12月4日(日)の2日目を佐伯周子と聴いた。素晴らしい演奏だった。
月日が経つのは早いもので、名指揮者デュトワが「N響常任指揮者」に就任してちょうど15周年となった。就任最初の演奏会は1996年12月6日。1ヶ月に4種類の演奏会を各2日づつ演奏し、自らの就任披露とした。中には「別れた元妻 = アルゲリッチ」とのショパンの協奏曲第1番もあり、カーテンコール時につつかれながら出入りしていたのも微笑ましい思い出の1つである。
それから、デュトワとN響の関係も結構波風があった時期もある。おそらく「モントリオール響時代のようにラヴェルやドビュッシーを振りまくって欲しい」とN響サイドが希望していたにも関わらず、プロコフィエフを中心としたロシア物中心のプログラムにN響が反発したのだろう、常任指揮者 → 音楽監督 と昇格した後は、ギスギスした感じになり、「常任指揮者時代」の息の合った演奏が極めて少なくなってしまって残念だった。デュトワ音楽監督退任と同時にアシュケナージが常任指揮者就任となった。「モーツァルト弾き振り」を期待しての就任だと推測するが1度も(モーツァルトに限らず)弾き振りせず、退任と相成った(爆
「オーケストラのトップ指揮者の地位」は難しいポジションであり、N響は「デュトワ常任指揮者就任」当時は、東京のトップオケであったのだが、いつの間にか企画も「ルーチンワーク主体」に見える上、演奏面でも1番トランペットが(津堅退任後は)在京オケで最底辺になってしまった(泣
「N響でマーラー交響曲第5番」は私高本は怖くて怖くて聴けない(爆涙
N響が久方振りに「目を惹く企画」として提供したのが「デュトワ指揮 : マーラー 千人」である。デュトワがこれまで共演して来た「世界クラス6名のオペラ歌手」に日本オペラ界期待のバリトン = 青山貴 が共演する「夢の企画」だった。
・・・のだが、東電が放射能垂れ流し、日本政府が情報隠しするのを嫌って「来日しないソリストが2名」早い時期に発表された。デュトワ は歯を食いしばって「来日してくれる世界クラスの2名のオペラ歌手」を手当してくれた。「これで練習初日を無事迎え入れられる」ハズだった。おそらく練習開始直前だろう、「第2ソプラノ」が来日中止通告。「世界クラスのオペラ歌手」は「デュトワとの共演」を皆熱望していることだろうが、契約が詰まっている上、就労ビザ発行も間に合わないタイミング!
される。気の弱い指揮者ならば「鬱病」に罹るほどのショックを、デュトワ自身が受けたことは想像に難くない。
私高本は「前日に吠える」で「ハイCが出せるスーブレットソプラノとして 中嶋彰子 起用だろう」と書いた。はっきり「間違い」だった。デュトワの読みは「遥か先」を見据えていた。
中嶋彰子は辞退した、と推測できる。
からだ。デュトワもあらかじめ分かった上での指名だった。大胆な戦略が秘められていた。
と。
デュトワ指揮N響「千人」2回の演奏会を聴き終えた後で、マーラー「千人」のスコアを読み直す。この演奏会を聴かなかったならば、永遠に理解出来なかった「千人の秘密」を理解できた。
である。「1回の演奏会のために声を潰す恐怖」から 中嶋彰子 を開放し、「水を得た魚」の声域だけで存分に力を発揮してもらう。「マーラー:千人」がこれで成り立つ!!!
これほど「深く」マーラーを研究している指揮者は、私高本は バーンスタイン と テンシュテット しか思い浮かばない。
バーンスタイン は、全交響曲 と 全管弦楽伴奏歌曲 を指揮した上、「若き日の歌(これだけなぜか抜粋で3曲抜けている!)」「さすらう若人の歌」「子供の不思議な角笛から」「リュッケルト歌曲集」をピアノで弾いている。
テンシュテット は、「合唱団は絶対にアマチュアのロンドン・フィル合唱団のみ使用」を義務付けられながら、マーラー交響曲全曲を名演で揃えた名手。ドイツ語ディクション が「東ドイツ育ちのテンシュテット」には耐えられたか? 耐えられなかったか? は不明だが、「耳当たりが良いモノでは無い」合唱団と、ロンドン・フィル音楽監督就任以降は「他オーケストラ共演時もロンドン・フィル合唱団と共演以外は(最小で)録音&放送絶対禁止」の必須条件だったようだ。テンシュテットだったら、今回の「東京混声合唱団を名乗るアマチュア合唱団」は狂喜して振ったことだろう(爆
万難を排して「マーラー : 千人」を実現した「デュトワ + N響」に深く感謝すると共に、出演者皆様にも感謝する次第である。2日目を聴いた 佐伯周子 は、「子供の不思議な角笛から」に熱中しており、少々加熱気味(爆
今号までに掲載した「私高本発言」は全部責任取るよ。「合唱のアルト外してソプラノに歌わせた発言の大誤報」も含めて(爆
耳あるんかいな? と思ったことだろう > 初日聴いた「耳ある人」は(爆
「声が軽く」て聴き間違えました。「マーラーのスコア通り」の演奏でした > 2日目に確認!
まず、N響に感謝する。2日目第1部コーダでひっくり返りまくった「第1トランペット」を除く全ての演奏者に感謝! 第1トランペットは、即引退して下さい。
第1部コーダは全部「落ちて」欲しかったです > 首席トランペットの関山
次に、「東京混声合唱団」と名乗るアマチュア合唱団の皆様に感謝。何人が歌っていたのかまでは全くわからないが
ことは特筆に値する。特に「第1部コーダ」で「中嶋彰子のハイCと同時のハイC」をきちんと出してくれたソプラノの皆様には深く深く感謝。あなたたちの「上行スケール」が轟いたおかげで音楽が成り立っていました!!!
そして、7名のソリスト(ソプラノ1&2,アルト1&2,テノール,バリトン,バス)に感謝。1日目と比べて、ソプラノ2 と バス が2日目に大巾改善されていたことは特記したい。ソプラノ2 = 中嶋彰子 は、2日目は「マーラーらしい息の長さ」は完全に捨てて、(ブレスを短めに取って)「B」まで自在に操っていたことが印象的。バスは「テンポは交響曲なのだからデュトワ指示通り」が腹に入ったらしく1日目とは別人のように切れが良くなった > 声量はやっぱり無かったが(爆
何と言っても「デュトワ の棒」が圧巻。これほど「マーラーのスコア」を「裏から」も含めて読める指揮者は、バーンスタイン と テンシュテット 以外に思い付かない。
をして欲しい。ホールはNHKホール。歌手はデュトワの指示通り。「東京混声合唱団」で構わない。テンシュテット指揮の「ロンドン・フィル合唱団」よりディクションが良いじゃないか!!!
初日と2日目の演奏について。
終演後は、両日共に「ブラヴォーの嵐」。素晴らしい演奏だったからなあ!
最後の最後に「印象に残る最後のシーン」について、是非是非1人でも多くの人に知って欲しいので、書き残す。
ウォールの「2人前以上の声量」が無ければ、「今回の デュトワ の戦略」は成立しなかった。中嶋彰子 は ウォール に敬意を表し、ウォールも(通常あり得ない)敬意を表してくれた 中嶋彰子 に、「共に戦い抜いた戦友としての敬意」を表した。今後は決して事前に組み合わされる可能性が無いキャスティングであるが、共に「あなたがいなければこのブラヴォーの嵐」は無かったことを知っていた。2人共代役とは思えない八面六臂の大活躍であった。
本日が「デュトワ N響常任指揮者就任15周年」であると同時に、「Piano Music Japan 創刊15周年記念日」でもある。12/4(日)に名演を聴いて「1950号記念に3日掛かりで総力戦!」と思ってこの号を書いていたのだが、「岡原慎也の室内楽告知」が間に合わないことが12/5(月)に判明。泣く泣く 1950記念号を譲った次第。私高本はやはり「猫頭」である(泣
バーンスタイン、テンシュテットに続く「マーラー指揮者」の可能性高い シャルル・デュトワ
N響常任指揮者就任15周年記念演奏会を「満場のブラヴォー」で迎え入れられたデュトワ
月日が経つのは早いもので、名指揮者デュトワが「N響常任指揮者」に就任してちょうど15周年となった。就任最初の演奏会は1996年12月6日。1ヶ月に4種類の演奏会を各2日づつ演奏し、自らの就任披露とした。中には「別れた元妻 = アルゲリッチ」とのショパンの協奏曲第1番もあり、カーテンコール時につつかれながら出入りしていたのも微笑ましい思い出の1つである。
それから、デュトワとN響の関係も結構波風があった時期もある。おそらく「モントリオール響時代のようにラヴェルやドビュッシーを振りまくって欲しい」とN響サイドが希望していたにも関わらず、プロコフィエフを中心としたロシア物中心のプログラムにN響が反発したのだろう、常任指揮者 → 音楽監督 と昇格した後は、ギスギスした感じになり、「常任指揮者時代」の息の合った演奏が極めて少なくなってしまって残念だった。デュトワ音楽監督退任と同時にアシュケナージが常任指揮者就任となった。「モーツァルト弾き振り」を期待しての就任だと推測するが1度も(モーツァルトに限らず)弾き振りせず、退任と相成った(爆
「オーケストラのトップ指揮者の地位」は難しいポジションであり、N響は「デュトワ常任指揮者就任」当時は、東京のトップオケであったのだが、いつの間にか企画も「ルーチンワーク主体」に見える上、演奏面でも1番トランペットが(津堅退任後は)在京オケで最底辺になってしまった(泣
「N響でマーラー交響曲第5番」は私高本は怖くて怖くて聴けない(爆涙
N響が久方振りに「目を惹く企画」として提供したのが「デュトワ指揮 : マーラー 千人」である。デュトワがこれまで共演して来た「世界クラス6名のオペラ歌手」に日本オペラ界期待のバリトン = 青山貴 が共演する「夢の企画」だった。
・・・のだが、東電が放射能垂れ流し、日本政府が情報隠しするのを嫌って「来日しないソリストが2名」早い時期に発表された。デュトワ は歯を食いしばって「来日してくれる世界クラスの2名のオペラ歌手」を手当してくれた。「これで練習初日を無事迎え入れられる」ハズだった。おそらく練習開始直前だろう、「第2ソプラノ」が来日中止通告。「世界クラスのオペラ歌手」は「デュトワとの共演」を皆熱望していることだろうが、契約が詰まっている上、就労ビザ発行も間に合わないタイミング!
ここ20数年の「東京の千人」を聴いた限り、日本人ソプラノで「デュトワのメガネに叶う実績」は皆無と推測
される。気の弱い指揮者ならば「鬱病」に罹るほどのショックを、デュトワ自身が受けたことは想像に難くない。
私高本は「前日に吠える」で「ハイCが出せるスーブレットソプラノとして 中嶋彰子 起用だろう」と書いた。はっきり「間違い」だった。デュトワの読みは「遥か先」を見据えていた。
「B」まで綺麗に出せる共演実績のある 中嶋彰子 指名
中嶋彰子は辞退した、と推測できる。
マーラーの音型で「フォルティシモの ハイC のお代わり攻め」は声を潰す!
からだ。デュトワもあらかじめ分かった上での指名だった。大胆な戦略が秘められていた。
中島さんは「ハイC」は全部省略して頂いて、「B」まで出して頂ければ充分です。「デュトワの千人」に中島彰子の声が絶対不可欠に必要なのです! 万難を排して受けて下さい!!
と。
デュトワ指揮N響「千人」2回の演奏会を聴き終えた後で、マーラー「千人」のスコアを読み直す。この演奏会を聴かなかったならば、永遠に理解出来なかった「千人の秘密」を理解できた。
「ソプラノ1」は単独で「ハイC」を何度も「フォルティシモでお代わり攻め」があるが
「ソプラノ2」は単独「ハイC」は第1部練習番号91と92の間に2回だけで他は全て「ソプラノ1」とのユニゾン
該当箇所は「カノン」で全声部を聴き取るのは指揮者以外はまず無理に限りなく近い
である。「1回の演奏会のために声を潰す恐怖」から 中嶋彰子 を開放し、「水を得た魚」の声域だけで存分に力を発揮してもらう。「マーラー:千人」がこれで成り立つ!!!
これほど「深く」マーラーを研究している指揮者は、私高本は バーンスタイン と テンシュテット しか思い浮かばない。
バーンスタイン は、全交響曲 と 全管弦楽伴奏歌曲 を指揮した上、「若き日の歌(これだけなぜか抜粋で3曲抜けている!)」「さすらう若人の歌」「子供の不思議な角笛から」「リュッケルト歌曲集」をピアノで弾いている。
テンシュテット は、「合唱団は絶対にアマチュアのロンドン・フィル合唱団のみ使用」を義務付けられながら、マーラー交響曲全曲を名演で揃えた名手。ドイツ語ディクション が「東ドイツ育ちのテンシュテット」には耐えられたか? 耐えられなかったか? は不明だが、「耳当たりが良いモノでは無い」合唱団と、ロンドン・フィル音楽監督就任以降は「他オーケストラ共演時もロンドン・フィル合唱団と共演以外は(最小で)録音&放送絶対禁止」の必須条件だったようだ。テンシュテットだったら、今回の「東京混声合唱団を名乗るアマチュア合唱団」は狂喜して振ったことだろう(爆
万難を排して「マーラー : 千人」を実現した「デュトワ + N響」に深く感謝すると共に、出演者皆様にも感謝する次第である。2日目を聴いた 佐伯周子 は、「子供の不思議な角笛から」に熱中しており、少々加熱気味(爆
今号までに掲載した「私高本発言」は全部責任取るよ。「合唱のアルト外してソプラノに歌わせた発言の大誤報」も含めて(爆
耳あるんかいな? と思ったことだろう > 初日聴いた「耳ある人」は(爆
「声が軽く」て聴き間違えました。「マーラーのスコア通り」の演奏でした > 2日目に確認!
まず、N響に感謝する。2日目第1部コーダでひっくり返りまくった「第1トランペット」を除く全ての演奏者に感謝! 第1トランペットは、即引退して下さい。
プロ奏者ならば「落ちても良い」が「音楽ブチ壊しは許されない!」ことは分かっているだろ > 関山!
第1部コーダは全部「落ちて」欲しかったです > 首席トランペットの関山
次に、「東京混声合唱団」と名乗るアマチュア合唱団の皆様に感謝。何人が歌っていたのかまでは全くわからないが
ソプラノもテノールも、「ハイC」のカマし をきちんと実声で カマしていた!
ことは特筆に値する。特に「第1部コーダ」で「中嶋彰子のハイCと同時のハイC」をきちんと出してくれたソプラノの皆様には深く深く感謝。あなたたちの「上行スケール」が轟いたおかげで音楽が成り立っていました!!!
そして、7名のソリスト(ソプラノ1&2,アルト1&2,テノール,バリトン,バス)に感謝。1日目と比べて、ソプラノ2 と バス が2日目に大巾改善されていたことは特記したい。ソプラノ2 = 中嶋彰子 は、2日目は「マーラーらしい息の長さ」は完全に捨てて、(ブレスを短めに取って)「B」まで自在に操っていたことが印象的。バスは「テンポは交響曲なのだからデュトワ指示通り」が腹に入ったらしく1日目とは別人のように切れが良くなった > 声量はやっぱり無かったが(爆
何と言っても「デュトワ の棒」が圧巻。これほど「マーラーのスコア」を「裏から」も含めて読める指揮者は、バーンスタイン と テンシュテット 以外に思い付かない。
N響はデュトワに「音楽監督復帰」 または 「芸術監督就任」を要請し、『マーラー交響曲&歌曲全曲』演奏&録音
をして欲しい。ホールはNHKホール。歌手はデュトワの指示通り。「東京混声合唱団」で構わない。テンシュテット指揮の「ロンドン・フィル合唱団」よりディクションが良いじゃないか!!!
初日と2日目の演奏について。
演奏全体像は2日目がはっきり上。細部が磨きが掛かった上、ソプラノ2 が「音程最優先」でブレスを多く取り「当てる唱法」に徹したことが大きい
第1部コーダは「1番トランペット=関山」が2日目はブチ壊したので、初日の方が遥かにマシ
終演後は、両日共に「ブラヴォーの嵐」。素晴らしい演奏だったからなあ!
最後の最後に「印象に残る最後のシーン」について、是非是非1人でも多くの人に知って欲しいので、書き残す。
2日目の「最後のカーテンコール」の時だけ、「ソプラノ1の エリン・ウォール」がトップで出た後に、誰も登場せず「ブラヴォーの嵐」となった。「ソプラノ2の 中嶋彰子」が エリン・ウォール 1人を出すために遅れて出たからだ。中嶋彰子 が出た後、2人は固く握手を交わした
ウォールの「2人前以上の声量」が無ければ、「今回の デュトワ の戦略」は成立しなかった。中嶋彰子 は ウォール に敬意を表し、ウォールも(通常あり得ない)敬意を表してくれた 中嶋彰子 に、「共に戦い抜いた戦友としての敬意」を表した。今後は決して事前に組み合わされる可能性が無いキャスティングであるが、共に「あなたがいなければこのブラヴォーの嵐」は無かったことを知っていた。2人共代役とは思えない八面六臂の大活躍であった。
本日が「デュトワ N響常任指揮者就任15周年」であると同時に、「Piano Music Japan 創刊15周年記念日」でもある。12/4(日)に名演を聴いて「1950号記念に3日掛かりで総力戦!」と思ってこの号を書いていたのだが、「岡原慎也の室内楽告知」が間に合わないことが12/5(月)に判明。泣く泣く 1950記念号を譲った次第。私高本はやはり「猫頭」である(泣