ゞ
(5/19追記)
関連で3/18に観た三月大歌舞伎の九段目「山科閑居」の感想もアップしたのでリンクしておく。