日本のピアノ第1号製作は切りの良い1900年である。山葉寅楠 が製作。それ以来ヤマハが製作したグランドピアノの型番の一覧がこれhttps://download.yamaha.com/files/tcm%3A39-1124089/
色んな型番が掲載されているが重要なポイントは数少ない。
この5機種だけである。初めの3機種は「日本のピアノの上昇のポイント」であり、終わり2機種は「日本のピアノの凋落のポイント」である(泣
川上源一 - Wikipediaヤマハ第4代&第6代社長が「上昇」を作った張本人である。1950年社長就任してわずか4年で G2(G3,G5,G7)を製作した。社長就任前年の 初のコンサートグランドピアノ=FC が評論家清水脩に酷評されて、激怒したことは有名。
◎「世界に通用するグランドピアノを作れ」
と激を飛ばしたのだが、ヤマハの資料には 1967年コンサートグランドピアノCF 製作ばかりがクローズアップされているw
実際には「1954年 G2」が「世界に通用する初のグランドピアノ」であった。1953年7月8日から80日の川上源一欧米ピアノ工場視察の結果、わずか1年で製作したのが G2 である。どこにも書いて無いが
◎目標は 米ボールドウィン などのグランドピアノを凌ぐグランドピアノを製作し、米学校に納品する
である。ヤマハ は、独ベヒシュタイン、米独スタインウェイ を目標にしたことだけが伝えられているが、米学校納入が目標であった。1954年 G2 誕生、1960年ロサンゼルスに「ヤマハ・インターナショナル・コーポレーション」設立、1962年「ロサンゼルス市教育委員会が学校用グランドピアノを大量購入」落札である。その後、サンフランシスコ市教育委員会もヤマハが落札する。高級ピアノのみ製作している ニューヨークスタインウェイは学校用廉価グランドピアノは製作していない。
「学校用グランドピアノ」問題は、川上源一社長退任後の日本にも上陸する。日本学校用グランドピアノ界に上陸したのは(中国ではなく)韓国ピアノメーカーである。
色んな型番が掲載されているが重要なポイントは数少ない。
- G2 : 1954
- CF : 1967
- C3 : 1967
- G1 : 1988
- A1 : 1993
この5機種だけである。初めの3機種は「日本のピアノの上昇のポイント」であり、終わり2機種は「日本のピアノの凋落のポイント」である(泣
川上源一 - Wikipediaヤマハ第4代&第6代社長が「上昇」を作った張本人である。1950年社長就任してわずか4年で G2(G3,G5,G7)を製作した。社長就任前年の 初のコンサートグランドピアノ=FC が評論家清水脩に酷評されて、激怒したことは有名。
◎「世界に通用するグランドピアノを作れ」
と激を飛ばしたのだが、ヤマハの資料には 1967年コンサートグランドピアノCF 製作ばかりがクローズアップされているw
実際には「1954年 G2」が「世界に通用する初のグランドピアノ」であった。1953年7月8日から80日の川上源一欧米ピアノ工場視察の結果、わずか1年で製作したのが G2 である。どこにも書いて無いが
◎目標は 米ボールドウィン などのグランドピアノを凌ぐグランドピアノを製作し、米学校に納品する
である。ヤマハ は、独ベヒシュタイン、米独スタインウェイ を目標にしたことだけが伝えられているが、米学校納入が目標であった。1954年 G2 誕生、1960年ロサンゼルスに「ヤマハ・インターナショナル・コーポレーション」設立、1962年「ロサンゼルス市教育委員会が学校用グランドピアノを大量購入」落札である。その後、サンフランシスコ市教育委員会もヤマハが落札する。高級ピアノのみ製作している ニューヨークスタインウェイは学校用廉価グランドピアノは製作していない。
「学校用グランドピアノ」問題は、川上源一社長退任後の日本にも上陸する。日本学校用グランドピアノ界に上陸したのは(中国ではなく)韓国ピアノメーカーである。