傾亭さんやyukari57さんからの情報で慶応大学歌舞伎研究会三田会の「第19回芸談を聴く会」に行ってきた。一昨年の坂田藤十郎丈、昨年の片岡愛之助丈と好評だったという評判を聞いていたので、今回をとても楽しみにしていて観劇仲間6人で申し込んだ。会場の慶應義塾大学三田キャンパスの大学院校舎1階311教室は机が足りなくなって後ろに椅子席も並べられての大盛況だった。
第19回「芸談を聴く会」
「二代目中村錦之助襲名の抱負を語る」
ゲスト:中村信二郎丈
聞き手:渡辺保氏(演劇評論家、会のOB)
この間、渡辺保氏の講演会に二度ほど参加したが、今回はインタビュアー。いつもの語り口よりもソフトだったので多少聞き取りにくかった。以下、私の拙いメモ書きよりご報告する(敬語は極力省く。歌舞伎会の会報『ほうおう』4月号に掲載された文章と重複した内容もあるのでご参照ください)。
1.襲名までについて
1)中村錦之助を襲名
本名が錦一だった叔父の初舞台を踏んだ時の名前、中村錦之助を襲名することになった。昨年亡くなった松竹の永山会長から「いつまでも信二郎でいるわけにはいかないだろう」と新しいお名前の候補を何回も持ってこられていたが、ずっと断ってきた。
叔父の名前がきた時に迷ったが、自分が継いで三代目四代目と繋いでいけば叔父の名前が永遠に行き続けることができると思って決意(2003年出演の「比叡山薪歌舞伎」の劇中の台詞に触発された)。とにかく叔父さんが大好きだったという気持ちが言葉の端々からにじんでいた。
2)手づくりのような襲名にしたかった
最近の大きな名前の襲名でエスカレートしているが、2月の公演終了後に100軒位ご挨拶に回る(1日に12~3軒)。お練りなどの儀式はしない。とにかく稽古に一番集中したいと思っている。
3)襲名公演の演目
①「菊畑」の虎蔵
萬屋錦之介になってからの年1回の歌舞伎座の公演に出ていたので、当初は「瞼の母」などを考えていた。ところがインターネットで調べていたら叔父の年表がたまたま出てきた。歌舞伎時代につとめた役も全部あって、そこに映画にいく前ににつとめた役ということで虎蔵とあった。初代吉右衛門劇団にいた叔父を映画に送り出すにあたり、歌舞伎の最後の公演で子ども歌舞伎の一日だけつとめさせてもらっていたことがわかった。その最後の役を自分の錦之助の最初の役にしたいと富十郎師匠に申し出たところ、「それはいい、僕が鬼一に出るから」と賛成してくれた。
この役は祖父の三代目時蔵がよかった。「三味ノリお時」と言われた三代目は竹本に乗るのがうれしくてしょうがないという感じだった。こういうノリの多い芝居で思いきって歌わないとダメな古風な役。自分も文楽に勉強にいっている。(確かに昨年の秀山祭で染五郎の虎蔵を観たが台詞回しは大変そうだった。)
②「角力場」の与五郎・長吉
師匠がふさわしいと勧めてくれた。与五郎は二度目だが初役のときは手も足も出なかったのでリベンジの気持ち。じゃれあうところが難しいとのこと。虎蔵と長吉は吉右衛門劇団のことを一番知っている又五郎のおじさまに教わる。自分である程度仕上げていって見ていただいて直していただく。
③「魚屋宗五郎」の磯部主計之助
最後にパッと出てきて殿が「めでたいな」と言って終わりになるので襲名にふさわしいと、主演の勘三郎が勧めてくれた。
2.渡辺保氏がこれまでの信二郎のベスト3をあげる
それに関しての質問に答えて
①「葛の葉」の保名
葛の葉の雀右衛門のおじさまはオーラで包み込んで引っ張ってもらえる。雀右衛門さんは「教わった通りにやりなさい」と言ってこちらに全部合わせてくれる。「雀右衛門さんと出るとラクだろう」と立役の皆さんが言っている。
②「柳」の平太郎(「柳」=「三十三間堂棟木の由来」みくまのねっとさんの記事をご紹介)
魁春のお柳との共演の舞台がよくて、渡辺氏自身も作品のよさを見直すほどだったという。信二郎丈は魁春丈と「波長が合う、芸風が合う」と言っていた。
③「国性爺合戦」の甘輝将軍(昨年6月の「国性爺合戦」の感想はこちら)
渡辺氏曰く「錦之助さん(もうこちらでお呼び)は二枚目と強い実事の2つの線がある」に答えて「自分は線が細いので思い切り威勢を張って出て行くのがかなり疲れる」とのこと。
3.不器用だが来たら何の役でもやる
別に主役をやらなくてもいい。来た役が一番やりたい役と思っている。その時はうまくできなくても次があると思って続けていく。歌舞伎とはそういう世界。師匠も「今できなくてもいい。一つずつ勉強していけばできるようになる」と言ってくれる。
4.子ども時代から今まで印象が強かった人
①先先代の三津五郎(八代目?!)
大好きで舞台を観ていても主役ではない三津五郎ばかりに目がいっていた。子供どうしで歌舞伎の芝居をして遊ぶときも自分は三津五郎の役をやりたがるので他の子とかちあわなった。
②勘也(と聞こえたのですが.....。エピソードなし)
③宗十郎
独特な台詞回しだった。「みんなと同じことをしてはダメだよ。自分だけのものをつくらなくちゃ」とよく言っていた。その独特なものを出すには歌舞伎が身についていなくてはダメなので難しいこと。
5.歌舞伎役者は一緒に舞台に立つことが一番大事。
1)先輩方にはオーラがある。一緒の舞台に立つことが一番の勉強になってきた。隼人も「元禄忠臣蔵」の中日を過ぎたあたりからどんどん変わっていった。最近の子どもたちは学校も大事とかいろいろあって子ども時代になかなか舞台に立たせられないことがもったいない。
2)昔から役者同士の仲が悪くても、一緒に舞台に出てぶつかりあうことが大事だった。主役でない演目につきあいで出ても負けないぞとぶつかりあった舞台が素晴らしかった(六代目菊五郎と初代吉右衛門のイメージか?)
6.澤潟屋時代
ここで芝居というものを教わった。とにかく芝居漬けになった。休みの月は軽井沢の別荘に缶詰状態。猿之助が台本を練り上げるところにいつも右近・弥十郎とともにいた。復活狂言は演じ方も何も残っていないので、この役は伝承されている役のどれをあてはめてやろうとか考えていく。義太夫や合方も同じようになる。猿之助は直接役を教えることは少なかった。「教わってきなさい」と役に応じた方に教わりにいかせて、それを見て直していくタイプだった。自分は宗十郎さんや門之助さんにいろいろ教わった。
7.富十郎に師事
宗十郎さんや門之助さんがなくなって教えてくれる人がいなくなり、純歌舞伎を中心にやりたいので戻った。純歌舞伎で育ったので自分にはそちらが合うと思った。
きちんと師匠について勉強したいと思い、天王寺屋さんにお願いした。師匠は踊りも芝居も全般的に素晴らしい。師匠のいつもの言葉。
「常にお行儀よくしなさい」「人に教わったことを大事にしなさい」「人に邪魔なことをしない」「自分勝手な芝居をしない」「品もよくしなさい」
まさに「芸は人なり」だと思っている。
7.これからのこと
新作もいつかやりたい。叔父の映画「ひよどり草紙」とか「紅孔雀」などを歌舞伎仕立てでやってみたい。
8.参加者へのひとこと
歌舞伎役者は長い目で見てください。怠けているわけではなく、やってもやってもできない難しいもの。あまり期待しすぎないで今回はこれくらいか、5年10年たって次にやる時はどうなったかという風に観ていただきたい。
祖父は叔父に「映画に行くならもう一生純歌舞伎には出るな」と言って送り出した。それくらい厳しい時代だった。しかし叔父は歌舞伎が大好きで六代目菊五郎の分厚い写真集を2冊も買って家でよく見ていた。それくらい好きだった。
だから自分が今うまくできなくてもゆるしてくれると思う。叔父さんのやりたかったことをやっていきたい。
★質疑応答
お時間のなくなった渡辺保氏がここで退場。会のOBで信二郎丈と幼稚舎時代から同学年の演劇評論家の犬丸治氏が仕切った。司会の前に自分もやりとりされる。
その中で一昨年の菊五郎劇団の「NINAGAWA十二夜」に出た時の話となる。
犬丸氏が「灰皿はとんでこなかったか」との質問。
「蜷川さんは歌舞伎をモチーフにふだんのお芝居をやられているので、本家に来たら何も言わなかった」。
劇団の雰囲気もみな仲が良かったとのこと。菊五郎さんは二月も直義で出た自分にアドバイスしてくれたし、「錦之助さん」と初めて呼んでくれて嬉しかった。こういう人柄だから劇団を束ねていけるんだなぁと思った。
私はまだ歌舞伎の観劇歴がここ数年なのだが、「NINAGAWA十二夜」の左大臣で信二郎に注目。「国性爺合戦」の甘輝将軍でも贔屓度がアップしていた。さらに二枚目を磨いていただければ本当に貴重な立役になっていただけると思う。
しっかりしすぎの感のある兄の時蔵と違って、弟としてのほほんと育った良さがあるようにお見受けした。不器用だが頑張るという宣言をしてくれたようで襲名が大きなバネになるだろうという期待が大きく膨らんだ。
4月の襲名公演もしっかりと昼と夜を観にいってお姿を目に焼き付けることにしよう。
終了後、駅前のコージーコーナーでオフ会。初めてのメンバーもいたが、いつものように皆さんよくしゃべりました。
この間の渡辺保氏の講演会受講のレポはこちら
06/11/18 十文字学園女子大学での特別講演会「襲名と新しい歌舞伎」
07/01/14 放送大学での特別講演会「歌舞伎の魅力とは何か 5つのポイント」
第19回「芸談を聴く会」
「二代目中村錦之助襲名の抱負を語る」
ゲスト:中村信二郎丈
聞き手:渡辺保氏(演劇評論家、会のOB)
この間、渡辺保氏の講演会に二度ほど参加したが、今回はインタビュアー。いつもの語り口よりもソフトだったので多少聞き取りにくかった。以下、私の拙いメモ書きよりご報告する(敬語は極力省く。歌舞伎会の会報『ほうおう』4月号に掲載された文章と重複した内容もあるのでご参照ください)。
1.襲名までについて
1)中村錦之助を襲名
本名が錦一だった叔父の初舞台を踏んだ時の名前、中村錦之助を襲名することになった。昨年亡くなった松竹の永山会長から「いつまでも信二郎でいるわけにはいかないだろう」と新しいお名前の候補を何回も持ってこられていたが、ずっと断ってきた。
叔父の名前がきた時に迷ったが、自分が継いで三代目四代目と繋いでいけば叔父の名前が永遠に行き続けることができると思って決意(2003年出演の「比叡山薪歌舞伎」の劇中の台詞に触発された)。とにかく叔父さんが大好きだったという気持ちが言葉の端々からにじんでいた。
2)手づくりのような襲名にしたかった
最近の大きな名前の襲名でエスカレートしているが、2月の公演終了後に100軒位ご挨拶に回る(1日に12~3軒)。お練りなどの儀式はしない。とにかく稽古に一番集中したいと思っている。
3)襲名公演の演目
①「菊畑」の虎蔵
萬屋錦之介になってからの年1回の歌舞伎座の公演に出ていたので、当初は「瞼の母」などを考えていた。ところがインターネットで調べていたら叔父の年表がたまたま出てきた。歌舞伎時代につとめた役も全部あって、そこに映画にいく前ににつとめた役ということで虎蔵とあった。初代吉右衛門劇団にいた叔父を映画に送り出すにあたり、歌舞伎の最後の公演で子ども歌舞伎の一日だけつとめさせてもらっていたことがわかった。その最後の役を自分の錦之助の最初の役にしたいと富十郎師匠に申し出たところ、「それはいい、僕が鬼一に出るから」と賛成してくれた。
この役は祖父の三代目時蔵がよかった。「三味ノリお時」と言われた三代目は竹本に乗るのがうれしくてしょうがないという感じだった。こういうノリの多い芝居で思いきって歌わないとダメな古風な役。自分も文楽に勉強にいっている。(確かに昨年の秀山祭で染五郎の虎蔵を観たが台詞回しは大変そうだった。)
②「角力場」の与五郎・長吉
師匠がふさわしいと勧めてくれた。与五郎は二度目だが初役のときは手も足も出なかったのでリベンジの気持ち。じゃれあうところが難しいとのこと。虎蔵と長吉は吉右衛門劇団のことを一番知っている又五郎のおじさまに教わる。自分である程度仕上げていって見ていただいて直していただく。
③「魚屋宗五郎」の磯部主計之助
最後にパッと出てきて殿が「めでたいな」と言って終わりになるので襲名にふさわしいと、主演の勘三郎が勧めてくれた。
2.渡辺保氏がこれまでの信二郎のベスト3をあげる
それに関しての質問に答えて
①「葛の葉」の保名
葛の葉の雀右衛門のおじさまはオーラで包み込んで引っ張ってもらえる。雀右衛門さんは「教わった通りにやりなさい」と言ってこちらに全部合わせてくれる。「雀右衛門さんと出るとラクだろう」と立役の皆さんが言っている。
②「柳」の平太郎(「柳」=「三十三間堂棟木の由来」みくまのねっとさんの記事をご紹介)
魁春のお柳との共演の舞台がよくて、渡辺氏自身も作品のよさを見直すほどだったという。信二郎丈は魁春丈と「波長が合う、芸風が合う」と言っていた。
③「国性爺合戦」の甘輝将軍(昨年6月の「国性爺合戦」の感想はこちら)
渡辺氏曰く「錦之助さん(もうこちらでお呼び)は二枚目と強い実事の2つの線がある」に答えて「自分は線が細いので思い切り威勢を張って出て行くのがかなり疲れる」とのこと。
3.不器用だが来たら何の役でもやる
別に主役をやらなくてもいい。来た役が一番やりたい役と思っている。その時はうまくできなくても次があると思って続けていく。歌舞伎とはそういう世界。師匠も「今できなくてもいい。一つずつ勉強していけばできるようになる」と言ってくれる。
4.子ども時代から今まで印象が強かった人
①先先代の三津五郎(八代目?!)
大好きで舞台を観ていても主役ではない三津五郎ばかりに目がいっていた。子供どうしで歌舞伎の芝居をして遊ぶときも自分は三津五郎の役をやりたがるので他の子とかちあわなった。
②勘也(と聞こえたのですが.....。エピソードなし)
③宗十郎
独特な台詞回しだった。「みんなと同じことをしてはダメだよ。自分だけのものをつくらなくちゃ」とよく言っていた。その独特なものを出すには歌舞伎が身についていなくてはダメなので難しいこと。
5.歌舞伎役者は一緒に舞台に立つことが一番大事。
1)先輩方にはオーラがある。一緒の舞台に立つことが一番の勉強になってきた。隼人も「元禄忠臣蔵」の中日を過ぎたあたりからどんどん変わっていった。最近の子どもたちは学校も大事とかいろいろあって子ども時代になかなか舞台に立たせられないことがもったいない。
2)昔から役者同士の仲が悪くても、一緒に舞台に出てぶつかりあうことが大事だった。主役でない演目につきあいで出ても負けないぞとぶつかりあった舞台が素晴らしかった(六代目菊五郎と初代吉右衛門のイメージか?)
6.澤潟屋時代
ここで芝居というものを教わった。とにかく芝居漬けになった。休みの月は軽井沢の別荘に缶詰状態。猿之助が台本を練り上げるところにいつも右近・弥十郎とともにいた。復活狂言は演じ方も何も残っていないので、この役は伝承されている役のどれをあてはめてやろうとか考えていく。義太夫や合方も同じようになる。猿之助は直接役を教えることは少なかった。「教わってきなさい」と役に応じた方に教わりにいかせて、それを見て直していくタイプだった。自分は宗十郎さんや門之助さんにいろいろ教わった。
7.富十郎に師事
宗十郎さんや門之助さんがなくなって教えてくれる人がいなくなり、純歌舞伎を中心にやりたいので戻った。純歌舞伎で育ったので自分にはそちらが合うと思った。
きちんと師匠について勉強したいと思い、天王寺屋さんにお願いした。師匠は踊りも芝居も全般的に素晴らしい。師匠のいつもの言葉。
「常にお行儀よくしなさい」「人に教わったことを大事にしなさい」「人に邪魔なことをしない」「自分勝手な芝居をしない」「品もよくしなさい」
まさに「芸は人なり」だと思っている。
7.これからのこと
新作もいつかやりたい。叔父の映画「ひよどり草紙」とか「紅孔雀」などを歌舞伎仕立てでやってみたい。
8.参加者へのひとこと
歌舞伎役者は長い目で見てください。怠けているわけではなく、やってもやってもできない難しいもの。あまり期待しすぎないで今回はこれくらいか、5年10年たって次にやる時はどうなったかという風に観ていただきたい。
祖父は叔父に「映画に行くならもう一生純歌舞伎には出るな」と言って送り出した。それくらい厳しい時代だった。しかし叔父は歌舞伎が大好きで六代目菊五郎の分厚い写真集を2冊も買って家でよく見ていた。それくらい好きだった。
だから自分が今うまくできなくてもゆるしてくれると思う。叔父さんのやりたかったことをやっていきたい。
★質疑応答
お時間のなくなった渡辺保氏がここで退場。会のOBで信二郎丈と幼稚舎時代から同学年の演劇評論家の犬丸治氏が仕切った。司会の前に自分もやりとりされる。
その中で一昨年の菊五郎劇団の「NINAGAWA十二夜」に出た時の話となる。
犬丸氏が「灰皿はとんでこなかったか」との質問。
「蜷川さんは歌舞伎をモチーフにふだんのお芝居をやられているので、本家に来たら何も言わなかった」。
劇団の雰囲気もみな仲が良かったとのこと。菊五郎さんは二月も直義で出た自分にアドバイスしてくれたし、「錦之助さん」と初めて呼んでくれて嬉しかった。こういう人柄だから劇団を束ねていけるんだなぁと思った。
私はまだ歌舞伎の観劇歴がここ数年なのだが、「NINAGAWA十二夜」の左大臣で信二郎に注目。「国性爺合戦」の甘輝将軍でも贔屓度がアップしていた。さらに二枚目を磨いていただければ本当に貴重な立役になっていただけると思う。
しっかりしすぎの感のある兄の時蔵と違って、弟としてのほほんと育った良さがあるようにお見受けした。不器用だが頑張るという宣言をしてくれたようで襲名が大きなバネになるだろうという期待が大きく膨らんだ。
4月の襲名公演もしっかりと昼と夜を観にいってお姿を目に焼き付けることにしよう。
終了後、駅前のコージーコーナーでオフ会。初めてのメンバーもいたが、いつものように皆さんよくしゃべりました。
この間の渡辺保氏の講演会受講のレポはこちら
06/11/18 十文字学園女子大学での特別講演会「襲名と新しい歌舞伎」
07/01/14 放送大学での特別講演会「歌舞伎の魅力とは何か 5つのポイント」