昨日知ったのだが、
私高本が「クラシック音楽」に没頭する人生を歩んだきっかけになった人の1人であり、知り合った当時はまだ女性に年令を訊く習慣は無かった(今は平然と訊く)ので、正確な年令は知らないが、おそらく私高本よりも4学年上のように記憶しているので、享年54~55才だと思う。日本のオペラ界がどれほど恩恵を受けていたことだろう!! 信じられない!!!
初期私高本に影響を与えてくれた皆様には本当に感謝している。毎日が授業であり、新鮮な魚介類を大量に食べさせて頂いたに等しい。
相庭尚子さんは、当時私高本が所属していた「東響コーラス」のピアニストとして出会った。4才しか上のハズなのに、(当時私高本が知っていた4才上の人たちよりも遙かに)人生経験も音楽経験も豊かで、『タングルウッド音楽祭』のことなどを、行ったことも無い私たち合唱団員にそれは「目の前で音楽が繰り広げられる」ように語ってくれた。相庭尚子さんはすさまじいヘビースモーカー&ヘビードリンカーであったことが印象的。(私高本はその後、岡原慎也以外のスモーカーとは、体調が悪化したために、全く付き合えなくなったので、咳き込みながら呑んでいた短い期間のことである。)酒の好みは、私高本には「ウォッカが好き」と言っており、何と「お薦めのウォッカ」を1本頂いた!
「ストレートで一気に呑むのが通!」と教わったので、当時の妻とその通り実行したら私高本はいきなり咽せてしまったことも懐かしい。
相庭尚子さんの死因は転移癌とのこと。癌は(大人の癌であれば)発症 → 死に至る は15年以上掛かる、が最近の定説。知り合った当時の生活を40才くらいまで続けていたのだろうか?
相庭尚子さんの「音楽観」は、私高本はとても影響受けた。
小澤征爾からの信頼がとても厚く、いろんな裏話を教えてもらったが、その面白い話題よりも私高本が身に付けたことが「作曲家の意図通りの音楽再現」だと思う。ウォッカは折角頂いたのに、ストレートに呑むことは一生できなかったが、音楽精神の方は受け継いだ、と勝手に思っている。
相庭尚子さんは、「日本のコレペティトュアー」を代表する人であった。基本的に裏方の仕事人なのだが、とてつもない偉業も成し遂げた。
である。
音楽之友社が元気な頃で、「後宮からの逃走」以降の超人気オペラ6本を 相庭尚子さんが担当した。指揮は河地良智だった。「魔笛」のパパゲーノのアリアのところで、左手でピアノ(ベーゼンドルファーインペリアル)を弾きながら、右手で「ヤマハの電子鍵盤」を弾くと言う神業を繰り出して、聴衆からも評論家からも絶賛されていたのが昨日のことのようだ!!!
相庭尚子さんの功績は、仕事に携わった人が伝えて行くことだろう。「職人気質の人」だった。「音楽の本質」に対しては、合唱団員にも全く遠慮せずにツッ込んだ意見を教えてくれた。こんな人は今いるのだろうか? 相庭尚子さんと出会っていなければ、岡原慎也とも、川上敦子とも、佐伯周子とも出会っていないかも知れない!!!
最後に会ったのは、1999年に府中で行われた「ショパン展」会場だった。その時は、2年前に 新国立劇場オープニングオペラ團伊玖磨「建(Takeru)」の裏話をそれは面白おかしく教えて頂いた。まだ團伊玖磨も健在でピンピンしていた頃だ。「建」が長すぎて、京王線の終電に間に合わなくなる可能性! なんて、言われて團は泣く泣くカットした、と聞いて唖然。あれでも「長い! 長過ぎる!」が聴衆の大半の合意だったから(爆
11年間も会っていなかったのか。 今も成城学園駅前辺りでまた会うような気がしてならない。(何回か改装前の駅北口で会って会釈した)ご冥福を祈ります。
私事だが、私高本も明日死んでも医師は誰も不審には思わないだろう。
実は、8月後半~9月4日に「大阪でドイツリート講習会」を聴講して、9月5日に帰宅した。15日も「自宅から離れる」は30年ぶりのこと(← 当時20才だった)なので、懸念していたのだが、「悪い予感」が当たってしまった。実は「バカな父親」が交通事故で遭って、3ヶ月入院(← 即死していても全く不思議の無い事故でした!)後に「退院したい! 退院したい!!」とうるさいので、帰京後翌日に「父親自宅の改修 → 退院 → 大丈夫かの確認 → 帰宅」 で疲れ果てたらしい。まあ、51才だからしゃーないか(爆
9月7日朝、目覚めると
だった。あ~ぁ、これはつらい。無理したんだな > 体(泣
2ヶ月の養生でどちらも「症状はゼロになった」が根本的には
ので、明日死んでも不思議はない。相庭尚子さんから教わった「音楽の神髄」を佐伯周子を初めとする1人でも多くの若い人に伝えて行かなければいけない。猶予時間はどれだけのあるのだろうか? 「短命の家系」に生まれているができることならば、「男の平均寿命=79才」までは健康に生き延びたい。28年あれば、「ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」も完了できるだろう!!!
偉大な日本のコレペティトュアーピアニスト = 相庭尚子 が10月26日に死亡していた
私高本が「クラシック音楽」に没頭する人生を歩んだきっかけになった人の1人であり、知り合った当時はまだ女性に年令を訊く習慣は無かった(今は平然と訊く)ので、正確な年令は知らないが、おそらく私高本よりも4学年上のように記憶しているので、享年54~55才だと思う。日本のオペラ界がどれほど恩恵を受けていたことだろう!! 信じられない!!!
初期私高本に影響を与えてくれた皆様には本当に感謝している。毎日が授業であり、新鮮な魚介類を大量に食べさせて頂いたに等しい。
相庭尚子さんは、当時私高本が所属していた「東響コーラス」のピアニストとして出会った。4才しか上のハズなのに、(当時私高本が知っていた4才上の人たちよりも遙かに)人生経験も音楽経験も豊かで、『タングルウッド音楽祭』のことなどを、行ったことも無い私たち合唱団員にそれは「目の前で音楽が繰り広げられる」ように語ってくれた。相庭尚子さんはすさまじいヘビースモーカー&ヘビードリンカーであったことが印象的。(私高本はその後、岡原慎也以外のスモーカーとは、体調が悪化したために、全く付き合えなくなったので、咳き込みながら呑んでいた短い期間のことである。)酒の好みは、私高本には「ウォッカが好き」と言っており、何と「お薦めのウォッカ」を1本頂いた!
「ストレートで一気に呑むのが通!」と教わったので、当時の妻とその通り実行したら私高本はいきなり咽せてしまったことも懐かしい。
相庭尚子さんの死因は転移癌とのこと。癌は(大人の癌であれば)発症 → 死に至る は15年以上掛かる、が最近の定説。知り合った当時の生活を40才くらいまで続けていたのだろうか?
相庭尚子さんの「音楽観」は、私高本はとても影響受けた。
「作曲家の意図通りの音楽を再現する」のがクラシック音楽の最も重要なこと
小澤征爾からの信頼がとても厚く、いろんな裏話を教えてもらったが、その面白い話題よりも私高本が身に付けたことが「作曲家の意図通りの音楽再現」だと思う。ウォッカは折角頂いたのに、ストレートに呑むことは一生できなかったが、音楽精神の方は受け継いだ、と勝手に思っている。
相庭尚子さんは、「日本のコレペティトュアー」を代表する人であった。基本的に裏方の仕事人なのだが、とてつもない偉業も成し遂げた。
1991年開始の「音楽の友ホール・東京」での モーツァルト「オペラ完全全曲演奏会」で主要5+オペラを小アンサンブルでピアノ+α で演奏した
である。
音楽之友社が元気な頃で、「後宮からの逃走」以降の超人気オペラ6本を 相庭尚子さんが担当した。指揮は河地良智だった。「魔笛」のパパゲーノのアリアのところで、左手でピアノ(ベーゼンドルファーインペリアル)を弾きながら、右手で「ヤマハの電子鍵盤」を弾くと言う神業を繰り出して、聴衆からも評論家からも絶賛されていたのが昨日のことのようだ!!!
相庭尚子さんの功績は、仕事に携わった人が伝えて行くことだろう。「職人気質の人」だった。「音楽の本質」に対しては、合唱団員にも全く遠慮せずにツッ込んだ意見を教えてくれた。こんな人は今いるのだろうか? 相庭尚子さんと出会っていなければ、岡原慎也とも、川上敦子とも、佐伯周子とも出会っていないかも知れない!!!
最後に会ったのは、1999年に府中で行われた「ショパン展」会場だった。その時は、2年前に 新国立劇場オープニングオペラ團伊玖磨「建(Takeru)」の裏話をそれは面白おかしく教えて頂いた。まだ團伊玖磨も健在でピンピンしていた頃だ。「建」が長すぎて、京王線の終電に間に合わなくなる可能性! なんて、言われて團は泣く泣くカットした、と聞いて唖然。あれでも「長い! 長過ぎる!」が聴衆の大半の合意だったから(爆
11年間も会っていなかったのか。 今も成城学園駅前辺りでまた会うような気がしてならない。(何回か改装前の駅北口で会って会釈した)ご冥福を祈ります。
私事だが、私高本も明日死んでも医師は誰も不審には思わないだろう。
実は、8月後半~9月4日に「大阪でドイツリート講習会」を聴講して、9月5日に帰宅した。15日も「自宅から離れる」は30年ぶりのこと(← 当時20才だった)なので、懸念していたのだが、「悪い予感」が当たってしまった。実は「バカな父親」が交通事故で遭って、3ヶ月入院(← 即死していても全く不思議の無い事故でした!)後に「退院したい! 退院したい!!」とうるさいので、帰京後翌日に「父親自宅の改修 → 退院 → 大丈夫かの確認 → 帰宅」 で疲れ果てたらしい。まあ、51才だからしゃーないか(爆
9月7日朝、目覚めると
- 左手人差し指中心の麻痺再発
- 左足親指中心の痛み開始
だった。あ~ぁ、これはつらい。無理したんだな > 体(泣
2ヶ月の養生でどちらも「症状はゼロになった」が根本的には
私高本は血管に「欠陥」がある
ので、明日死んでも不思議はない。相庭尚子さんから教わった「音楽の神髄」を佐伯周子を初めとする1人でも多くの若い人に伝えて行かなければいけない。猶予時間はどれだけのあるのだろうか? 「短命の家系」に生まれているができることならば、「男の平均寿命=79才」までは健康に生き延びたい。28年あれば、「ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会」も完了できるだろう!!!