Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

浜松国際ピアノコンクール完全Web中継実施!(No.1412)

2006-11-06 21:34:13 | その他
一昨日、「ウィーンを代表する大作曲家13人(含むグルダ)の1人」 = ヴォルフ を掲載したところ、知り合いから「ヴォルフ って誰? どんな曲あった?」と言われた。Piano Music Japan はピアノ専門ブログなのでやむなしかも?!
 ・・・と言いながら、タワーレコード 他 のHPを見ていたところ、「あれっ? あの名盤も販売終了?」となっている。

フィッシャー=ディースカウ + バレンボイム 盤(DG 2GH6 447-515 6枚組)


を聴いてほしい。う~ん、画像が無いが、大丈夫かな??? あなたの好みに合うかどうかはわからない。ただ、1つだけ言えることは【1流の作曲家 = ヴォルフ】である。


浜松国際ピアノコンクール完全Web中継実施!


日本を代表する国際コンクール = 浜松国際ピアノコンクール である。「国際音楽コンクール」の団体に加盟している 『唯一の日本の国際コンクール』である。 その 浜松国際ピアノコンクール が 完全Web中継実施 を実施してくれることになった! これはもう「アジア初」の快挙であると共に、「ネットに棲息しているクラシック音楽ピアノファン」にとっては感涙モノである。 ありがたい限りである!

 いくつか注意点がある。

  1. 「Webで聴く音」 ≠ 「審査員席の音」 である

  2.   う~ん、昨年のショパン国際音楽コンクール関連のWeb掲示板を見ていて痛感したのだが、「Webで聴く音 = 審査員席の音」と思っているアホが多い。審査員席にマイクが付けられているか? いないか? Web画面にて確認してほしいが、基本的には、舞台近くの上空に「3点吊りマイク」が置かれており(← これショパンコンクールの時に見た過去の実績)、『場鳴り』するタイプが良く聞こえる傾向にある。
     また、パソコンスピーカで音を聴いても絶対に細かなニュアンスは聴き取れない。一定水準以上のスピーカか、ヘッドホンで聴く方が良い。パソコン → オーディオ & テレビ画面変換の器具はいくつか売り出されているので、電機屋で簡単に購入できる。私の経験で行くと、新宿西口のヨドバシカメラのパソコンアクセサリー売場の人が最もわかり易く説明してくれたので、即購入した。

    Webで聴いて「オレの耳が絶対だ!」と過信しないように!


  3. 本物が聴きたかったら、浜松に行こう!

  4.   何もワルシャワ(← ショパンコンクール開催地)や、モスクワ(← チャイコフスキーコンクール開催地)に行こう! と言っているのでは無い。「静岡県浜松市」の『浜松駅のスグ隣、雨に濡れずに行けるホール = アクトシティ浜松 = コンクール会場』である。 東海道新幹線 & 東海道本線 & 東名高速 が通っている「日本の動脈」であるので、「東京~福岡」圏内の人ならば、『日帰り』でさえ、聴きに行くことは可能。自分の耳で直接聴いたならば、「実際に聴いた。こう感じる!」と言えるだろう。

  5. もし「好きになったピアニスト」がいたら、演奏会に行き、CDを購入しよう!

  6.   あなたの感性と審査員の判断が食い違うことは多い。そのような時に「審査員の耳が狂っている」などと、あちらこちらのブログのコメント欄やトラックバック欄に書き込むのは、止めよう。 あなたの感性は間違っていない。 ただ「審査員の総意とは違っていただけ」である。 これは皮肉でも何でもない。 昔々、『ポゴレリチがショパンコンクール2次予選で落選』事件でも明らかなのである。
     私高本も高く評価するポゴレリチをあなたが好きならば、「演奏会を聴く&CDを購入する』が、そのピアニストを応援することになる。勿論DVDならば、もっと良い! 「最終的に1人を1位に選ぶ目的」のコンクールは、いろいろな思惑であちこちに結果が揺れる。 揺れたことを批判するより、応援したピアニストを徹底応援してほしい。


 私高本は、「Web中継を見るだけ」の聴衆の1人であり、ナマの音はわからない。さらに言えば、特段録音もしないので、「聴き落としたらば、それはそれでやむなし」の方法で、できる限り『速い情報』を皆様にお届けしたい。
 「コンクールWeb中継」の1つの規範になるかも知れないし、ならないかも知れない。
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読売日本交響楽団第83回芸劇マチネー批評(No.1411)

2006-11-05 13:33:47 | 批評
昨日はピアノ協奏曲を聴きに行ったのだが、交響曲が圧倒的な出来で、協奏曲は前座だった、、、

読売日本交響楽団第83回芸劇マチネーシリーズ デ・ワールト指揮 読売日本交響楽団 批評


 デ・ワールト 指揮 の演奏会だったが、冒頭とトリに置かれた ブラームス があまりにも素晴らしい出来だった!

  1. 主題毎の性格付けが 極めて説得力高い上に
  2. 主題の「確保」「展開」などでの表情の移ろいの細やかさが抜群!
  3. 読響の弦楽器の音色の統一感 +
  4. 管楽器の制御された 絶妙のバランス

などが全てに対してプラスに出た演奏会。 演奏頻度も高く、ブラームス交響曲中でも人気ある 第2番 だが、「ブラヴォーの嵐」なることは滅多に無い
(曲想が原因だろう)のだが、この日の デ・ワールト + 読響 には、「ブラヴォーの嵐」が吹いた! オケの「基本中の基本レパートリー」で、これだけの名演を聴かせてくれたことに 感謝するばかりである。


 ブラームス交響曲はとても「良く出来た」曲群であり、
  • うまいオーケストラが演奏した時に素晴らしい感動が来るが
  • ヘタなオーケストラが演奏しても「潰れにくい」

特徴がある。この点でブラームスに肩を並べるのは、チャイコフスキーくらいかも知れない。
 在京オケの全てが「手に垢が付く」ほど、弾きまくっている曲なので、名演に出会うのは意外に少ない。 『ちょっとヘタすれば、簡単に演奏が壊れる』ブルックナー や マーラー の方が名演頻度は圧倒的に高いと感じる。

 さて デ・ワールトの指揮は隅から隅まで素晴らしい。1ヶ所だけ特に「おぉ!」と思ったところだけ詳述しよう。
 交響曲第2番第3楽章終了後、アタッカですぐ第4楽章に進行! 第3楽章複縦線にフェルマータが付いていないので、これは極めて妥当な解釈。第3楽章終了時の「p」と第4楽章開始時の「p」を、精密に聴感上音量を合わせて演奏し、「そ~っと、秘密裏に楽章に進入」した感じを与え、第1主題確保の練習番号「A」(23小節)の「f」で演説調にも、ヒステリックにもならずに「マエストーソ」な味わいを出した。「p → pp → デクレッシェンド」での消え入るフレーズは息を呑む美しさだった!!

 シューマン ピアノ協奏曲 は、今売り出し中の ル・サージュ のピアノ。
  • 音が小さく
  • 世界最速を目指すかのような早いテンポ設定

で「ロマンティックな感触」が全く感じられなかった。オケも編成を小さくした上、音量を絞っていたが、何か「小ホールで ダヴィッド同盟舞曲集の終曲を聴いている音量」のような感じであり違和感が私高本にはあまりも多く興醒め。これだけがこの演奏会の不満である。
 デ・ワールト + 読響 は是非是非また聴いてみたい顔合わせである。
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作曲家論 : グルダ第2回(No.1410)

2006-11-04 06:18:55 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
冒頭にお断りしておくが、ピアニスト論でなく、作曲家論である。

ウィーンの伝統通りの「型破り作曲家」 = グルダ


 後世から見ると「伝統を墨守」しているかのように見える『ウィーンの作曲家』たち。しかし、よ~く見て見よう。

  1. ハイドン(1732-1809)

  2.  「交響曲」「弦楽四重奏曲」「ピアノソナタ」の分野で、確固たる「楽章構成」「楽章内形式」をほぼ1人で作り上げた改革者。

  3. モーツァルト(1756-1791)

  4.  「フリーの作曲家」を目指して成功した史上初の作曲家。「ドイツ語でオペラ」に成功した世界初の作曲家。

  5. ベートーヴェン(1770-1827)

  6.  器楽曲の「規模の拡大」と「1曲毎の個性付け」に成功した作曲家。「傑作の森」= 作品53以降の中期 は、特に拡大と個性付けに成功している

  7. シューベルト(1797-1828)

  8.  「連作歌曲」と「循環形式器楽曲」の成功作を世に送り出した世界初の作曲家。また「規模の拡大」にもベートーヴェン以上に成功している。『演奏しない作曲だけの作曲家』としても史上初だろう。

  9. ブルックナー(1824-1896)

  10.  「交響曲」1点に絞り、「規模の拡大」に成功した作曲家。第2番以降の交響曲が全て1時間を超す規模であり、第8番はCD1枚に収まらないことも多いほどの長さ。

  11. ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)

  12.  「ウィンナ・オペレッタ」の創始者! 「こうもり」のおかげでどれだけ多くのウィーン人が生きて来たことか!!

  13. ブラームス(1833-1897)

  14.  この人だけは「伝統の良き後継者」でありながら、「世界的な作曲家」と評価された「唯一のウィーン作曲家」かも知れない。

  15. ヴォルフ(1860-1903)

  16.  歌曲の奇才。 その余りにエグい表現は、当時ほとんど受け入れられなかった、と言う。

  17. マーラー(1860-1911)

  18.  ブルックナー路線をさらに拡大した「交響曲の規模の拡大」を徹底追求した作曲家。交響曲第8番「千人」は、舞台上に出演者が並び切れないほど! 生前は「オペラハウス指揮者」としての評価が高かった。

  19. シェーンベルク(1874-1951)

  20.  「12音技法」創始者。「ゲンダイオンガク」を作り出した才能は敵味方ともに評価する。

  21. フリッツ・クライスラー(1875-1962)

  22.  「ウィーン的ヴァイオリン小品」 = クライスラー作品 と言って良いほどの「ヴァイオリン小品作曲家」! 生前は、ヴァイオリン奏者としての評価の方が高かった。

  23. ベルク(1885-1935)

  24.  「12音技法」を用いながら、2つのオペラ(「ヴォツェック」「ルル」)を作曲すると言う離れ業を世界初に行う。

「ウィーンの大作曲家」と言えば、大体このようなところだろう。J.シュトラウス1世 とか、ジーツィンスキー とかまだまだいることはいるのだが。

 グルダ に戻ろう。「クラシックピアニスト = グルダ」としての録音は、その全てが「出す度に絶賛」されて来た。ところが「作曲家 = グルダ」としての演奏会 & 録音 は、常に「出す度に罵倒」されて来た、と言って良い。グルダが自伝「グルダの真実」で語っているくらいである。
 初期のグルダ(amadeo ベートーヴェンソナタ全集発売以前)自身が「ジャズ」と称している音楽は、相当数の録音が残っているのだが、どれを聴いても(グルダ自身の言葉には反して)大したことはない。

パオラ・レーヴ との離婚が ベートーヴェンソナタ全集(1967)を産んだ


とは、グルダ自身の言葉だが

脇山祐子 との結婚が「作曲家グルダ」を開眼させた


である。 尚、 Yuko Gulda ホームページ も充実したホームページなのでご覧下さい。日本語で掲載されているので、私高本もきちんと読めるホームページです。

 後期のグルダが「CD化して後世に残さなくてはならない」と思った作品は、「メヌエット」1曲を除き、「祐子との結婚~リコのために」時代である。

  1. アリア

  2.  1970.02 録音1973?LP → 1973出版

  3. プレイ ピアノ プレイ(祐子に捧げる10の練習曲)

  4.  1970クリスマスの Yuko に献呈 → 1971出版(Yukoのため明記) → 1972録音1973LP

  5. 前奏曲とフーガ

  6.  1971.02.26録音1973LP → 1971出版

  7. 序奏とダンス(序奏とスケルツォ)

  8.  1972出版 → 1978録音1979LP

  9. パウルのために

  10.  1974出版 → 1977-1978録音1978LP

  11. リコのために

  12.  1977-1978録音1978LP(クラヴィコード)→ 1990.11.26録音1992CD(ピアノ) → 2000出版

    次の作品だけは「グルダの人生」の方の詳細が、私高本はわからないが、「祐子&リコ」とは別の場所に心が移った後の作品である。

  13. メヌエット

  14.  1980原曲「チェロ協奏曲」作曲 1981録音LP → すぐに「貸出用スコア」作成 → 1983 クラヴィコードソロ用編曲録音 → 1990 ピアノソロ用編曲録音(この曲のみピアノソロ版で未出版)


 グルダの主要作品について、まとめた文章は私高本は見たことがない。出版と録音の年月はわかる限り記載したが、もっと早いモノがあるかも知れない。ご存知の方はお教え頂きたい。「作曲の下限」は明示されていると思う。

 作曲家=グルダ は、徹頭徹尾「ピアノの人」だった。他の楽器のために作曲した曲も、結局「作曲家ピアノ編曲版」が最高だった。歌を歌ったり(ゴロウィンと言う変名も持っていて、ジャケット写真まで撮った!)リコーダーを吹いたり、クラヴィコード弾いたりもしたが、最後の最後は 1986~1991に3種類のCDを作って『音として記録』させた。 残念なことに この内2種類は廃盤。1種類は 世界規格廃盤で国内盤のみ現役。 Piano Music Japan 10月24日号 で紹介しているから、興味ある人は読んで下さい。

 「序奏とダンス」(← 単独曲ではグルダの最高傑作と思う)は少なくとも3回録音されているのだが、全部廃盤。(内1回は悪名高い「パラダイスバンド」が演奏しているので、スグ廃盤になるかな? と思って新発売時に購入したら、思った通りスグに廃盤になった)
 「プレイ ピアノ プレイ」(← これがグルダの最高傑作と思う)全曲も2回録音されているのだが、音質も演奏も優れている新盤が廃盤。あちゃ~!
 クライスラーも没後、最重視されていたのは、ベートーヴェンヴァイオリン協奏曲だったから、仕方ないのかも。『これがウィーン流儀』かも知れない。

グルダ = 作曲家として「クライスラー級」


 クライスラーはもちろん、「世界級作曲家」である。エルガーよりは上だと多くの人は思っているだろう。私高本も同じ認識である。
 グルダは作曲家として「世界級」であると同時に、「ピアニストとして世界最高峰の1人」であり、こちらは今もバカ売れ! グルダ作品は廃盤だらけ! 代わりに「ベートーヴェン:ピアノソナタ全曲」について『グルダ自身が生前認めた正規録音』全部を聴き比べて、『1曲毎のBest』を作る。
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作曲家論 : シューマン第14回(No.1409)

2006-11-03 18:51:27 | 作曲家・シューマン(1810-1856)

シューマンの「幻想曲」の秘密


シューマン自身が「最高傑作」と思っていたピアノ曲は、昨日書いたように

  1. 幻想曲 ハ長調 作品17(リストに献呈)

  2. 幻想曲 または クライスレリアーナ 作品16(ショパンに献呈)


である。この2曲は『幻想曲』と名付けられており、作品番号も隣り合わせで共通点が多い。共通点を挙げてみよう。

  1. 終楽章が「穏やかな軽やかな」主題で開始され、
  2. 全曲が「ささやくように、ゆっくり閉じられる」
  3. 全曲演奏時間が 30分程度の多楽章構成であるにも関わらず
  4. 全曲構成が「シューマン以前のソナタ」に慣れ親しんだ人にはわかり難い = 斬新

である。
 「30分程度のピアノソロ曲」と言えば、既にモーツァルトから存在する。「繰り返し」をモーツァルトの指示通りに実行すれば、相当に時間的には長い!
 モーツァルト → ベートーヴェン → シューベルト のウィーン派3名は、30分程度ピアノソロ曲の伝統を「ソナタ」として脈々と受け継いで来たのである。
 「ソナタ」以外では、「変奏曲」も時間的に長い曲がある。シューマン以前だと

  1. バッハ:「ゴルトベルク変奏曲」BWV988

  2. ベートーヴェン:「ディアベリ変奏曲」作品120


の2曲が存在していた。シューマンは少なくとも、ベートーヴェン:「ディアベリ変奏曲」は知っており、

対抗作品として「交響的練習曲」作品13 を作曲


したと考えられる。他にも大規模変奏曲を構想した後はあるのだが、どうやら

多楽章形式楽曲 > 変奏曲 と結論付けた


ようである。シューマン自身は「交響的練習曲」を最高傑作扱いした形跡が無い。さらに付け加えれば、「交響的練習曲」は
  • 通常の変奏曲の間に
  • 2曲の「主題と無関連」の練習曲が2曲挿入された上
  • 終曲は「全く異なる主題」で開始される「ソナタの終楽章」に相当する曲

である。これは、改訂版でも「基本設計」を変えて、2曲の練習曲をハズしたが、それでも終曲の問題は残ってしまった。

もう1度、2曲の「幻想曲」に戻ってみよう。シューマンが特に工夫を凝らした終曲について、以前に作曲した「多楽章ピアノ曲」とともにまとめて見る。わかり易いように 作曲順に並べてみた のでご覧頂きたい。

  1. 交響的練習曲 作品13(1834/09-1835/01以降) → 速いテンポ f 開始 ff 終了

  2. ピアノソナタ第1番 作品11(1835) → 速いテンポで ff 開始 ff 終了

  3. ピアノソナタ第2番 作品22(1835)初稿 → とても速いテンポで pp 開始 ff 終了

  4. 謝肉祭 作品9(1835) → 中庸テンポ ff 開始、速いテンポ ff 終了

  5. ピアノソナタ第3番 作品14(1836) → やたら速いテンポで p 開始 ff 終了

  6. ダヴィッド同盟舞曲集 作品6(1837) → 中庸のテンポ pp 開始pp 終了。但し 1頁 59小節しか無い

  7. 幻想小曲集 作品12(1838) → 中庸のテンポ f 開始 pp 終了

  8. 子供の情景 作品15(1838) → 中庸のテンポ p 開始 pp 終了


  9. 幻想曲 または クライスレリアーナ 作品16(1838) → 「速く遊ぶように」の速度指示だが、中庸テンポ pp 開始 ppp 終了

  10. 幻想曲 作品17(1839) → 遅いテンポ 強弱記号無し 開始 p 終了



 見れば「一目瞭然」でしょ!

シューマンは 1836 → 1837 に「幻想曲」理想に燃えた作曲家!


である。 シューマンの「幻想曲」は終楽章に秘密があり、最後の最後で「意外感」を聴き手に与えてくれる! 理想の実現までに 1年少々有したが。

・・・で、「シューマン改訂問題」についての結論を出そう。


  1. R.シューマンは
  2. 1836年以前作曲の作品について
  3. 「終楽章 または 終楽章 の直前の楽章」 と 「曲の全体構成バランス」について、極めて懐疑的になり
  4. 改訂を重ね
  5. 「作品全体像」を後世の人たちに見極め難くした

である。このことは Gregorio NARDI  と言う 1964年産まれのイタリア人ピアニストのCDを 偶然に タワーレコード で購入し、聴き、いろいろと自問自答して、やっと気付いたことである。 近い内に Gregorio NARDI についても書きたい。(素晴らしいピアニストである!)
 私高本のシューマン理解は

  1. Gregorio NARDI
  2. 岡原慎也

のおかげが 100% である。
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作曲家論 : シューマン第13回(No.1408)

2006-11-02 21:06:23 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
昨日(2006.11.01)の朝日新聞夕刊(東京文化2版P16)に

吉田秀和 「音楽展望」 久しぶりに掲載!


された。文化勲章が決定して、体の状態も良くなったことだろう! 本当にうれしい!! 「今後は、季節毎に年4回のペースで掲載予定」とのこと。期待しています!!!
 尚、吉田秀和 文化勲章受賞! を読んで、思わず「デビュー作 = 翻訳の シューマン著『音楽と音楽家』」全編を読み直しました。文庫版(=新版)で。私高本の感性とは、ほぼ 180度 違う感性で綴られています(特に『ドイツ音楽が音楽の中心』という思想)が、

  1. 名文であると同時に
  2. 音楽評論として「筋が通っている」

文章でした。 これが、今回の「文化勲章」受賞にも大いにプラスに働いたと感じます。「音楽評論家の大先輩 & 第1人者」として、これからもご活躍してほしいと心から祈っております。
 もちろん、1遍づつの音楽評論については「乗り越えなければならない先達の高い高い評論」として、乗り越えるように批評して行きます。 もちろん、吉田秀和が「シューマンの批評」を大いに越えたこと評価され、今回の受賞に繋がったことは、本当にうれしい限りです。
 吉田秀和が 120才まで 「音楽評論家現役」で頑張ってくれることを心より願っております。
--------

シューマンの理想


 吉田秀和の「音楽評論家デビュー」は(今から見ると信じられないことだが)
  • 吉田秀和自身の批評ではなく
  • R.シューマンの「音楽と音楽家」翻訳

であった。 吉田の感性がシューマンに近いことは本当に手に取るように感じられる文章。若き日のアホなだけの私高本も、深く感銘を受けたことを憶えている。ビブン調の文章が読み難かったのは、文庫版の前の「装丁凝った単行本」で最初に読んだからと思う。『出会い』は大切とつくづく感じる次第である。

 ・・・で、『シューマンの理想』について、はっきり感じ取れたと思う。ピアノ曲については

  1. 幻想曲 ハ長調 作品17(リストに献呈)

  2. 幻想曲 または クライスレリアーナ 作品16(ショパンに献呈)


の2曲である。 他の曲は「シューマン自身の感性では、この2曲には達しなかった」ことがはっきりわかる。
 シューマンは「心広い音楽評論家」である。『生きている作曲家』にも

  1. リスト

  2. ショパン


は、はっきり「別格」に高く評価していた。他には、ベルリオーズと、メンデルスゾーンを評価していたことは絶対に記憶しておいてほしい。

理解できる範囲の作曲家については分け隔てなく高評価!


 これがシューマンの基本である。ちなみに「理解できなかった生きている大作曲家」も少なからずいて

  1. ロッシーニ

  2. ヴェルディ

  3. ワーグナー


は、何も理解できなかったことが判明している。作風と照合すると、誰もが納得行くのでは無いだろうか?

 シューマン自身は自作の目標を「幻想曲 ハ長調 作品17」と「幻想曲 または クライスレリアーナ 作品16」に置いていたとすると、作品12~14 & 作品22 は「未熟な作品」に感じられただろう。この点については、必ず明日号で記述する。

 『岡原慎也のシューマン論』を読んで、「シューマンの開眼」したように感じる。岡原慎也に感謝するばかりである。

岡原慎也のシューマン演奏会


はいつなのだろうか?
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作曲家論 : シューマン第12回(No.1407)

2006-11-01 22:33:19 | 作曲家・シューマン(1810-1856)
お待たせしました、「シューマンファン」の皆様。私高本の頭が悪く、「シューマンのピアノ音楽の全体像」が掴めていなかったように思います。もしかすると、「今現在もパー」かも知れませんが。
--------

彷徨うシューマン


「シューマンの音楽」を追求すると、行き止まる地点があると思う。私高本自身の感触であるが。

  1. 構成上の「確信」が持てない
  2. なぜこのフレーズがここにあるのか?

などなど。シューマンが「直接の手本にした シューベルト & ベートーヴェン」に比べても、あまりにも多い。また、「シューマンを手本にした」と通常考えられる

  1. グリーグ
  2. ブラームス
  3. ドヴォルジャーク

に比べても多い。なぜか?

シューマン自身が「自己の作品に確信持てない」が原因


と思う。 作品番号で 12~14 の3作品 + 作品22 では、この影響が最大。作品14 が最も混乱が大きいが、作品12も作品13も作品22も大きな影響を受けている。
 シューマンの場合、「主題自体の素性問題」は大した影響は無い。 以前に付き合っていた女性の父親(= アマチュア チェロ奏者)の作曲した主題」でも名作が構築できるのだから。
 それでも「迷い」自体は減少しなかった様子である。 この続きは明日号に掲載する。必ず掲載するので、興味ある方は読んで下さい。
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