Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

岡田将「バッハ:パルティータ全6曲」演奏会2013.03.02批評(No.2231)

2013-03-08 22:38:19 | 批評

『ピアノによる管弦楽組曲 = バッハ:パルティータ』を音で聴かせた 岡田将!


  「バッハ」は私高本が好きな作曲家の1人である。器楽曲に偏ってはいるが、頻繁に聴く。(声楽曲は、シューベルトやマーラーのように身近に感じられない><)
  これまで、どれほどのバッハを聴いて来たことだろう。グールド(CBS正規録音バッハは全部聴いたし、モスクワとかザルツブルクも頻繁に聴く)、レオンハルト、ビルスマ、クイケン、リヒテル、ケンプ、グルダ、ウゴルスキー、シフ、鈴木雅明、鈴木秀美、大塚直哉、ポリーニ、、、
  「岡田将のバッハ」は、私高本がこれまで聴いて来たバッハ像とは、全く異なる世界を聴かせてくれ、感動を与えてくれた。これほど強い感動と衝撃をバッハで感じたのは、生まれて初めてである。「グールドのバッハ」を初めて聴いた時より、「感動が深い」ことを最初に明記しておく。岡田将 には感謝するばかりである。


  「明瞭な意図」を貫き通した『岡田将 の バッハ』であった。2段鍵盤チェンバロ風でも無ければ、1段鍵盤チェンバロ風でも、オルガン風でも、クラヴィコード風でもない。そして、「ピアニスティックな意味での」ピアノ風でもない。楽器ピアノは当初「ピアノフォルテ」と呼ばれた通り、ピアノとフォルテを瞬時に交替できることを(勝ち誇ったかのように)命名されており、ハイドン や モーツァルト が作曲開始した時から、効果抜群であった。だが、岡田将 は、「鍵盤楽器のために作曲された曲」のように演奏しない。

『管弦楽組曲 を1人で演奏するためのトランスクリプション』として、バッハ:パルティータ を捉え、聴衆に披露した!


  「バッハのオーケストラ」は(マーラー編曲版とは全く異なり)、ケーテンの宮廷音楽隊の規模、つまり「ブランデンブルク協奏曲」や「管弦楽組曲」の規模である。長い長い流れるフレーズは、ソロを受け持った奏者が 宮廷中の注目を浴びながら、それはそれは優雅に「技巧をひけらかす」。勿論、パガニーニ とは違い、気品が漂うものだ。

岡田将「バッハ:パルティータ全6曲」の演奏上の特徴



  1. 「音の粒」の揃え方が完璧。指遣いなどに一切左右されず、「強さ」だけでなく1つ1つの音符の「長さ」が揃っているのでアーティキュレーションが明確


  2. 「古楽器奏法」は取り入れない。小節の頭の拍でも「強く弾く」や「長くとる」は無い。「チェンバロ奏法」の模倣も全くしない


  3. 『舞曲』をあたかも目の前で踊っているか! のように弾く


  4. 「オーケストラの楽器」が演奏しているかのように演奏する。弾むリズム感の上に、クレッシェンドやデクレッシェンドは自然に掛かり、テンポの伸び縮みも自然な感触の中にも巾広い


  5. 「アーティキュレーションの統一」が徹底されている!


  6. 「対位法の扱い」が抜群にうまい! 5曲ある「ジーグ」が何と生き生きと躍動して終曲を締めくくったことか!!!


  7. 「岡田将の指揮」で「管弦楽組曲」または「ブランデンブルク協奏曲」を是非是非聴きたい! と思わせる色彩感にあふれていた





 演奏会を聴いたのは3月2日(土)、今日は8日(金)。この6日、何をしていたか、ですか? 資料を読みながら、岡田将 の演奏を脳内で繰り返していました。事前に予習もしたし、演奏会当日も楽譜を持参したが、それでも「岡田将 の深み」を言葉には出来ませんでした><
 この批評が、読者の皆様に「岡田将の片鱗の一端」でも伝えられれば良いのですが、シューベルト や リスト や スメタナ のようにはスムースには筆が運んでいないことは私高本自身が感じている次第です><


  初めに、悩んだのが

岡田将 は「ソプラノ声部」に3種類の音色を使い分けていたが、何の楽器だったのか?


である。

  1. ヴァイオリン


  2. フルート


  3. トランペット



だと推測される。「オーボエ」が含まれていて「4種類」だった可能性も極めて高いのだが、私高本は3種類しか聴き取れなかった。ソプラノ声部がフルートになると、右ペダルを(それはそれは)薄く踏む。すると暖かみのあるフルートの音色が浜離宮朝日ホールを覆う。トランペット は、第4番ニ長調で大活躍だが、他は 第5番ト長調で少しの時間だけ高らかに鳴らされる。大半は、ヴァイオリン。シギスヴァルト・クイケン 並みの快速で音楽は進む。完全なノン・ペダル。「指レガート」だけで音楽を紡いで行く! 「乾いたグールドの超絶技巧と同等かそれ以上の超絶技巧」が、ヴァイオリンかのような響きを伴い、空間を埋め尽くす。


 バッハを語るのに「ソプラノ声部」だけでは片手落ちだ(爆

 通奏低音についても語る。大半は「弦楽合奏」であるが、「ファゴット」の時がはっきり聴き取れる。しかも終結部の4小節だけ「全合奏」になったりする!


岡田将 の激しい自己主張は「アーティキュレーションは絶対に変えない」である!


  岡田は「繰り返し記号」については、「前半は繰り返しあり、後半は繰り返し無し」を徹底した。つまり、前半は繰り返す。その際、多くの「バッハ演奏家」は「アーティキュレーションを変える」を実行する。バッハ生前の教則本にも「繰り返す時はアーティキュレーションに工夫しろ」と書いてあった記憶があるが正しいか???

 「バッハの楽譜」は「マーラーの楽譜」と比べると、『何も書いていないのでは?』と思えるほど、指示が少ない。

バッハ:パルティータ 楽譜上の特徴


  • アクセントが皆無


  • 強弱記号が皆無


  • 「管弦楽組曲」に極めて似ている。(「ブランデンブルク協奏曲」では強弱記号が少ないが存在している)



     これらのことから、岡田将 は(当時の最新鍵盤楽器である)「2段鍵盤チェンバロ」風に音楽を作るのではなく、「管弦楽をそのままトランスクリプションできる スタインウェイ」にて演奏した、と私高本は感じる。


    岡田将が最も優れた点は、「踊りまくるリズム感」と「伸び縮みするテンポ感の自然さ」


      聴いていると「自然!」に感じられるのだが、実はテンポは相当に伸び縮みしている。また、音量も クレッシェンド & デクレッシェンド を多用する。それが自然に感じられるのは

    「技巧的な走句」でも、完全なノン・ペダルで、『粒立ちが見事に揃っている』から!


    である。「バッハ:パルティータ」は第1番が少々弱い(「イギリス組曲」も「フランス組曲」も同じか、、、)のが、演奏会では「全曲演奏会」に至らない原因の1つかな? と思われるが、岡田将 は鮮やかな アーティキュレーション にて「前奏曲」から聴衆を魅了した。グールドの録音とかの水準ではなく、さらに上の心を惹き付ける演奏だった。少々「あざとい」かも知れないが。


     チラシを撒いている時は、1 → 2 → 4 → 3 → 5 → 6 になっていたが、当日は(プレトークで何も説明無しに)番号順になっていた。長調短調を交互に弾きたいのか? と思っていたが、肩透かしを食らったような、「王道路線」に戻ったような(爆


    アンコール(リスト「愛の夢」第3番)時に、「10年後か20年後にまた(バッハ:パルティータを)弾きたい」なんて言っていたが、今すぐにでもCD録音して欲しい!


     勿論、これほど挑戦的なバッハを万人が受け入れる、ってことは無い。だが、「グールドのバッハ」や「レオンハルトのバッハ」や「鈴木雅明のバッハ」並みの水準だ、と感じる。もっと言えば、グールドやレオンハルトよりも近親感を感じる。「リスト弾き」として、登場して来た当時の演奏も魅力的だったが、(その後ソロを聴かずに)「岡原慎也とのデュオ」ばかり3回聴いた(「ハジケル系」演奏)後に、これほどまで考え抜かれ、突き詰めたバッハで「作品自体を再度洗い直す」ことになるとは思っても見なかった。(私高本の頭が悪いだけです ><)

     岡田将 が飛翔した瞬間に立ち会えたかも知れない。以前の「岡原慎也とのデュオコンサート」にて「岡原慎也は父親と同年」とのアナウンスがあったので、おそらく私高本とも「親子」程度の年齢差。最後まで聴き届けることは無理だろうが、

    上昇階段を一気に駆け上がる瞬間を全部見れるとうれしい限りのピアニスト = 岡田将


     「バッハ」を「パルティータ」から握りに行ったピアニストは、私高本は記憶に思い出せない。これほどまで素晴らしい曲集だったのか!!!

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